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日雇いバイトと社会的ジレンマ

はじめに


皆さんは日雇いのアルバイトを経験したことはありますでしょうか。私は、肉体的にかなり疲れる仕事ですが、ライブ会場の設営や運営などの案件に入ると1日でそこそこの日当を受け取ることができたので学生時代にしばしばやっていました。

そこで今回は、私自身の実体験をもとに日雇いのアルバイトの現場で起こった事象について社会的ジレンマという理論を使って説明します。

実際に起こった事象を取り上げ説明します


大学生の時に、日雇い派遣のアルバイトの一員として幕張メッセでのライブ会場の設営に携わったことがある。そこでの主な仕事はステージの組み立てであり、ステージの足場となる資材を運んだりすることがアルバイトに課せられた作業だった。現場にはチーフと呼ばれる人がおり、チーフはアルバイトに仕事を割り振ったり、管理したりする役割を担っていた。チーフからは、「作業が早く終わればアルバイトは予定より早く帰ることができる」と伝えられた。(作業が早く終わった場合にも予定の時刻に終わった場合と同じ賃金が与えられる。)つまり、チーフのこの発言によって、アルバイトに意欲的に働くインセンティブが付与された。ただ、チーフは数十人といるアルバイトに対して一人しかいなかったので、当然目の行き届かないところも出てくる。そのような状況で、周りを俯瞰して見てみると、いつもチーフから遠い場所にいて仕事に動員されないようにしているアルバイトたちがいることに気づく。彼らは、チーフの目にふれないところではできる限りサボろうとしていた。このような状況は「社会的ジレンマ」と関係している。

どのような意思決定の構造、利得構造なのか説明します


さて、この日雇いアルバイトの現場ではどのような意思決定の構造、利得構造が存在するだろうか。
各々のアルバイトの意思決定の構造を整理してみる。まず、アルバイトには、積極的に働く「協力」という選択肢と、消極的にあるいは省エネで働く「非協力」という選択肢がある。アルバイトAとアルバイトBは、それぞれ協力と非協力のいずれかを選ぶ。アルバイトAとアルバイトBが共に協力する(労力:4)場合、予定の賃金をもらえる(+10)ことに加え早く家に帰れるので労働に費やす時間は少なくすむ(1時間)。お互い6(10-4×1)の利得を得るとする。逆に、AとBが共に非協力(労力:1)を選ぶ場合、予定の賃金はもらえる(+10)が時間いっぱいまで仕事をする(5時間)ということで、お互い5(10-1×5)の利得を得るとする。次に、Aは協力を選ぶがBは非協力を選ぶ場合、Aは積極的に働いた(労力:4)にもかかわらず時間いっぱいではないがそこそこの時間(2時間)仕事をするということで2(10-4×2)の利得しか得ず、Bは省エネで働き(労力:1)、そこそこの時間(2時間)仕事をし、予定の賃金をもらえる(+10)ので8(10-1×2)の利得を得るとする。最後に、Aは非協力を選ぶが、Bは協力を選ぶ場合、Bは積極的に働いた(労力:4)にもかかわらずそこそこの時間(2時間)仕事をするということで2(10-4×2)の利得しか得ず、Aは省エネで働き(労力:1)、そこそこの時間(2時間)仕事をし、予定の賃金をもらえる(+10)ので8(10-1×2)の利得を得るとする。
この状況は表1のゲーム利得表で表せる。(協力,協力)と(非協力,非協力)を比べると、利得6を得る(協力,協力)の方が、利得5を得る(非協力,非協力)よりも望ましい。一方、相手が協力を選ぶとき、自分の利得は非協力の方が高く、相手が非協力を選ぶときも自分の利得は非協力の方が高い。つまり、相手が何を選ぶかに関係なく、非協力を選んだほうが利得は高い。そして、二人とも利得の高い非協力を選ぶと、望ましくない方の(非協力,非協力)が実現する。個人の合理的な選択と、社会(アルバイト全体)としての合理的な選択が相反するこの状況は、「社会的ジレンマ」の一例といえる。

表1.社会的ジレンマゲームの利得表
表2.ゲームの諸条件


取り上げた事象において、 現実とモデルが示唆する結果とのズレを説明します


次に、取り上げた事象において、 現実とモデルが示唆する結果とのズレを説明する。
社会的ジレンマのモデルにあてはめると、(1)で言及した「仕事に動員されないようにしていたアルバイトたち」はある種合理的な判断をしていたということができる。むしろ誰も積極的に仕事をしない状況がナッシュ均衡のはずである。しかし実際にはそうなっておらず、現場では、積極的に仕事をする人もかなりの数見受けられた。つまり、現実とモデルが示唆する結果とのズレは、モデルでは誰もが省エネで働く状況(ナッシュ均衡)になるはずなのに、実際には積極的に仕事をする人がある程度いることだ。

そのズレはどのような要因によってもたらされたか説明します


このようなズレはどのような要因によってもたらされたのだろうか。つまり、積極的に仕事をする人、あるいは、協力的にふるまう人は、なぜ存在したのだろうか。
まず考えられるのは、仕事に対する使命感や仕事をすることから得られる貢献感などがアルバイトを協力的にさせたという仮説である。たとえアルバイトの仕事であっても、それに対して崇高な使命を見いだして積極的に働こうと思う人もいるだろう。自分のしている仕事が誰かの役に立ったと思えるとき、頑張ろうという意欲が湧いたり幸せを感じたりすることもあるだろう。特にアドラー心理学では、「幸せ」とは人の役に立ったと感じること、すなわち「貢献感」から生まれると考えられている。
次に考えられるのは、チーフからの圧力である。チーフは一人しかおらず目の行き届く範囲は限られていたとはいえ、少なからず、監視効果が働き、アルバイトを協力へと向かわせたと考えることもできる。チーフの人数を増やすと、監視力が高まり、サボる人が少なくなる可能性は高くなるだろう。
さらに、見返りが(本人からでなくても)見込めるときにも協力は成立しやすい。これは後々知ったことなのだが、現場での働きぶりがチーフに認められたアルバイトはグレードが上がり、賃金が多くもらえるようになっていくというシステムが、どうやらあったらしい。ただし、チーフに「認められる」基準は明確ではなく、恣意的な判断に委ねられることや、システム自体がアルバイトたちに広く認知されていなかったことから、このシステムが、アルバイトが積極的に働くインセンティブとして強く作用していたとはいいづらい面もある。
 また、人間に生まれつき備わっている利他性が協力を促すという指摘もある。「社会的ジレンマに直面したときに、全員が全く協力しないわけではなく、協力的にふるまう人も少なくない。このことは、社会的ジレンマの状況を人工的に作り、被験者に協力か非協力を選ばせる実験によっても確かめられている。非協力より利得の小さい協力を選ぶ理由は、その人が個人の利益より、集団の利益を重視し、利他的に行動しているからだ。近年の心理学研究によれば、人間は生まれつき利他性を持つことが明らかになっている。認知心理学者のマイケル・トマセロは、人間は幼児でも人助けをしようとするが、サルはそうした利他性を持たないことを実験で示した。人間が協力できる理由の一つは、生まれ持った利他性にあり、協力できることが人間の進化の上で有利に働いたのではないか、とトマセロは述べている。」(一橋大学経済学部,2014,p.127)先で述べた「積極的に仕事をする人」は人間特有の利他性によって協力的にふるまっていたのかもしれない。

参考文献
一橋大学経済学部『教養としての経済学』有斐閣、2014年

あとがき


大学生の時はバイト代目的でライブ会場の設営などの単発の日雇いバイトの現場を何度か経験しました。しかし、その時は経済学やゲーム理論に疎く、特に深く分析したりはしていませんでした。
何年か後に経済学を学び始めゲーム理論と出会ったときに日雇いバイトの経験と経済学の理論がリンクしたのです。
経験と知識が結びついたときはとても気持ちの良い感覚を覚えました。
点と点がつながっていくこの感覚はとても心地よく、さらなる知的好奇心を育てます。「知りたい」という欲求の先には快感が待っています。このような感覚を得ることは勉強や学問の醍醐味の一つだと強く思う今日この頃です。


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