自分探しとクッカー探し
クッカーとは、ハイキングでの相棒だ。
背負い続けている時間が多いが、使う時間の短い。だがこれ排除すると不便で、遊びがないものになってしまう。
クッカーについて思い巡らすうちに、自分について考え出すと、まるでクッカーそれぞれが自分の姿ように見えてくるのだ。
クッカーはまるで生き方を隠喩した存在にさえ感じた。
気がつけば、クッカーを調べ次の生き方を模索するかのように行き先もない旅に出かけてしまっていたのであった。
クッカーに求めるものは一体なんだろう。
人によって、かなり違うだろう。
軽さを追い求めるものもいれば、利便性、扱いやすさもあるだろう。
だが、多様な使い方ができたところでそんな使い方をするのか。
クッカーは、自分に可能性があったとしても使いこなせるわけではないのだ。
人生も選択することができても、その可能性を殺しながら進んでいくものではないか。
ULハイカーは、軽さにこだわる。
チタンマグでお湯を沸かす。
確かに軽く、荷物の大きさもミニマムにできる。
器が小さいことは、確かに受けるものが少なくある意味精神的負荷も軽く生きやすいのかもしれない。
だが、器が小さいことはデメリットでもある。
受け止める量が少ない。それは何よりも他人への余裕の問題だ。
沸かしたお湯を分けれる、人に気を配れる、つまり人に愛を振り撒く余裕があるのだ。
その優しさは重さとトレードオフだった。
軽さよりも余裕が欲しい。愛も欲しい。
そんなことを考えていたら、チタンマグでお湯を沸かし5秒でこぼしたのであった。
手元には余裕や愛は愚か、自分の分のお湯でさえ残らなかった愚かな自分が残ったのであった。