三、毎日を誠実に生きていたら、友達と疎遠になっていた。
二者面談でのことだった。我が子は入学して以来、友達がいないのだという。「友達ができるといいね。」と担任は本人と話したそうだ。面談の際に「そうですね。」と相槌ちを打ったが、二者面談が終わってからじっくり考えた。そして我が子にこう言った。
「友達はできてもいいし、できなくてもいい。友達ができればそれは楽しい。だからといって友達ができなくても卑下することはない。」
友達付き合い黄金期
高校時代の私は、それ以前とは打って変わって友達に恵まれた。学び舎を共にした友と将来の夢を語り合い、卒業後も定期的に会った。大学の友達には相談できないような悩みを打ち明けたこともあった。結婚を期に故郷を離れる私を、気持ちよく送り出してくれた。もう随分と会っていないが、年賀状の往来があり、SNSでは相互フォローしている。その程度の交流では、もはや友達ではないと言う人もいるだろうが、この時分に親交を深めたことが、今を生きる私の心の支えになっている。
高校時代に友達ができたきっかけは、一年生のクラスで休み時間に、席の近い者同士がなんとなく集まったものだった。気の合いそうな人を見付けて自ら声をかけるようなことは、したことがない。大学時代もそうだった。女子の少ない学部で一人ポツんと受講していたら、数人の女子学生に声をかけられて、そこから友情が芽生えた。サークルでも可愛がってもらえた。新卒で入った企業では、何故だか「ユニークな新卒」として持て囃された。この頃は友達がいるのが当たり前だったが、ここ十年以内に会話を交わした友達は殆どいない。
友達とは疎遠になった
「友達が存在するか否か」の座標軸は、私の中でいつの間にか消えていた。そして、四十歳を過ぎると友達という語すら年不相応と思うようなり、使わなくなった。彼らは、知人、恩人、友人、旧友、親友と細分化された。これらの言葉の利点は、私がそう思っていたら使えるところだ。相手が私をどう思っていようが関係ない。それに対して友達とは、相手も私を友達だと認識している前提があって用いられる言葉だ。ある種の押し付けがましさが、私には稚拙に感じられて仕方ないのだ。
とはいえ、彼らから声がかからない理由は、私に魅力がないからだ。私が必要とされていないからだ。または、彼らにとって私は過去の人間になってしまったのであろう。結婚を機に故郷を離れたこと、転勤で住まいを転々としていること、子育てしていること、病を患ったことなど、相手に気を遣わせる要因を私が作っている点はあるが、やはり今の私には「サカタニに会いたい」と思わせるものがないのだろう。残念だが、これが現実というものだ。
だがそれは、大事な人の大事な時間を私に使わせることなく過ごすことができたことをも意味する。私は少し自立できたのかもしれない。私は少しおおらかになったのかもしれない。今までのご縁に感謝しよう。家族としっかりと向き合おう。趣味を楽しもう。知的な蓄えを持とう。世界的に広がる蜘蛛の巣に何かを表現してみよう。適度に休息を取りながら。
振り回されるな 卑下するな
友達がいないことを嘆く前にやるべきことがある。それは能動的な思考を持ち、周囲に振り回されないことだ。間違っても友達がいない自分をつまらない人間だと思ってはいけない。幸いなことに、我が子は友達が学校にいない現状を悲観的には考えていない。自主自尊の校風が大きく影響しているのだろうか。私と同様、趣味に没頭し、友達がいなくても居心地が悪くないのだという。
友達ができるか否かは、当人の性格等の内部要因によるところもあるが、誰と出会うか等の外部環境に大きく左右される。自分の力で外部環境を変えるのが困難ならばなおさら、友達ができない原因を自分のせいにするべきではない。
私の人的交流は不活発だが、私自身は彼らとのつながりを感じている。彼らのSNS投稿を楽しみにしているし、私の投稿に足跡を残してくれる人もいる。当然ながらSNSが好きではない人もいるが、各々が私にとっては大切な存在だ。再会できた暁には、いろいろな話を聞かせてもらえたらと思う。その時はきっと「サカタニに会いたい」と相手に思ってもらえているのであろう。
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