「人生楽しんだもん勝ち」という言葉を使わなくなったワケ
「人生、楽しんだもん勝ち!」
と、昔はよく言っていた。
でも、最近はこの言葉をつかわなくなった。
今も昔も、何かをやる時の「せっかくなら楽しみながらやりたい」というスタンスは変わっていない。
でも、それを「人生楽しんだもん勝ち」という言葉では表現しなくなった、ということなのだ。
わたしは言葉がすき。
自分が聞いたり話したりする中で、違和感がある言葉は極力使いたくないという気持ちがある。
「人生楽しんだもん勝ち」という言葉を使わなくなったのも、どこかに違和感を覚えるようになったからだ。
では、この言葉の中で、わたしが違和感を覚えたのはどこなのか?
それは、「勝ち」である。
それまで何の違和感もなくつかっていた「人生楽しんだもん勝ち」という言葉。
ある日ふと、
「あれ、わたしは何と戦っているんだ?」
「何かに勝つ必要があるのか?」
「別に勝たなくてもよくない?」
「いやそもそも、何かと戦ったり比べたりする必要はないのでは?」
と、おもった。
「人生楽しんだもん勝ち」という言葉を否定したいわけじゃないし、そもそもこの言葉の「勝ち」というフレーズにもそこまで誰かと比べるという意図は含まれていないのかもしれない。
でも少なくともわたしは、この言葉を使っている時、無意識的にも「なにごとも楽しむと、自分以外の誰かに比べてよい結果になる」という気持ちがあったから、こんな疑問が浮かんできたのだと思う。
“誰かと比べて”学校の勉強が得意だったから、成績は小学生の時からいつもトップクラスだったし、大学も学部首席で卒業した。
そのことで、いろんな人から身に余る評価をしてもらってきた。
“誰かと比べて”出た結果の中でよい評価をしてもらっていたから、わたしも自然と”誰かと比べて”生きてきたようにおもう。
”誰かと比べて”どうなのか、というところでしか、自分の価値を測れなかったのだ。
というか、それしか基準を知らなかった、という感じ。
でも最近はそうじゃないな、と思うようになった。
わたしは、わたしとして存在しているだけで価値がある、と少しずつではあるけど思えるようになってきた。
誰かと比べて価値がある、ではなくて、あなたもわたしも、存在しているだけで、ただそこに価値がある。それ以上でも、それ以下でもない。
という感覚。
もちろんまだまだ誰かと比べてしまうことはあるし、ぜんぜん未熟者なのですが、心の底からこうやって思うようになってきたよという、思考のシェアでした。
言葉はおもしろいな。
これからも自分がしっくりくる言葉をたくさん使って、満たしていきたい。
読んでくださってありがとうございました◎