なぜ、自己犠牲的な働き方がやめられないのか?
前回のコラムでは、
教師の自己犠牲的な働き方について書きました。
お腹の空いた子どもたちのために、
自分の頭をちぎって与えるアンパンマンのような在り方を
教師の一つの理想だと捉えている人は多いと思います。
でも、ジャムおじさんもいないのに、
自分の頭以上のパンを与えることは不可能です。
それは、自己犠牲的な働き方です。
自己犠牲が行き過ぎると、
・頑張っても頑張っても報われない
・心身が擦り切れていく感覚がある
・むなしい、悲しい、寂しい
・やる気のない生徒や職員に怒りが湧いてくる
という状態になっていきます。
でも、やめられない。
(自己犠牲的な働き方をやめたいと)わかっているのに、やめられない。
そんな人が本当に多い。
教員じゃなくても、そういう働き方や生き方をしている人がいますね。
では、なぜやめられないのか?
怖いからです。
寂しいからです。
もっというと、
自己犠牲的な働き方でなくては、
あなたはあなたらしさを失ってしまうかもしれない、
今の自分を取り巻く状況が激変してしまうかもしれない、という恐怖があるのです。
そんな指摘をされてどう思いますか?
そんなことない!と反発する気持ちが芽生えたのなら、
もう少しだけ、これから書く内容にお付き合いください。
怒りが湧く、ということは
今から僕が伝えたい内容が、あなたに響く可能性が濃厚です。
逆に、なんの実感もわかない。
なんとも思わない、感じない、という人もいるかもしれません。
読まない、という決断はいつでも、あなたのタイミング次第で可能ですので、やはりもう少しだけ、読んでほしいと思います。
いろいろな角度から、たくさんの言い回しを用意して説明するつもりです。
さて、自己犠牲的な働き方をやめられない人には、
いくつかの、ある「思い込み」があります。
あてはまるパターンを見つけるためにも、
ここからの文章では、読者である「あなた」に呼びかけるタイプで書かせていただきます。
ぜひ、自分の感情を確かめながら読み進めてください。
思い込み①
「自分がなんとかしなければならない!!」
能力が高く、主体性も責任感も強い人ほど、
「私が/僕が、なんとかしなければ!」と思いがちです。
あなたは、
教員になってから、
あるいは教員になる前からも、
リーダーシップを発揮して、
課題解決を実現してきました。
目の前に苦しんでいる生徒がいるとします。
たとえば、その生徒は両親との関係性が思わしくなく、
正直に自分の気持ちを伝えられないで、
葛藤しているとしましょう。
あなたは、そんな生徒の様子が気にかかって、
すかさず目の前に行き、
心を開いた態度で接します。
生徒も正直な気持ちを吐露し、
気持ちの整理ができました。
あなたの働きかけは、
生徒に小さな行動を起こすきっかけを与えたといえるでしょう。
このプロセスは教師として、あるべき姿です。
まったくもって「正しい」
生徒や保護者、同僚の信頼を得ることができます。
でも、そんな信念と行動が、あなたを苦しめる種にもなりうるのです。
続きは、また書きます。
興味があれば、ぜひこれからもお読みください。
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