理由その3:純粋に好き
塾の先生という職業は、世の職業の中でかなり面白い仕事なんじゃないかなって思っています。それを、どうやって楽しむのか? 十人十色です。勝手に3パターンに分けてみましょうか。
1つめ 塾とは我が野心体現の場なり。
塾で働き始めた初日ですが、それは採用面接の日でした。
奥の部屋で面接とお試し授業をやっているうちに、隣の事務室で電話が鳴ってなにやら不穏な空気。その日担当の先生が体調不良で、「今日の数学を君にお願いしたいんだよ。」ってことに。
その日の授業の様子は30年経っても、鮮明に思い出します。ああ、このために生まれてきたんだなって。勘所がある先生は、初日から生徒を掌握する。操るというと言葉がきついですが、生徒は先生の術で動かされて合格したいと通っているので、塾ではごく普通のことです。
そうやって、初日から生徒を掌握するような先生は、自分の塾を立ち上げることになることが多いようです。私はソコマデではなかったような、気がします…(;^_^A
生徒を動かせるなら、周囲の先生を動かし、保護者を動かせる。元手がほとんどなくて始められる塾は、人間を動かせるなら、あとは物件を借りるだけ、特段の工夫も要りません。
何を目的に始めるかはそれぞれですが、塾を野心体現の場として、自分で教室を立ち上げるのをたくさん見てきました。
2つめ! 人間が大好き!
大学生のころから付き合っていたあの子には、結局ふられました。いくら誘っても、塾仲間の男子と遊びに行っちゃうから。最後は、男子を好む人間と思われた節もあり、、。
私が一番好きだったのは、たしかに、若いころの先生仲間です。なーんもできない奴らをトコトン伸ばして学年上位にしたり、全部屋を生徒で溢れさせたり。毎日が事件と笑い話のるつぼ。夜中じゅう歌いつくして海に飛び込む、授業談議が尽きずに喧嘩してから胴上げするなんて日もありました。
同じこと1つをみんなでやったら、だいたい喧嘩して、だいたい仲良くなる。そんな話はいっぱいありますよね。 世にそういう職場は多いと思いますが、塾はその代表だ。喧嘩の種になるのは常に生徒のことで、目的は成績の向上か合格で、最適解なんてあるわけないから、朝まで先生同士で言い合いしてる。
「いいから帰って寝ろ」と尻を蹴っ飛ばしたいところですが、なんだこの、人間に対して激烈に熱くて、愛おしい場所は。そうやって、生徒も保護者も、まわりの先生も、みんな好きになっちゃう。どこまでも人間が好き、ビジネスも給料もかんけえねぇ。人間が好きってだけで進み続けて、気つけばうん十年、塾ではたらいてる、って人をたくさん知ってます。
3つめ! 純粋に教えることが好き。
30年間ほぼ毎年、ほぼ同じことを教え続けてきました。指導法の進化・成長は多少ありますが、30年経っても学習の基礎に変化はまったくありませんから、教えることもだいたい同じです
でも、なんでなんだろう。まったく飽きない。「おんなじことをして、飽きないのを商いと呼ぶ」のはその通りで、毎年おんなじことをするのだから、原価は上がらない。人間の稼働時間という費用はかかるのだけれど、準備という原価は経験年数とともに確実に下がっていく。
飽きなくて、つまり楽しい、しかも原価率が下がれば商いもうまくいく。これ以上に面白くて楽しい仕事はやっぱりないんじゃないかと思います。
さらに面白いのが教材制作。以前は何時間もかけて教え込んでいたものが、たった1枚のプリントを作ったことで、30分で教え鍛えることができる、なんてことがある。生徒の前で教えてみたが、「なんかうまくいかないな」が、教材作成につながって、翌日には「うまくいかない」が完全に解消したりもする。当然、時間の側面から原価は下がり、その教材はたいてい他の先生も使えるから商いもさらにうまくいく。
演じて、もの(教材)を作って、それが成果を高めて、さらに演じる力を高めて自分を楽しませてくれる。さらに、その教材が他の先生の能力も引き出して、成果が掛け算されていく。一人で、そのすべてのチェーンを回し続けることができる。そんな仕事は他にはないと思うのですが、どうでしょう?
身近な経験をもとに、3つ書いてみましたが、わたしゃ完全に3つめの「教えるのが好き」派です。いろんな役職、また先生としても紆余曲折を経てきましたが、30年間教える工夫を考えなかった日は、たぶん1日もないです。
そうやって、工夫を続けた30年の中で、最も大きな改善・飛躍につながったのが、「モノグサ」との出会いです。 (つづく)