zuihitsu#1:歌が好きになる時

歌の中には、自分の体験と重なるフレーズが度々登場する。この共感こそが、ヒットソングの重要なファクターであり、普遍的な歌を作ろうとすれば、音楽としての魅力が損なわれやすくなる中で、万人に受けるような作品を作り出すこと自体が類まれない才能であると言えよう。だが、奇異な体験に思える歌こそが、自分のために作られたものであるという錯覚をリスナーに与える。それは、偉大なるアーティストと自分との密な線であり、見つけた時の刺激は何物にも代えられない。これは、どちらが良いという訳ではなく、人間の中に大なり小なり存在するマジョリティとマイノリティの戦禍、その中でのポジショニングを個性と呼ぶのなら、どちらかに属するかによって感じ方が変わるだけの話である。自分は圧倒的に後者といえるだろう。

そんな中で、自分のことを歌ってくれているはずの歌に後、何度、出会えるであろうか?素敵な歌のような人生を送ることができるのだろうか?こういった、道標こそが音楽の力だと思っている。数分間の音の羅列に人類が突き動かされている音楽は素晴らしいし、音楽は世界だ!

今回、そんな自分のために歌われたであろう曲を紹介するのだが、マイノリティのバッジを掲げたような文章を書きなぐった後で普遍の権化であろうB’zに共感したことを書きます。マジョリティを理解してこそのマイノリティ、あると思います。

■B’z『Time』

どうすれば時は過ぎる?言葉はいつも役に立たない。

歌詞の中で一度は、どうすれば時が戻る?と願った後で、最後には経年による解決を願う心情の変化を見せ、幼心に時は戻らないということを教えてくれた歌でもあったが、20代後半で自分は、その頃からの夢であったライター業に就く。そういった自己の大きな変化があった後でこの歌を改めて聴いた時、今までとは別の衝撃を受けた。今まで口先だけで生きてきたような後ろめたい部分の人生が突き刺さったのだ。加えて、今までの仕事の中で最も挫折したイベントが終わった後で、恩師は僕に「耳障りのいい言葉でその場を取り繕うとするな。」と言った。これは、後の仕事のスタンスや人付き合いに響くほどクリティカルな言葉となり、僕は確実に変わった。感謝しかない。と同時に、脳内にはこの曲が流れ、涙が止まらなかったのを思い出す。僕は時が過ぎることをただただ願ったし、成長以外にこの悲しみからは解放されないのだと思った。ライター業という、言葉を扱う仕事だからこそカウンターの意味としてもこの歌詞は一生染み付いて離れないだろう。

年が変わるたびに、心の中で僕は態度で示せ20XX年と呟く。

態度で示せ、2022年。


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