なぜ、高山なおみさんになれないのか。
高山なおみさんが好きだ。本当に好きだ。
なんていったらいいんだろう。憧れ通り越して、この人になりたいと思ってさえいる。白状します。
でも、なれない。
高山なおみさんというのは、料理研究家でもあり、エッセイストでもある。
どこまでも素直に食べること、生きることを貫いていて、私がこういうのはなんだけど、40、50超えたってエロい夢を見ちゃったり、酔っ払って道端でこけたりしちゃうようなお茶目なひと。
彼女が好きだから、彼女のなにが好きなのか、なんで憧れるのかをじっくり考えたことがある。
彼女は、じぶんの哲学を持っている。
じぶんの直感を、信じている。
疲れたら寝る。断る。
それでいて、すごく臨機応変。柔軟。
木の幹、芯は硬そうだけど、
あの、小さい頃に触ったことのある曲がる鉛筆の芯が、高山さんにはある。
ちゃんと真っ黒くて変わらない芯はあるけど、全体をぐにゃんぐにゃん曲げられる。
私は、芯がないのか。
ぐにゃんぐにゃん曲がる柔軟性がないのか。
ずっと、芯のない人生だと思ってきたけど、
最近は、ちっちゃい鉛筆のカスの蓄積だと思っている。
あーこれ堪らなく好きとか、好みドンピシャ〜とか幸せホルモンめっちゃでてるーとかの蓄積が、私のだいじな芯。
たぶん、私は柔軟性が足りない。
最近、彼が、スイッチが欲しいと言う。
たぶん、要らないもの。
まーでも、やってみよう買ってみよう。
これが私のぐにゃんぐにゃん、のはず。