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転ぶということ。


先日
転びました。

わたしは子どもの頃からよく転んでしまう。
骨が折れたり捻挫をしたりしないのですが
両膝をすりむくのです。
ええ、残念なほどに。

仕事柄、一応病院に行きます。
以前転んで診察してもらったとき
その数日後にまた転んでしまって病院に行きました。
その後の経過を診せに来たと思っていた先生はわたしがまた新しい傷を作ってきたものだから
傷はもちろんですが、それより一度脳の検査をしてみましょうと心配されたりしました。
もちろん(もちろん?)異常なしでした。

記録を遡ってみると
ここ最近
盛大な転びとしては
どうやら3年に一度転んでいるようで
6年前に転んだときの日記が
それはもう
今回とまるで同じ想いで
なかなかの熱量だったので

ここに記録しておきます。

【反省文】

やってしまいました。
盛大に。
ここ数年どうにか粘っていたのに。

わたしは常日頃
凹んだり落ち込んだりということはあんまりない人間なのですが


転ぶ


ということに対して非常に打たれ弱いです。

どうして
手が出ないんだろう。
手さえ出れば、
こんなに血みどろにならずに済むはずなのに。


転んで行く過程はスローモーションで
確実に把握できているのに
脳みそでは(このままいくと転ぶよ、)と信号を出しているのに
転びゆくさまを自覚しながら
そのまま
転んでいくのです。

どうして手が出ないんだろう。


いまだに
「行ってきまーす」
と家を出るとき
「転ばないようにねー」
と言われているような
どうしようもない人間です。


ここ数年
階段の上り下りは必ず裾をたくし上げ、突然走るとつまづいて転ぶので突然走らないように身体に一言「今から走るよ、」と信号を出してから走るようにし、歩きスマホをしない、
など
散々注意しながら生きていたのに。

昨日
階段につまづいたけど転ばずに耐えたことにいい気になっていたので
傲り、があったのかもしれません。
危険。
自分への傲り。
自分への慢心。

唯一の救いを言うなら
ほんとうにとてもよく転ぶので
傷跡を残さないようにはどうしたら良いか、応急処置にはどうしたら良いか、

とても良く知っていることです。

処置はバッチリなんです。
両足が痛いです。
でも傷は治ります。
おかあさん作の超お気に入りのズボンに盛大に穴をあけてしまいました。
そっちの方がつらいです。
新しいズボンを買いました。
お財布もつらいです。

なにより
こんないい歳して小学生みたいな転び方をする自分が
いや
小学生だってこんなに何度も転ばない。
残念すぎて残念すぎて
仕方ないです。
何をどれだけ反省したって
自業自得です。
残念な人間です。
でくのぼうです。
棒人間です。


セブンイレブンで
「ホットのカフェオレください」
と言ったら
外国人のレジのお兄さんに
「オレ?オレジャナイデショー
ラテデショーワハハー」
「オレジャナイヨーワハハー」
と笑ってもらえて癒されたなあ。
お兄さんありがとうカフェラテおいしかったよ。


帰ったら地獄のお風呂が待っている。
おまえなんか
地獄風呂で悲鳴をあげてりゃあいいんだ。


#20180108
#成人の日なのに

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