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千の風になって
あなたと共にうたいたい。
元高校教師(国語)の
たこせん枝瀬です🐙
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教育は
自分が変わらないと
他人を変えることなんてできない。
=「主体変容」
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【たこせん枝瀬の発信の足】
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【河合隼雄『で』語ります!!】
先生の晩年
なぜ、文化庁長官なんか、
長いことやらせたのか。
(中略)
河合さんは名伯楽で、
それを上手に使うメタ伯楽は
たぶんいない。
日本の世間はそういう世間である。
河合さんのワガママを
誰が聞いてあげただろうか。
ふとそう思ったりした。
もったいないなあ。
この世間は
本当にもったいない
人の使い方をする。
河合さんの訃報を聞いて、
私はもっとワガママをしようと思った。
河合隼雄先生のことを
書いていて
どうしても触れたくて、
でも触れ方がわからなくて
今まで書けなかったことがある。
それは先生の晩年について。
僕にとって
河合隼雄先生は、
バイタリティーのかたまりで、
飄々とした世渡りの天才、
「組織と個人の葛藤」という
日本人サラリーマンの多くが経験するような
「板挟み」を軽々と乗り越えて
大きな仕事を成し遂げられた
イメージがある。
ユング心理学や箱庭療法などを
専門とした「学者」の枠組みにとどまらず、
晩年まで、京都大学の相談室で
一人ひとりのクライアントさんに寄り添ってきた
筋金入りの「臨床家」でもあり、
「作家」として、
単著だけでも233冊を出版され、
(一般社団法人 河合隼雄財団HPより)
分担執筆や論文その他を含めると、
どれだけの作品を世に出してきたのだろう。
一方で、
京大教授から
学部長、名誉教授を経て
各種学会を立ち上げ、
(日本ウソツキクラブなるものまで
主宰されている)
最後は文化庁長官まで務めたのだから、
先生は、
「政治家」的な資質も多分に
持ち合わせていた。
現代の日本に、
臨床心理士という資格が存在し、
各学校にスクールカウンセラーが
配置されているのは
河合先生のお仕事の成果でもある。
ところが、
「政治家」という立場は、
利害関係を含めて
日本社会の「影」(シャドー)の部分を
大いに背負わなければならなかったのだろう。
河合さんは
(文化庁長官に)着任して
すぐの仕事は
高松塚古墳にカビが生えたという
文化庁の不始末をわびるために
あちこちに頭を下げて回ったことだそうである。
そういうことのために
河合さんを任命したわけではないだろう。
「政府に文化行政への取り組みの真剣さ」を
内外に示す記号として河合隼雄さんを
「消費」してしまったのだとしたら、
いったいこの人事は何のためのものだったのか。
「河合隼雄 高松塚古墳」と検索すると
当時の世論やマスコミの論調がよくわかるし、
ならまちさんが紹介されていた
この本でもご子息(河合俊雄)の
言葉にならない思いが滲んでいる。
個人と組織。
その板挟みの中で苦しむのが
日本人の典型的な在り方(=影)だとすれば、
河合隼雄先生も(表面上は飄々と見えたが)
やはり、最後の最後まで、
影と熾烈に戦っていたのかもしれない。
今なお、
河合先生の最期を思うと
複雑で割り切れない思いに駆られる。
言葉にできない。
「河合隼雄『で』語ろうマガジン」
昨年10月15日にスタートした
このマガジンが当初お約束した
3ヶ月の節目を迎えた。
総記事68本、
参加してくださったnoterは
合計16名(1月15日現在)。
想定を遥かに遥かに
上回る数の記事が集まったし、
特筆すべきは、
その内容の圧倒的濃さ!
リアルと記事とのシンクロが(マガジン内外で)
同時多発発生しました(笑)。
改めてマガジンに参加してくださった
以下のnoterに感謝申し上げます。
またタグの回収が遅くなってしまった
一部の投稿者の皆さま、失礼いたしました!
ならまち月燈さん
あやのんさん
風の歌のナウシカさん
かぼちゃさん
おおかみ のみねさん
田中弥三郎さん
ゆーしんけんさん
Senangxsedhさん
けいさん
木さん
にじさん
吉穂みらいさん
青川翡翠さん
ゆらゆらミルコさん
コニシ木ノ子さん
語り合うことで
例えば
ならまちさんの中の「河合隼雄」
あやのんさんの中の「河合隼雄」
ナウナウさんの中の「河合隼雄」
(ときどき藤井風 笑)
に出会いました。
記事を書いたり
読んだりするたび、
それぞれのnoterに
宿っている
河合隼雄先生の
「こころ」と「たましい」
に触れることができました。
それは、
いわゆる「客観的な」河合隼雄像とは
かけ離れたものかもしれません。
特に僕の書いた
「河合隼雄」像なんて主観のカタマリです。
内心、恐れ多い気持ちもありましたが、
それ以上に、
今まで誰にも語らずに
溜め込んでいた気持ちを出して、
リアルまで次々に変化していく経験は
本当に楽しかった!
今日もBOOK OFFで
河合隼雄先生の本を3冊購入し、
電車の中でパラパラめくります。
すると、
こんな一節に出会うのです。
(この一節との出会いも僕にとってはシンクロ)
日本の教育はこれまで
「追いつき追い越せ」に熱心なあまり、
他から与えられる正しい知識を
できるだけ多く早く吸収するのが
一番と考えられてきた。
しかし、
これからは他から与えられることよりも
自分自身の個性を伸ばしていくことが大切で、
そのためには、
自分の感性を磨くことが必要である。
感性を磨くためには何が必要か?
先生は、
「自分の場を確保する」ことだと
おっしゃいます。
◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️
自ずと表情がイキイキとなり、
自己の内面を思い切り開示できるような
居場所。
◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️◻️
自分の好きな場、
好きな姿勢、
それを思い切って取るだけで、
その人の感じるもの、
表現するものが個性的になり、
その人の感性ということを感じさせる。
このことは、
日本の教育の現場で、
時に思い切って
試みてみるべきことではないだろうか。
この言葉は
これからの教育の道しるべになると思ってます。
また、僕にとって
このマガジンは自分の感性を
安心して発露できる「居場所」の一つでした。
千の風になって
河合隼雄先生が亡くなった
2007年のヒット曲の一つに
秋山雅史さんが歌唱した
『千の風になって』
があります。
一説には、
この歌の歌詞を日本に最初に紹介したのは
河合隼雄先生だと言われていて
さかのぼること
12年も前(1995年)に、
先生は
エッセイ『サンフランシスコの風』で
この歌詞の魅力について記されていました。
このことを知って以来、
僕の中では、
この歌のヒットと河合隼雄先生の死は
シンクロし、分かち難く結びついています。
私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
死後も、人々の中に生き続ける
「こころ」と「たましい」は
確かにあり、
それは「千の風になって」生き続ける。
語り合うたびに風が吹いて、
その人たちの中で生き続けるのなら、
これからも語り続けていくしかないですね。
ひとまず、
3ヶ月の区切りを迎えますが、
みなさま、当マガジンのご愛読
まことにありがとうございました!!
今日はここまで。
嬉しくてタコ吹いちゃいます(˶˙๏˙˶)♡
まるで最終回のような書きぶりですが、
あまりに楽しいし、
まだまだ全然語り足りてないので、
ならまち月燈さんと相談の上、
これからも
「河合隼雄『で』語り合おう」は、
続けたいと思います!
河合隼雄先生を仲立ちにして、
それぞれの体験談を
書いてくださる方。募集しています!
ハッシュタグに
「 #河合隼雄倶楽部 」をつけてくだれば、
マガジン登録して紹介させていただきますね。
ぜひぜひ、お気軽にご参加ください!!