十月十日。
結婚してちょうど1年。2017年7月。
外は夏。全く寒くないのに、夜中に悪寒がして目が覚めた。熱でも出るのかと思ったが、そうゆう感じでもない。なんだか風邪っぽい症状も。とにかく体の調子がおかしい...
もしや。
生理予定日を3日過ぎたところで、待ちきれずにフライングで妊娠検査薬を使った。
うっすらと陽性反応が。洗面所の鏡に映る自分に「やった!」とガッツポーズをした。
夫に報告したのは、検査薬を使って2.3日経ってからのこと。ぬか喜びさせないように、確実に検査薬の反応が出る日まで黙っていた。
恋愛ドラマにどっぷりハマりやすい体質のわたしは、妊娠報告後の夫の反応を色々と妄想していた。
涙を浮かべながら、ありがとう!と抱きついてくるかなとか。万歳三唱するかなとか。
しかし、現実は「え、ほんとに?もうできたの?」と、パッとしない反応だった。
そうなるのも無理はない。妊活をスタートしてまだ1ヶ月目。夫もわたしも、こんなにスムーズに授かるとは思っていなかった。
最初の夫の反応には少しがっかりもしたが、最終的に喜んでいたのでよしとする。
そして、待ちに待った産婦人科へ。
米粒くらいの小さな赤ちゃんが、ドクドクと一生懸命心臓を動かしていた。
なんだかもう嬉しくて嬉しくて、スキップしながら産婦人科を後にした。
程なくして、悪阻がやってきた。
夕方になると胸のムカつきが出て、夜はほぼ何も食べられなかった。しかし、吐いたりすることはなく、恐れていた割には酷くない方だった。
よく耳にする"マックのポテトが無性に食べたくなる"とゆう現象は、わたしにも起きた。
味覚も変化して、普段は大好きなチョコレートが全く食べられなくなった。
5ヶ月頃には悪阻も落ち着き、夜も美味しくご飯が食べられるようになった。ご飯が美味しいと思えるのは、本当に幸せなことだ。
そして、この頃からお腹の中で赤ちゃんがポコポコと動いているのを感じるようになった。
ここから3ヶ月程度は、妊婦生活の黄金期と名付けたいほど体調の良い日が続いた。
8ヶ月頃からは、逆流性食道炎のような症状が出始めた。何を食べても胃酸が喉を上がってきて、四六時中胸のつかえがとれない。
また、大きくなってきたお腹で胃が圧迫され、息苦しくて眠れないこともあった。
それでも、お腹の中で赤ちゃんが元気に動く度に「ああ、今日も生きてる、良かった」と幸せな気持ちになっていた。
9ヶ月に入ると、ずっと逆子だった赤ちゃんも自然となおり、性別は女の子だと分かった。
性別が分かるまでは、五体満足で健康な子ならどっちでも良い!と思っていたが、ほぼ女の子で間違いないと言われた瞬間、ちょっぴり嬉しくなっている自分がいた。なんだかんだ言っても、やっぱり女の子が欲しかったようだ。
性別が分かり、本格的に名前を考え始めた。
女の子だったらお花の名前を付けたいと漠然と考えていて、それも含めていくつか候補を出し、最終的には夫に判断を委ねた。
お腹の子は、春の花の名前に決まった。
臨月に入ってからの健診では、「体の大きさに対して、頭が小さいんだよね〜」と言われていた。夜な夜なネット検索しまくり、我が子は小頭症なのではないか...と余計な心配をしたりもした。ナイーブな時期の先生からの何気ない一言はグサッとくる。やめてほしい。
出産予定日は4月12日。
早ければ3月中に産まれる可能性も十分あった。そう、学年問題...
できれば4月生まれにしたかったため「まだ産まれてきちゃだめだよ〜」と、お腹の赤ちゃんに語りかけ、なるべく安静に過ごしていた。
出産が近づいてくると、昼間は眠くて眠くて我慢できず昼寝ばかりしていて、夜は全く眠れず天井を見つめる日が続いた。
噂によると、産後は赤ちゃんのお世話で夜眠れない日が続くため、体が勝手に母になる準備をしているらしい。
結局、4月に入っても全く産まれる気配はなく、毎日のように隣の駅まで歩きながら「もう産まれてきても良いよ〜」と、お腹の赤ちゃんに語りかけていた。
予定日の前日、まだまだ産まれる気がしない。
ここまでお産の兆候がないと、このまま産まれないのかもしれないとあり得ないことまで考え、不安になっていた。
しかし、予定日の朝。
トイレに行くと下着に真っ赤な血が。
おしるしがきた。
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