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しろもも

「豊か」よりも「ゆたか」がいいな。

そう思いました、このハッシュタグを見て。
私には書家の友人がいます。初夏ではありませんって言う。。。
うーん…文字だと面白くないですね笑
で、
書家の彼の影響で、かな(ひらがな)の美しさや柔らかさに気づきました。

僕はこれがもう、ゆたか だなぁと思うわけです。
文字の並びに感覚を持てることが、素敵だし、そう思って見てみると、なんだか文字が笑ってるような感覚になりませんか?

あたりまえにありがとう。
と言ったのは誰/何でしたでしょうか。まさに、文字に感覚を持つことと同じだと思うんです。

こういう記事を書くときや小論文やエッセイを書くときって、漢語って一括りにしてしまっていいのかな…そういう言葉を使いますよね、熟語で堅くて難しいものを。でも、そこで かな を使うからこそ、余裕があったりするんじゃないかと思うわけです。思うだけですけどね。

加えて、こういうのを書くときって、テーマが「マイクロファイナンス」とか「貧困と格差」とか物質的な/物理的な豊かさの話に寄りません?
精神的な余裕こそ世界・現状を変えるタネだと思うんです。これは思うだけじゃない、確信しています。

些細なことで(当事者から見れば大きいことでも)互いを口撃しあう人たちが世界中にゴロゴロいるわけですが、「あぁ、疲れてるんだろうなぁ」と思います。いや、何も、全て「話せばわかる」とは思ってないですよ?話しても分からないことや理解できないこと、理解はできても納得できないこと、っていっぱいありますもんね。

ゆたかさ って ソコ じゃないかなぁと僕は常に思ってるんです。

僕は、食料自給率が270%くらいある自然とスポーツ?の国で教育業に携わっています。
週休2日(時々0〜1日)・長期休暇もある・お給料もある(もう少し高いと嬉しい)・毎日子どもの笑顔がある・毎日新しい発見や驚きなど新鮮なことがある・上司にも同僚にも同じフロアの友人にも恵まれている…数え上げればキリがありません。

ね?幸せそうでしょう?
幸せです。胸を張って言えますね。

あたりまえがあることが、朝起きて1日があることが、幸せだなあと思うのです。

これを幸せだと思える心があることが、ゆたか。

みんなに感謝しなくちゃ。

#ゆたかさって何だろう

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