【ブレイクタイム】 肩の力を抜きたい。
立ち寄った本屋で海外の雑誌を手に取り、数冊読んだ後、5年前はアメリカ人に強烈に憧れていた事を思い出しました。笑 #5年って割と最近だろ
“あなたよりあなたごと
エコノミック作家の木場 晏門です。
いきなりですが、 ここ10年でK-popは日本でも大きなムーブメントを起こしてますよね。 #突然ですみません笑
海外サッカーの試合がたくさん見れるようになったし、NBAが日本でも人気になり、洋楽が大流行、Netflixを皮切りに海外の映画コンテンツも国内で大量に消費されるようになりました。 文化への関心から観光客も増え、日本と海外の接点は過去最大と言えます。
では、そんな中で、日本人の価値観がクローバル化したかと言われれば、一概にそうとも言えないでしょう。ここは閉鎖的な島国ですから、根っこの部分は古き日本人の感性を今も持っている人が多いように思います。 #私もその1人です。
日本人である誇り
もう少し、とりとめのない話をさせて下さい。 #自覚はあるんか 私は、日本人のちょっと複雑な感情や、繊細な価値観、義理堅いスタンスが大好きです。そういった美しさのある両親のもとで育った影響が大きいと思いますが、留学をした際も、日本人である事を自慢に思う事ばかりでした。
その考えは今でも変わらないのですが、もう少し海外(特にアメリカ)のカルチャーを参考にしてみようと最近思っています。
年に数回しか連絡しない親友
先ほどの話に補足をすると、日本の文化や感性はすごく好きなのですが、私生活面ではあまりそう思っていないんです。
繊細さや義理堅さと言うものを、人のためにアウトプットする事が好きなだけで、日本人コミュニティー独特の陰湿なやりとりには何度もうんざりさせられました。疲れてしまうんです。
そういうこともあって、私にいる親友のほとんどは、アメリカの友達だったりします。一緒にいるのが楽で、リスペクトがダイレクトに伝わってくる。そんな関係性が清々しく気持ちよくて、それに対して私も日本人らしい形で敬意を表していました。
感情のONとOFF
「オンオフを切り替えろ!」かなり使い倒されたフレーズですよね 笑 正直私も耳タコで、あまり入ってこない言葉の1つになってます。 #この言葉との間に何があった
この言葉の意味や理屈は、小学生の頃には理解してました。多くの人がそうだと思います。
「そんなうまくいかないよ」 「いろいろあるんだよ」
そんな言葉を使いながら、私は物事をわざわざ複雑にしていました。対してアメリカの親友は感情がとてもシンプルで子供のように真っ直ぐだったのを思い出して「どうしてこんなに違いがあるんだろう?」ということを改めて考えてみました。
1つ考えられるのは、アメリカは多民族国家で、生活や価値観がそもそも沢山あって、人生や選択に対する答えの出し方も千差万別だから、比べる事の価値が薄いというのはあると思います。あとは、信仰がはっきり知っているので、その教えに沿って邪念を振り払う習慣があるということ。
私は、生まれも育ちも島国日本ですから、当然そのどちらにも当てはまりません。その上で私は、子供の頃からいくつかの願いを持っていました。
● 一度きりの人生だから、後悔しない最高なものにしたい ● 世の中にどんな選択肢や世界があるのか、全部知りたい ● 知ってからベストな選択を選び取りたい ● 成果を出すための正しい方法を知りたい ● 運性や先天的違いは受け入れるから、せめて納得できる材料が欲しい ● お金の仕組みについてもっと詳しく知りたい ● そして何より安心したい
10歳くらいには、ぼんやりとそんなふうに思っていた記憶があります。 そうすると、これらの材料は簡単には揃わないですから、一番下の「安心」はいつまで経っても叶わないわけです。
私は、これらの事にある意味取り憑かれていたので、この経験から作家活動を始める事にもなっています。そして今ではようやくほとんどの材料を揃えられました👏
そうした今だからわかることがあります。私の感情はずっとONでもOFFでもなく、ずっとその中間にあったんだなと。 安心できてないから完全なOFFでリラックスができない。 かといって安心できてないから完全にONにもなれない。
一番大切なのは感情のONとOFFをはっきりさせる事ではなくて、はっきりとON、はっきりとOFFできるように、安心を手にすることだと思います。
安心を確保する難しさ
今の社会では、たくさんの情報に晒されます。
「何を信じたらいいのか」 「何に期待し、夢を見たらいいのか」
とにかく振り回されまくり。かといって以下のようなやり方も私はお勧めしません。
● ケータイやネットから一時的に離れる ● リフレッシュをする ● 信仰する宛を決める
こういったやり方は、対処療法(その場しのぎ)にしかなりません。
でも安心は確保した方がいい。 それができれば、素直に喜んだり、楽しんだり、反省したり、努力したり、とにかく全ての出来事がシンプルになります。
シンプルに取り組める環境が整っていれば、人は高いパフォーマンスを発揮できることは、エコノミック作家として活動する中で私は確信しています。
人によって安心の形は違いますが、どうしたら自分は安心なのか、それははっきりさせておいた方がいいでしょう。そして、最優先でその安心を手に入れるべきです。
開けた世界
私は、8割ほどの安心を手にしたあと、その安心を維持し、必要な成長活動をする以外は「本当に何をしてもいい」とおそらく15年ぶりに、自分自身に完全に自由に過ごすことを許しました。 #限定的ではありますが
するとどうなったと思いますか?
買いたいもの、やりたいこと、沢山あったはずなのに 調べ物を始めたんです。それも何時間も止まらずに。 Netflixを見るんじゃなかったんです。 そんな自分の行動に自分自身が驚いてしまいました。
後で自分を見つめ直して分かったことですが、私の場合、Netflixを見たり、エンタメを消費することは「安心してOFFできてない自分がする事」でした。いつでもやめられるし、壊滅的に手がつけられなくなるほど、没頭しないのが分かってるからです。
では、私の場合、 どうして調べ物は「安心してOFFできたからしたくなった事」だったのか。
それは、半端に手を付けられなかったから。
本当に没頭したら、膨大なテーマに対して途方もない時間を使って、熱中してしまうことが分かっていたからです。でも、人のポテンシャルはそういう時にこそ解放されるということも私は知っています。本当に楽しかったら、他のことはどうでもよくなる。それが結果的に集中って事になるだけ。
肩の力を抜いて、今ではようやく、ONとOFFを使い分け、OFFにはやりたい事をブレーキ無しでできるようになりました。
勉強も部活も仕事も夢も
「励むために、一番最初に必要なのは、 全力でやっていいという安心感だった。」
あなたはどう思いますか?
ぜひコメントで意見を聞かせて下さい:)