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爪楊枝の神様(小説)

痛みに驚いて足を上げると、コンビニの弁当の爪楊枝を踏みつけていた。ああ、私はいつもこうだ。もっと気をつけなきゃ。この家にはコンビニの弁当の殻が溢れているのだから。それだけではなく、よくわからない書類やよくわからないゴミのようなもので、ほとんど床は見えない。だから、いつも細心の注意を払う必要があるのだ。

両親は私の中学校の入学式にも顔を見せなかった。私が中学生になったことはさすがに知っていると思う。制服の値段について2人でずっと奇声をあげていたから。お父さんはほとんど家に帰ってこない。何をしているかは知らない。親が何をしているか知ってる子なんて、あまりいないと思うけど。

だから私は爪楊枝のゴミを踏まないのと同じくらい慎重に、お母さんが奇声を上げたり、泣き喚いたりするのを止める必要がある。生活保護?というものを受けているお母さんは、仕事に行っていない。私が学校に行っている間は、大体お酒を飲んでいるようだ。コンビニの弁当の殻も、気づけば増えている。見えている床面積はだんだん狭くなる。でも私がゴミを捨てようとすると、やはりお母さんは泣き喚くので、そのままにしておくしかない。

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学校にいる間は、少なくともその注意が必要でないだけマシだ。勉強もそれほど大変ではない。部活には入れなかったけど、クラスには友達もいるし、ごく普通に過ごせていたと思う。家に帰るのが辛い日は、よく親切なYちゃんの家に寄らせてもらった。YちゃんもYちゃんのお母さんも優しくて、家には爪楊枝どころか埃も落ちていない。

「それはね、うちは神様に守られているからなの」とYちゃんは教えてくれた。Yちゃんの家は毎週神様のところに会いに行くらしい。神様って会えるのか、と驚いた。その神様は不思議な力を持っていて、人類の破滅を阻止するために頑張っているらしい。「この水も神様の作られた水なんだよ」とYちゃんはペットボトルをくれた。うちの水道水と違いはわからなかったが、きっといいものなんだろう。今日は爪楊枝を踏まないかもしれない。

Yちゃん家族は私にも神様に会いに行かないかと誘ってくれた。行ってみたいと思ったけど、お母さんに言う勇気はなかったし、言わずに行く勇気はもっとなかった。Yちゃんにそれを伝えると、その日以降無視されるようになってしまった。私の勇気のなさに愛想が尽きたのだろう。あんなに良くしてくれたのに申し訳ない。

別の友達のHちゃんは、よくパソコン室で一緒になって仲良くなった。音楽動画が好きらしく、私にもたくさんお薦めしてくれた。キラキラした音が心地よかった。Hちゃんは自分の家にもパソコンがあり、自分でも音楽を作っていることを教えてくれた。「いつか米津玄師みたいに有名になるんだ」と言っていて、素敵だなと思った。

Hちゃんの家に初めてお邪魔した時に、音楽ソフトを触らせてもらった。すごい、あのキラキラした音が自分にも出せるんだ。夢中になって遊んでいたら、日が暮れてしまった。まずい、遅くなるとまたお母さんが泣き喚く。帰り際にHちゃんが何か言っていたけど、慌てて帰ったので良く聞こえなかった。「バイバイ」くらい言えていたかな。

次の日、Hちゃんは有名人になっていた。ネットに曲をアップしたらバズったらしい。有名な、「絵師さん」や、「歌い手さん」たちからたくさん連絡をもらったそうだ。たくさんのクラスメイトに囲まれたHちゃんは嬉しそうだった。私も嬉しくて「すごいね!夢への第一歩じゃん!」と興奮しながら伝えたら、Hちゃんは口籠もってしまった。謙虚だから恥ずかしかったのかも。その時以来、なぜかパソコン室でもあまりHちゃんと会わなくなってしまった。

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中学校の卒業式の日、自治体?の人から、お母さんがアルコールで酩酊し、階段から落ちて死亡したと連絡があった。私はワンワン泣いた。泣きながらまた爪楊枝を踏んづけ、痛みでさらに泣いた。泣きながらたくさん、たくさんのゴミをついに捨てた。その間に母の葬儀や生活保護?の手続きは自治体の人たちがいろいろやってくれたらしい。気づいたら、お母さんの痕跡も、爪楊枝の1本も、家にはなくなっていた。

私はもともと高校に行く予定などなかったので、運よく受け入れてくれた近くの工場でコンビニ弁当の材料を詰める仕事を始めた。あんなにたくさん殻ばかりを見ていたコンビニ弁当の中身を彩る仕事は楽しかった。これを食べる家族が、どうか爪楊枝を踏みませんように、と毎日祈った。

そんな折、久しぶりにYちゃんとHちゃんから連絡があった。Yちゃんは「やっぱりもう一度、一緒に神様に会いにいかない?」と、Hちゃんは「またうちで音楽ソフトで遊ぼうよ」と、それぞれ嬉しい誘いを受けた。嬉しすぎてうっかり普段は話さない工場長にそのことを話すと、「二人とも断りなさい。あなたはあなたの神様を見つけ、あなた自身の手で音楽をつくり、発表しなさい」と言われた。普段無口な工場長の真剣なまなざしに、少しびっくりする。私にとってはそんなこと、到底ありえない世界だと思ったから。

でも、不思議と工場長の言葉が素直に耳に入ってきた私は、YちゃんとHちゃんに断りの連絡を入れた。返事は帰ってこなかった。

まずは神様を見つけようと思った。いつでも私のことを見てくれて、いつでも私の指針になる存在。お母さんの顔と、放置された爪楊枝のことを思い出した。私は、お弁当をまかないでもらったときについてくる割りばしの袋の中から爪楊枝を集め、鳥居の形を作って、それを神様にした。

毎日爪楊枝の神様を拝み、出勤する。そんな折に「これならフリーの音楽ソフトも動かせると思うよ」という言葉とともに工場長が中古のパソコンをくれた。なんというご利益だろう。私は爪楊枝神に5円を捧げ、早速あのキラキラした音と遊び始めることができた。

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「痛ッ」大人になった私が久しぶりに感じる痛み。やってしまった。昼食のコンビニ弁当についていた爪楊枝を踏んづけてしまったようだ。その痛みから、10年以上前の思い出が蘇ってきた。

あの時、音と遊び始めた私は、今は音楽クリエーターのはしくれだ。ここ最近の仕事の出来はあまりよくない。気づいたら部屋の中はコンビニ弁当の殻でいっぱいだった。あの時作った爪楊枝の神様はどこにいったのだろう。

少し足の裏から血が出ているのを感じ、絆創膏を貼る。なぜか懐かしく心地よい痛みだった。私はコンビニ弁当の殻をまとめて捨てた後、自分の足の裏を刺した爪楊枝をそっと拝んだ。

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