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壊すも創るも「ことば」でしょ

あなたと共に成長したい。

元高校教師(国語)の
たこせん枝瀬です🐙

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教育は
自分が変わらないと
他人を変えることなんてできない。
       =「主体変容」

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【たこせん枝瀬の発信の足】

タコマンダラ

【今回は主に「大人共育」編です】
前回までの記事で
思い込み・固定観念を
ぶっ壊す必要性を訴えました。

子どもたちには
ぜひとも固定観念を
ぶっ壊してほしい!

そのためには、

大人の側もまた、
自らもつ「固定観念」を
ぶっ壊すと爽快💓

気になるのは

どうやってぶっ壊すか??

ですよね。

今回は、
その点について触れてみようと思います。


エコチェーンバー現象とは

SNSを利用すると、
自分と気の合うユーザーを
フォローしますよね。

自分の意見を発信し、
「いいね」「スキ」「超スキ」が
返ってくると、気持ちいい(笑)

そんな風に
自分に共感するコメントが
多数返ってくる状況を、

閉じた小部屋で音が反響する
物理現象にたとえて、

「エコチェーンバー現象」というそうです。

イメージ図にすると、
このような感じでしょうか?

日経プレミアシリーズ
「デジタル空間とどう向き合うか」78ページより

フィルターバブル現象とは

noteには
「今日のあなたに」という
おすすめ記事を紹介する欄があります。

おお、どれも惹かれる…✨

自分好みの記事を紹介されることが多いので
ずいぶん重宝しているのですが、

noteに限らず、
SNSやインターネットの検索サイトの
アルゴリズムは、

その人が
見たい・欲しい情報を
見せるように設計されています。

そうすると、
どうなるか??

フィルターを通り抜けた、
見たい情報だけが、

世界のすべてのように
錯覚してしまうことにつながります。

「フィルターバブル現象」というそうです。

日経プレミアシリーズ
「デジタル空間とどう向き合うか」74ページより

子どもがよく言うセリフに

「みんなやっている」
「みんなそう思っている」

がありますけど、

そのときの「みんな」って
たいてい2~3名くらいですよね(苦笑)

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同じ現象が
われわれ大人にも
確実に起きているのだと思います。

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思い込みは「言葉」で作られる

さて、
そんな思い込みは何で作られるのでしょう。

答えは「言葉」です。

わたしたちは、
「言葉」によって、
自分の考えをつくるわけですから、

思い込みや固定観念を
形作っているのも
「言葉」のしわざ。

だから、
「固定観念」をぶっ壊すためには、

「言葉」に注目するといい。

「言葉」で思い込みを壊す

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言葉」によって
固定観念をぶっこわす。

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この方法は、
簡単かつ大きな効果があります。

僕がnoteに沼っている
理由の一つは、

素晴らしい言葉の使い手が
noterさんには多いからなのですが、

今までも、
僕の固定観念を
ぶちこわしてくれる記事に
何度も出会いました。

なかでもうれしかったのは、
りょーやんさんのこの記事。

常々、ADHDを

「発達障害」という言葉でくくるのは

なんという横暴さ!!
と強い違和感を覚えており、

ADHDを
ポジティブにリフレーミングする
言葉はないものかと
あれこれ考えていたのですが、

りょーやんさんの

「ADHDはハンターなのだ」

という指摘にはしびれました。

そうか、
あの子も、この子も
ハンターだったんだ!!

あの子たちは
授業や、
クラス活動に上の空だったけど、

ほしい獲物を見つけて
ハンターモードだったんだ。

それなら、
獲物をしとめる様子を
しっかり応援すればよかったのに・・。

思い当たること多数

そんな風に、
今までの行動に、
いろいろ説明がつくのです。

ADHD=発達障害
という言葉(固定観念)で

僕が感じてきた
負の感情は、

「言葉」の使い方次第で
消えてなくすことができるのだ、


ということが
腑に落ちて実感できた瞬間でした。

リフレーミングしたい言葉

リフレーミングで
言い換えたい言葉は
たくさんあります。

たとえば、

・いじめ
・不登校
・発達障害
・特別支援
 (「特別」というニュアンスが苦手です)
・あたりまえ=常識
・正義

でしょうか。

このあたりの言葉が
僕は苦手です。
(僕が固定観念をもっているから)

このような言葉にまとわりつく
誤解や偏見や差別感情が
なくなるような言い換えありませんか?


言い換えることで
ポジティブに前向きな捉えを生み出すような

そんな表現があったら、
ぜひアイデアをください。

おまけ

この記事を書いている最中、

そういえば、
僕の大好きなnoter
くりすたるるさんが、

「頑張れ!」という
言葉のニュアンスに違和感を抱かれて

「ぱにゃにゃんだ」
提唱されていたなあ、と思い出し、

読み直そうと思ったら、

「不登校」に関する記事が
更新されていました。

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学校=ふつう
不登校=ヘン
□□□□□□□□□□□□□□

そんな思い込みにまつわるお話でした。

シンクロってやつですね‪(˶˙๏˙˶)♡‬

学校は「定型の一つ」

僕が
「学校」について
考えていることを最後に。

学校って「定型の一つ」にすぎません。

□□□□□□□□□□□□□□□□□
五七五で季語を用いよ
□□□□□□□□□□□□□□□□□

みたいなもので、

そういう「定型」に
しっかりはめ込むのが
今までの学校の役割。

だけどね、

五七五じゃなくても
季語がなくても

素敵な詩はゴマンとつくれるんです。

五七五で季語をいれる俳句も
いいけど、

短歌だって
五行詩だって
自由詩だっていいって話で、

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
学校に通う=フツー
学校に通わない=ヘン

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

などと

言葉で区別することに
そもそも「ムリ」があるのだと思ってます。

むしろ、

生徒がそれぞれの個性を生かして
自分の「うた」をうたえるよう、


これからは

「学校」も「学校の外」も一つになって
合いの手を打ってあげればいいのに、なんて。
(学校も、変わりつつあります)

どんな「うた」だって、
その人が全存在をかけて
うたってるんですよ。


それだけでハナマルです。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。
嬉しくてタコ吹いちゃいます‪(˶˙๏˙˶)♡‬


#66日ライラン  

16日目。

【追記1】
共同運営マガジンはじめました。
ぜひご参加ください!

【追記2】
ついでにkindle本出版してます!
こちらも是非、お読みいただけたら嬉しいです。


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