A/NZでお隣に夕食に呼ばれてアイルランドや映画や音楽の話=英語にまつわるお話(その12)=

A/NZでホームステイをしていたときにお隣りに夕食に呼ばれたお話

 もう20年以上も昔の話だが、アオテアロア・ニュージーランドはハミルトン(キリキリロア)でホームステイをしていたときのお話。
 初めてのホームステイでは、ホストファミリーが留守することも多く、お隣りに夕食に呼ばれたことがある。
 何かおみやげを持参しようと考えたのだけれど、いい案が浮かばない。
 公立学校の演劇発表会で「アラジン」の劇に呼ばれて、お隣に姉妹がいることはわかっていたので、ティーンエージャーの女の子が喜びそうなものと考えたが、なかなかむずかしい。Tシャツや装飾品には好みがあるだろう。ということで、映画券にした。
 映画館に行って、「映画券のようなものありますか」と尋ねると、各種あって、10ドルのヴァウチャーがあるというので、そいつを4枚買った。入場料で足りない場合は、足して観ることができるし、来年の12月まで有効というから、映画が嫌いでなければ、これは好都合だ。「アラジン」の劇に感動した私としては、なかなかいいアイデアだ。娘さんたちが映画が好きで気に入ってくれるといいのだけれど。
 テラパの魚屋さんに車で買出しに行っていたら、家に着いたのがすでに18時10分だ。
 洗濯物を取り込んで、あわててヒゲを剃って、猫に餌をやり、オーデコロンをつけて、少しだけドレッシーな格好でお隣に出かけた。
 お隣の玄関をノックするとニック(仮名)が出てきた。彼とは「アラジン」の観劇のとき以来だ。

音楽や映画と日常会話ではいろいろな話題の引き出しが欲しいところ

 居間にジョー・ウォルシュのLPが置いてあるので、「ジョー・ウォルシュって、この前ニュージーランドに来て、反ドラッグのキャンペーンをしていたばかりですよね。彼は元イーグルスに参加していたと思うけど」と私が話すと、ニックが「今日家で聞いてたんだ。彼はドラッグの経験があるからね」と言う。牧師でもあり、大学でも教えている彼がジョー・ウォルシュを聞いているとは思わなかった。
 彼が最近ハンナ(仮名)と観たビル・マーレーの「Lost In Translation」という映画の話になった。
 「ビル・マーレーって、アメリカのコメディアンの」と聞くと、そうだという。なんでもこの映画は日本が舞台らしく、ニックは日本に行ったことがないので、間接体験としてリアルで面白かったようだ。ニックの友人で日本に7年間いた友人は、この映画について「関心しないけどね」という話を持ち出したので、「なぜ」と聞くと、「理由はよくわからないけど」ということだった。「日本についての扱い方がフェアなのか自分は判断できない。あなたなら判断できると思うけど」とニックが言うので、私は「そいつはどうかな」と答えた。というのも異国にいると妙なナショナリズム的意識がふと頭をもたげることがあって、片意地を張ってしまうことがあるからだ。それではフェアな姿勢とはいえない。
 「グラウンドホッグデーのように、終始笑いっぱなしのコメディってわけじゃないけど」とニックが言うので、私も「グラウンドホッグデーのビル・マーレーはおかしいよね」と、ニックと話をを合わせる。「グランドホッグデー」とは、私の職場の同僚のカナダ人が大好きな映画で、高尚とは言えないけれど、これはこれで大いに笑える映画ではある。
 ニックは基本的に映画よりも本が好きな男だが、ニュージーランドをロケ地にした「指輪物語」は、映画もかなりいいと褒めた。残念ながら「指輪物語」を私は見ていない。
 いよいよ夕食ということになり、家族全員が集合となる。ニック、ハンナ、それに長男のジョン(仮名)、長女のキャサリン(仮名)、そしてサブリナ(仮名)だ。当然、牧師のニックがまずお祈りをする。私の名前も入れて、神に感謝の言葉を述べる。
 お祈りが終わって、ニュージーランド式に、料理皿をぐるぐると回しながら、好きな分だけ自分の皿に取ることになる。テーブルの上にはろうそくに火をつけているから、ちょっとした、レストランの雰囲気だ。じゃがいも、肉、グリーンピース。にんじんの茹でた奴。これにグレイビーソースやミントのソースをかけて食べる。とてもおいしい。
 ところで、さっきから長男のジョンをどこかで見かけた気がして、どこだったかなと考えていたのだが、「ジョン、君どっかでアルバイトしてない」と尋ねると、「アルバイトしているけど」というので、「やっぱり。ニューワールドでしょ」と私が言うと、「そうだ」との回答。「君にレジをしてもらったこと、あるよ。覚えてない」と尋ねると、ジョンの方は覚えていないようだ。スーパーは客が多いから、無理もないのだけれど。

食事中の音楽としてヴァン・モリソンとチーフタンズの「アイリッシュ・ハートビート」ってどうなの

 食事中に、ニックが「音楽をかけよう」と言ってかけた一枚が、ヴァン・モリソンとチーフタンズの「アイリッシュ・ハートビート」だった。サブリナも好きなようで、音楽に合わせて身体を動かしている。

 「これ、アイリッシュだよね」と私が言うと、家族全員が「そうだ」というので、続けて私が「アイリッシュハートビート」とアルバム名を言ったら、ハンナが「そうよ」と答えてくれた。
 家族全員が、ヴァン・モリソンとチーフタンズの「アイリッシュハートビート」を知っていて聞いてるんだ!
 私は、アイルランドに2週間ばかり、家族全員で旅行をしたことがある。娘のおかげで、というのも娘が言いだしっぺで、娘がアイルランドに行ってみたいと言ったことがきっかけの、おそらく息子にとっては一番迷惑となった夏休み中の家族旅行だった。それで結構アイルランドの本も読んだ。それで、アイルランドの話題なら、私は事欠かないようになっていた。
 小説「アンジェラの灰(Angela's Ashes : A Memoir)」の話になったときに、長男のジョンが興味を示したので、なぜと尋ねたら、学校で取り組んだことがあるという。私は「アンジェラの灰」の映画も観たことがあると彼に話した。
 いまはニュージーランドに決めてニュージーランドにいるのだけれど、留学先は当初メルボルンでコーパス言語学をやることを考えていた。もしメルボルンがダメだったら、冬はとても寒いのだけれど、ゲール語を習いにアイルランドのゴールウェイに行こうと考えていた。結局、メルボルンもゴールウェイも、日本の職場の学期制の区切りとズレていてダメだったのだけれど。
 アイリッシュは、移民の中でも特に差別的扱いを受けているエスニックグループだが、それに負けぬくらいにアイリッシュ色を出している民族でもあるし、飲んだくれているだけという悪評もあるけれど、実際に体験したアイリッシュパブでの彼らの音楽の演奏レベルは、日本人には想像もつかないくらい高くて私は感動した。アイルランドを実際に旅してから、とりわけパブを訪れてからというもの、私はアイルランドの隠れファンなのである。
 家族での食事中に、ヴァン・モリソンとチーフタンズの「アイリッシュ・ハートビート」をかける家族なんてめったにいないだろう。これは単なる音楽の嗜好というより、多分、ニックの家はアイリッシュ系、少なくともケルト系に違いないと私は考えた。

会話でやりとりをするときの礼儀

 それにしてもニックのかける曲といったら、エリッククラプトンの「レイラ」や CCR と、いわば懐メロだ。牧師の家で、私がいつも聴いているような音楽を聞くとは思わなかった。
 ニックの家族はニックのサバティカルの関係でアメリカ合州国は南部のアラバマに住んでいたことがあり、家族でその思い出話になった。
 子どもたちは、サブリナも、キャサリンも、ジョンも結構喋りたがり屋だ。とくにキャサリンが喋り屋さんで、彼女が無中になって話をしている最中に、静かにニックが「この人の喋り方、早過ぎると思いませんか」と私に向かって言ったので、私は噴出してしまった。
 それで、話は、広島の原爆の話や、世界情勢の話にまで発展する。
 相手が喋っているときは、きちんと聞く。相手が喋っている途中で、話に割り込まない。さえぎられたときは、静かに「私の話を終わりまで聞いてくれませんか」と切り返す。こうした会話のやりとりをする際の躾がよくできている。ジョンも普通に会話に参加している。日本だと、なんというか、男の子は、話をバカにして冷ややかに見ていることが結構あるのだが、この家の長男は極めて普通である。
 そう、「普通」というコトバがぴったりだ。
 ニュージーランドの家族の団欒は、内容のある話が普通に続く。彼らのクラスには移民の子どももいるし、とくにハンナがラングエッジインスティチュートでイギリス語を教えているということもあるだろう。それに、ニックが牧師であるということもあるだろう。いずれにせよ、家庭の食事の最中に、世界情勢が普通に語られるということに私は感銘を受けた。
 日本料理の話になって、「実は明日と、また別の日に、寿司パーティをやる予定なんだ」と私が言うと、子どもたちが、眼を輝かせて「寿司は好きなんだけど」というので、「お世辞じゃなくて、もしそれが本気なら、今度家族全員を招待しますけど」と提案して、彼らを招待して寿司パーティを開くことになった。
 ニックが写真機を出してきて写真を撮ろうと言う。外国人の私も少しはめずらしいのか、写真を撮ろうとするニュージーランド人を見るのは初めてだ。セルフタイマーなので、シャッターが切られる際に、「お猿のパンツ」と私が言ったら、みんな噴き出して笑ってくれた。
 この家の会話はとても楽しい。
 食事が終わって、ニックが「デザートを食べたい人」と静かに聞いて、確認してから、デザートが出てくる。「コーヒーか、紅茶を飲みたい人」と、ニックが静かに確認してから、飲み物が出される。
 「我が家は、二人とも食事をつくる。今日は彼女がつくっているので、私があなたと話ができる。もし私がつくっていたら、彼女があたなと話ができるというだけのことです」と食事前にニックが言っていたが、こうした考え方が、この家のやり方らしい。
 食事が終わって、「洗い物をしましょうか」と私が申し出ると、「食洗機にやってもらうから、今日は大丈夫。申し出てくれてありがとう」とハンナに言われた。
 休日のこと、労働休暇のこと、オークランド市長選のこと、都市生活のこと、自然環境のこと、森林伐採のこと、コーパス言語学のこと、日本の教育のこと、中国のことなど、他の家族が洗い物をしている最中にハンナと話したけれど、とても理屈の通った話だったし、私の論点もよく理解してもらえたように思う。
 ハンナと私が休暇のことを話題にして話していると、洗い物を終えたジョンが話に加わった。
 私はジョンに向かって、「ニューワールドの経営者が誰かは知らないけれど、日曜日は、ボスは働いていないでしょ。そのボスのために誰かが代わりに働いているわけね。休日用のアルバイトを雇っていると思うけれど。客にとってみれば、店が開いていることは便利だし、経営者にとってもお金儲けになる。日本は便利な国だけど、その便利さの裏で、その便利さを支えるために、自分のことを犠牲にしている人たちがいることを忘れることはできないよね。そうした人たちは、あなたたちのように、家族と一緒に夕食を共にすることができません。だから、日曜日も店を開けて、便利だ、金儲けだと考えるのは、誰かの何かを犠牲にしていることを忘れてはいけないと思うのだけど」と、私は言った。ハンナは私の意見に賛成のようだった。
 ホストファミリーも言っていたけれど、ニックはとても忙しい人だという。ニック自身も、「この家は大変忙しい家で」と言っていたけれど、私から言わせれば、家族全員で食事ができる程度の「大変な」忙しさだ。けっして"奴隷"のように働いているわけではない。
 ハンナも言っていたけれど、自分の仕事に誇りは持っているけれど、きちんと線引きして、家庭生活は確保するということなのだろう。
 さて、もう夜の10時だ。帰り際に、玄関口でハンナが「この前は差し出がましいことをしてごめんなさい」と言うので、「どうして私が寝過ごしたとわかったの。ブラインドが降りていたから」と聞くと、そうだと言う。これは、ご近所の気配りということで「普通」のことだそうだ。ご近所には、気の合う人、そうでない人、いろいろだろうけれど、ニュージーランドの近所づきあいは「普通に」悪くない。


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