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雑記帖:20230421

  今の世界を生み出す、世界生成点を改変するためには、未来ではなく過去に挑むしかない。未来は過去の延長線上に生成される。未来を変える為には、過去を改変するしかないのである。過去に生じた過ちを正すことで、あるべき未来を取り戻すのである。過去に存在した天才への挑戦である。その考えが正しいかどうかを再検証するのである。少しでも綻び(ほころび)があれば、正しい情報へ修正し、その情報から生成される結末を書き換えていくしかないのである。過去の過ちを正せないから、いつまで経っても現状から抜け出せないのである。神格化された絶対的存在との対峙である。これは神への挑戦なのかもしれない。絶対視される情報を検証し、過ちがあれば正す。何が過ちなのか、何が正しいのか、ということにも基準がないのかもしれないが、それでも挑むしかないのである。人の思考が作り出した情報である。絶対などあり得ないのだ。必ず過ちがある。その過ちを正すことでしか、現状を根本的に変えることはできないのだ。情報の正誤が相対的に決まっている以上、絶対的とは言い切れないのである。前提が揺らげば、絶対視される情報は忽ち(たちまち)破綻するはずである。生物の遺伝情報から身体が構築されるセントラルドグマ説(DNA→RNA→タンパク質)のように、世界を生成する“DNA”へのアクセスとその改変を行うことでしか、世界の革新は齎(もたら)されないのである。人の思考の基盤である情報(=世界生成情報)へのアクセスとその修正が必要なのである。人がどうあるべきかを前提に改変しなければ、無秩序な修正が行われてしまう可能性もある。私が望むのは争いのない平和な世界である。そのような世界は理想なのかもしれないが、実現するならばそのような世界である。方向性とその強度(ベクトル)を人類の繁栄の為に定め、その理想の実現のために、世界基準を改変していくのである。ただ事実を把握しているだけでは、世界を秩序化する事はできないのである。事実を、一定の理想のもとに集約させ、世界を形づくるプロセスこそが必要なのである。ただ自由を求めるのではなく、一定の理想の元に、世界を再構築するのである。現状が破綻しているのあれば、今を形づくる過去を改変するしかないのである。自己の信じる常識との対峙である。自己の思考や行動を決定するシェルへのアクセスである。そのまま意識を失ってしまうかもしれない。PCのOSが起動しなくなり、PCが使用不可能になるように。それでもそれを行わなければ、現状を変えることはできないはずである。まさに自己改変である。自己の信じる情報を検証し、自ら自己基幹情報を再構築するのである。それを行うことでしか、自己の行動を決定する要因から逃れることはできないのだ。



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