高1:3Q途中(10月末)宿泊体験学習から帰宅
うちの子すずめが通っているN高の通学コースの場合、4期制になっていて、現在は3Q(10月~12月)真っただ中です。
新潟県糸魚川市宿泊プログラム「竪穴式住居でキャンプ~5000年前の生活からサステナビリティを考える~」に参加した子すずめ、無事帰宅して、その日の夜に興奮気味に体験したことを話してくれました。
ここからは、A(子すずめ)→B(子すずめの保護者の私)への知識の伝承(?)で、Aの拙い言葉のせいでBが理解できなかったり、Aが適切に説明しているのにBの前提知識がないばかりに理解できなかったり…といったコミュニケーションの齟齬があって、Aの意図したことをB(=私)が理解してなかったり、誤解してたり、曲解したり、拡大解釈してているかもしれませんが。
ですが、合宿代金を支払った保護者(資金提供者:スポンサー)に対して、A自身が現地で学んだことを「有意義でした」と説明責任を果たそうと、自分の体験を言語化できることはすごいなあと思っています。
ということで、保護者の私が子すずめの体験を聞いて学んだこと(誤解や曲解があるかもしれませんが)、感じたことを書き出してみます。
1日目
集合早々に子すずめは抗原検査を受ける。感染症対策のため、厳重な体調把握&管理の上、宿泊型ワークショップが運営されていることを保護者は感じた。
MacBookAirで写真を見せながら、子すずめが説明してくれたのだけど、同行したTAさん(Kさん)がその時点(3日目解散当日の22時時点)でものすごくたくさんの写真を上げてくれてて、保護者はKさんは記録・撮影担当の同行者だったのかなあと感じた。
糸魚川ジオパークの中の、フォッサマグナミュージアムを見学。見学後、フォッサマグナミュージアムの学芸員さんがお勧めした縄文遺跡(長者原遺跡)への移動ルートは、近道という名の草むらの中のアップダウンの激しい直線距離移動。途中、[雨が降ったら水が流れる川](沢?)も紹介してもらった。
フォッサマグナミュージアムの学芸員(ものすごく地質に詳しい)さんと、長者ヶ原考古館の学芸員さんが1日目の現地同行者。
子すずめは縄文体験のグループ分けでは、飲料水調達&塩調達班で、班員は3人だった。班員が少人数だったので、事前ミーティング時から全体意見を取りまとめやすく、全員が合意することが容易にできたし、トライ&エラーしやすい、フットワーク軽い感じだった。グループメンバー少ない方が意思調整&意志決定スムーズ!
縄文体験での人気のグループは調理班。石包丁で魚を捌いたりしていた。体験した子に聞いたら、結構きれいに切れたらしい。さすが石包丁!縄文時代に長きにわたって使われていた実績の理由が明らかに!
その他、火おこし班もあったようで、まいぎり式火おこし機と奮闘している子達の写真も。火おこし班はまいぎり式火おこし機で何度か火種までいけたけれど、安定した火にはならなかったようで、結局違う方法(←子すずめ自身の班の話ではないので、この辺の説明はもにょもにょ…不明瞭)で火をおこしたとのこと。
参加した生徒の中には、長者ヶ原考古館からのレンタル品、縄文時代の衣服(たぶん復元)を着て班活動している女子もいた。マンガKingdomの河了貂の服(あるいは山の民)っぽくてかわいい。
子すずめの飲料水調達&塩調達班は、散策中に見た雨が降った時に流れる川の水ではなく、雨水(どこから採った雨水なんだ?)を使って、ろ過や蒸留を試みていたらしい。子すずめは[縄文人として飲料水調達する]ことにこだわっていたら、いつまでたっても飲料水ができない、時間内に目標達成できないだろうと思い、[縄文人という前提]を振り払って、その辺にスタッフさん達が置いた現代の道具(軍手とか炭とか)を駆使して飲料水づくりを敢行していたらしい。それなりに頑張って水をきれいにしたのだが、参加者のみんなは飲んでくれなかった(参加者へ1本ずつ配布されたペットボトルの水に負けた。縄文人の技術はかくのごとく現代文明に勝てなかった…:そりゃ、感染症下の令和初頭、ウイルスとか菌とか怖くて飲むことを躊躇するのはわかる)。塩は海水を火にかけて結晶化したらしいのだけど、その味はしょっぱいだけではなく苦みが混ざっていたそうな。ってか、まず苦みを感じる塩だったそう。にがりの味というか、海水の中のミネラル分に雑味なんだろうね、きっと。
調理班は竹筒を使って炊飯していたけれど、食事の時間…調理後1時間も経っていないはずなのに、現地は口から息を吐くと白くなるような気温だったので、冷めてしまって、あたたかい汁物が神!だった。持参した自分の服が想定よりも甘い温度設定のものばかりなので、ものすごく寒かった。中学時代に買わされた学校指定の名前刺しゅう入りのウインドブレーカーを着ていた。(焚火臭がついても惜しくはないので)
焚火とあたたかい汁物は神!
汁物には猪の肉団子が入っていて、とても美味しかった。ジビエだ。あたたかいものではないけれど、鹿肉のジャーキーも食べた。鹿肉ジャーキー最高にうまい!肉は正義!私(子すずめ)はベジタリアンにはなれないと悟った、鹿肉も猪肉も肉がおいしい!とのこと。
夜には縄文人が大好きで、縄文人が使っていたと思われる楽器を復元したりしている翡翠職人さん(師匠)がスペシャルゲストとして来てくれて、焚火を囲んで参加者みんなで演奏しようとしてくれたけれど…NS高生のリズムが遅すぎて演奏にならなかった。同じ学校とはいえ、日本全国からの参加者なので、会ったその日に意思疎通とかチームとしての一体感とか、醸し出すのは結構難しいと思う。
縄文人キャンプサイト…というか、どの遺跡に泊まりたいかをじゃんけんで争奪戦したのだけれど、子すずめは宿泊グループ代表としてじゃんけんに参戦、宿泊グループの皆が希望していた20号に泊まる権利を獲得した。
就寝時間後、寒いし、眠れないし、真夜中12時過ぎにトイレに起きたところ、ホーホーとフクロウの鳴き声が近くで聞こえた。最初、誰かがふざけてフクロウの鳴きまねをしていると思ったけれど、30分近く途切れないので、あ、これ人間がわざとやってるんじゃない、本物かよと思った。あまりに近い声だったから、誰かがシャレでホーホー言ってるのかと思ったらしい。一定リズムで、でも時折リズム乱れながら、フクロウは結構近いところで鳴いていたらしい。
2日目
朝食は野菜と食パンで、粉末のカップスープもあった。あたたかいスープ、ありがたい。人によってはトーストしたり、サンドイッチしてる子もいたけど、子すずめは野菜サラダと生でパン。普段の家庭での朝食はご飯なので、パンだとお腹がいっぱいにならないようで、おかわり許可をもらって8枚切り食パン4枚かっ食らったそうだ。
2日目は新潟海洋高校の教員を退職して、新潟海洋高校アンテナショップ能水商店を立ち上げた人が講師で案内役だった。1日目からの同行者のお二方も同行してくれた。
2日目の最初、能水商店の人が色々と説明してくれたけれど、生徒たちは前夜に竪穴式住居でよく眠ることができなかったので、あちこちでこっくりこっくり…おっとっと…と眠りかけては正気に戻る生徒が続出。魚醬づくりの前にみんなで「こうだったよね?」と確認し合って、伝達された情報の確認をしたらしい。(幸い、全員が一斉に眠りこけた時間帯はなかったようで、少しずつパッチワークのようにツギハギして何とかなったそうだ、チームワーク!)
新潟海洋高校の実習船にも乗船させてもらって、船内の色々な計器を見せてもらった。海洋実習では以前は海外に行くこともできていたけれど、ここ数年はコロナ禍で国内の高知県などに航行したとのこと。(そういえば子すずめが小学生だった時、海上自衛隊の帆船とか潜水艦が寄港した時、見に行ったなあ…大きな乗り物好き)
魚醬づくりの前に魚醬を舐めさせてもらったのだけど、喩えるなら「いくらの生臭さを100倍くらい凝縮したような味」。
魚醬づくり体験では、50~70㎝くらいの鮭一匹を捌いてミンチにし、それを瓶に詰めて50℃で発酵させること1か月。なので、今回自分達が作った魚醬は1か月後に自宅へ配送してくれるのだそう。(よかった、仕込んだ魚醬を持ち帰って、ご自宅で発酵温度管理してくださいとされていたら、我が家では腐敗させてしまったと思う)
子すずめは「魚捌けるよ!」という人で、参加者の男の子に捌き方を教えてあげたようだ。(魚捌けるよ、といっても、鯵とか鯖とかのサイズのものを、小学生時代に地引網体験した合宿で、ちょっと捌かせてもらったくらいのレベルで、家庭で魚を捌いて料理してくれるわけでは全くない)
あと2日目には魚醬に使う鮭を取るための罠…やなの仕掛けも見せてもらった。今は産卵前の鮭をやなで捕獲して、鮭卵は人工孵化させて川に戻し、何年か後に川に戻ってこれるようにしている。やなの設備設置に300万円ほどかかる。来年はやなを今よりも上流に設置するつもりである。(上流に設置することの意味も聞いたのだけど、子すずめの説明が不明瞭で保護者が理解できなかった)
午後に能水商店でお土産を買う時間があったようで、保護者へ「どの魚醬を何本買って行けばいいの?」の確認電話が入った。能水商店の魚醬、新潟海洋高校プロデュースの鮭の魚醬だけでなく、のどぐろの魚醬とか、甘エビの魚醬もあった。(子すずめの財布具合が貧しいと思ったので依頼しなかったが、保護者としては魚醬を使った干物をクール宅急便で自宅に送付してほしかった)
この日の宿は山間部の宿で、子すずめからその日に家族に送られた飯テロ写真には松葉蟹が1はい、写っていた。高校生の分際で贅沢な!蟹アレルギーの子が別の子に蟹を上げたら、蟹もらった子が蟹殻でカニタワーを作ってておかしかった。
お風呂の後に、一部の子が能水商店の人と座談会していたので混ぜてもらって、色々お話を聞いた。能水商店の人は海洋高校の教員を退職して、海洋高校のプロデュースした商品を売って、その儲けをきちんと海洋高校へ還元できる仕組みを作りたくて、能水商店を立ち上げたそうだ。能水商店の人も元高校教師なので、NS高にはとても興味があったとのこと。夜遅くまでNS高生の質問などにおつきあいしてくれた。(保護者がこの話を聞いた時に、「うちの子すずめは[志ある大人]と話す機会が彼女の成育史の中でこれまでも多めだった」ということに気づきました。そしてNS高のプロNなどの講師はまさに[志ある大人]。今回の宿泊型ワークショップも、地質に詳しい学芸員さんや考古学に詳しい学芸員さん、能水商店の人といい、[志ある大人]にまみれる経験を積んだんだなあと感じました)
部屋が同じ子が近々スイスにバレエ留学にいくので、1番ポジションから5番ポジションまで教えてもらった。さすがバレエの人だけあって、体幹がすーっとしてて姿勢がきれいだった。その子から「もっと英語勉強しなよ」と忠告された。その子はドイツ語も勉強しているんだって。
3日目
男子は朝から早起きして近くの山に登って来たらしい。子すずめは寝てて行かなかったけど。
この日は今までのまとめ。付箋使ってブレストしたり、発表したり。(発表内容の詳しい話はしてもらえなかった)お昼休憩の時に、長者ヶ原考古館の学芸員さんが糸魚川の町歩きに誘ってくれたので行った。
何年か前、ひとつのお店から町の商店街が延焼してしまう大火事が発生したことは、子すずめ自身もニュースで見た記憶がある。その大火事からの復興の様子を長者ヶ原考古館の学芸員さんが話してくれた。道一本隔てて、新しい建物が立ち並ぶところと昭和っぽい建物が建っている所とがはっきりわかる場所があるのだけれど、その場所こそが延焼を止められた境界線の道だった。糸魚川は糸静線の関係で東西の山がぶつかってできたところの谷あいにあたるので、地形的に風がものすごく強い。実は今回の火災で地層を調べてみたところ、過去何度も大火事に見舞われたという痕跡が土に残っている。今回のWS最後のまとめの場所も、火災に遭った後に建った建物だそうだ。
…てなことを、子すずめは話しておりました。帰りの新幹線が同じだった子が居たので、座席指定券の変更してもらって隣に座って別れるまでの間、ずっとおしゃべりしながら帰って来たとのこと。
保護者に対して語ってくれたのはこんな感じのことですが、おそらくまだ言語化できていない感想もあるだろうし、保護者には言えない感想もあるだろうし、結構大きくて深いtake-home messageを持ち帰って来たな、と感じました。
子すずめの話の中に登場したのは大阪から参加した女子とバレエ女子の話が多かったけれど、男の子の話も一人だけしていて、その男子は自分から女子にも話しかけたりコミュ力がものすごく高かったそうです。
子すずめ自身は結構大人のスタッフさん達と話すのがとても楽しい、その道の専門家の人の話を聞くのが楽しい、いろんな大人の人と話すことができてとてもよかったと言っていました。
という訳で、NS高経験学習部 体験学習企画課のNさま、TAの皆様、現地受け入れのフォッサマグナミュージアムの学芸員さん、長者ヶ原考古館の学芸員さん、能水商店の立ち上げ者の方、ほか保護者が見えていないスタッフの皆様、受け入れありがとうございました。糸魚川に対して直接何かを返すことができる人間になるかどうかは不明ですが、子すずめの土壌に大きな栄養となったと思います。
10/31追記)
新潟県は北朝鮮への拉致被害者が何人もいて、いまだに日本帰国できていないのではないかという人も多い。拉致被害者の救出のシンボル、ブルーリボンを、糸魚川キャンプの移動時のバスの車窓から何箇所も見かけた…ということも、言ってました。