🎥ジョージア映画祭2024「ペチョラ川のワルツ」を観ました

2024年9月27日　
ユーロスペース　にて

“はらだたけひで”さん

かつて、岩波ホールのスタッフとして活躍し、
今回で三回目となるジョージア映画祭の立役者である、
はらだたけひでさん。
この方の存在無くしてこれらの映画は
日本で上映されなかったでしょう。
本当にありがとうございます。

また、画家、絵本作家としてのはらださんを訪ねて、
今年3月には絵本の原画展にも伺うことができました。
勇気を振りしぼって、二言三言お話もさせていただき、
その際には『金の糸』の監督ラナ・ゴゴベリゼの
次回作を楽しみにしていることなど
伝えることができました。

歴史的背景

『ペチョラ川のワルツ』は
そのラナ・ゴゴベリゼ監督が描く、
自らの幼少期をなぞらえたような1992年の作品です。

時は1937年の旧ソビエト時代のジョージア。
スターリンの独裁政権が
ピークを迎えていたといわれる時代のことです。

体制に批判的な人々は排除され、
官僚、軍人、知識人や芸術家、一般人に至るまで
100万人が殺され、さらに100万人もの人が
強制収容所に送られたといいます。

そんな時代背景の中、
父親を粛清で殺され、
母親は3000キロも北の果ての
コトラス強制収容所に送られて、
少女アナは一人取り残されてしまいます。

自分のもと居た住まいが恋しくて、
収容されていた孤児院から
こっそり抜け出すアナ。
しかしそこは秘密警察の男に
占拠されていました。

この男が初めてこの家に入った時、
壁や暖炉の上の家族写真や
反体制的な書きつけなどを
火にくべて処分します。
それはまるで自分が
かつての家人たちの幸せの痕跡に
押しつぶされそうになるのを
防ぐかのように。

この男は、毎夜のように
反体制にかかわる人々の銃殺を監督している
冷徹な人物として描かれています。

男が留守中に家の中に入っていたアナを発見した時、
アナ絶体絶命と思いきや、
意外な成り行きで彼女はしばらくこの場所に
留まることを黙認されることとなります。

アナの名が男の母親と同じであったことが
きっかけとなったのか、
狩るか狩られるかという日常の中で
信用すべき人を持てない男の孤独が
彼女の存在を欲したのかもしれません。

象徴的なダンス（音楽）

冒頭部のかつて幸せだった頃の回想シーンで、
きれいに着飾った美しい母親がワルツを踊っていて、
アナが楽しそうに彼女に絡みつきながら
一緒に踊るシーンがあります。
アナにとってこの母親は
誇りなのだという感じが伝わります。

中盤では、待ち焦がれた母親からの手紙が手に入って、
嬉しさを爆発させるようなアナの踊りがあります。
その陽気な音楽の踊りは
母親に教えてもらったものなのか、
我を忘れて華麗なステップに没頭するアナと
それを偶然見てしまう秘密警察の男。
ここではアナがあまりに無防備なので
ハラハラしてしまいます。
案の定、母親からの手紙は没収されるし、
男はアナに対する曲がった欲望を
意識するようになります。

同じその陽気な曲が
終盤近くでも使われています。
それはクリスマスツリー
（男がアナのために用意した？！）に
デコレーションを施しながら
アナが楽し気にハミングする場面。

その裏腹で差し込まれてくるのは
凍ったペチョラ川の上を移動している
母親たち流刑者の姿です。
どこの監獄にも入れてもらえず、
極寒の中、
流浪させられる彼女たち。

その彼女たちの前に幻のように現れる
極東の先住民族の男。
3頭のトナカイが引くそりに乗って現れた彼は
疲弊しきった彼女達を見ると、
やおら獲物の魚を投げてよこします。
それはまさにサンタクロースのよう。
しばしの休息で飢えをしのいだ彼女たちに
小さな希望の灯りがともります。

自分たちがこの地獄から
解放される日の到来を信じて、
歌手の女が歌い、
みな凝り固まった体で夢見るように
ワルツに興じるのです。
“美しき青きドナウ”
それに畳みかけるようにして、
クリスマスツリーの前の無邪気なアナのワルツと、
かつての幸福な頃の母娘のワルツが
目まぐるしく交差していきます。
これは希望の前兆なのか！…
ここで激しくドアをたたく音がして、
高揚したワルツの音楽を断ち切るのです。

トナカイの男の祈り

なだれ込んできたのは、警察の男たち。
秘密警察の男は
アナをかくまっていたことを密告されて、
自らも粛清の対象となってしまったのでした。

「こっちへ来い」よばれたアナが
画面からフレームアウトして、
不安をもたらすような音楽の中、
映画は終わります。

アナはどうなってしまうのか、
想像するしかできません。
一方、北の地の女たちはいつものように、
疲れ果てた体を氷の上に
倒れこむように横たえるのでした。
それを見届けた先住民族の男は
静かにそりを駆って、雪霞ゆきがすみの中に
消えていきます。

映画の冒頭にも
この先住民族の男が出てきます。
雪の中現れたそりの男は
立ち上がって画面に向かって
十字を切ります。
目の前の流刑者たちの様子に
取った行為だったのでしょうけれど、
それは映画全体にかかる祈りのようにも思えます。

そして、秘密警察の男、
何度もアナと対立しながらも、
危険を忘れて彼女とかかわり続けたのはなぜか。
体制のためには無慈悲なこの男の目は、
その一方でこの世の無常も
見つめていたのではないだろうか。

アナのような立場の者に救済の手を
差し伸べる人はまずいないことを
男は知っていた。
それは自らの立場も
危険にさらすことを意味していたから。
現に彼女が頼りとした親戚はみんな
彼女を疎んじて遠ざけようとしました。
アナを救いたくても
自分たちの身が危なくなるので
それは出来ないのです。
そんなアナの彷徨さまよう姿に
“アンネの日記”の
アンネ・フランクが重なりました。

アナとアンネ

アンネはユダヤ人であるがゆえに
16歳で強制収容所で亡くなります。
アンネたち家族が隠れ住んでいた
屋根裏部屋での息を殺すような生活。
危険を承知で
彼女たちを擁護する人たちもいましたが、
結局密告されてアンネたちは捕まってしまうのです。

このように恐ろしいのは
自らを守るために他者をおとしめたり、
見放したりしなければ生きていけなくなる
世の中になること。

秘密警察の男がアナを擁護し続けたのは
彼の中のわずかな情のためなのか。
はたして欲情のためなのか。
または自分が支配者側の立場であることを
過信していたためなのか。

男はアナの寝姿を襲う誘惑にかられますが、
ベッドサイドにおいてあった家族のアルバムが目に入り、
静かに部屋を出ていきます。
アナの両親が彼女を守ったとも言えますが、
秘密警察の男の中に
いくばくかの良心が残っていたこともうかがえます。

粛清の嵐の前ではどんな立場の者だって
関係なく排除されていく。
恐怖や憎しみの連鎖。
このような不条理な世界の中で
不安や絶望にぶつかりながら
手探りで生きていかなければいけない少女。

アンネやアナのような心細い立場が
自分だったら？
想像するだけで
心も体も凍り付いてしまいそうです。
今ある安息がどれだけ重要であるかということも
身に染みます。

ラナ・ゴゴベリゼ監督

ラナ監督の場合は
孤児院からおばたちに引き取られて
養育されたそうです。
母親ヌツァも10年越しに
収容所からの帰還を果たしています。

その後映画監督には復帰しなかった母親ヌツァ
（映画人としての過去さえ語ることはなかったという）
でしたが、
ラナ監督はモスクワの全ソ国立映画大学に進学して
映画人となり1960年ごろから活躍。
そのあとには、ジョージアの国政にも尽力します。

1991年にソ連が崩壊、
ジョージアが独立を果たしたその翌年に
作られたのがこの『ペチョラ川のワルツ』ですが、
その後27年間映画を作っていません。

その27年間の間に
ジョージア国会議員を2期務め、
ジョージア欧州議会大使、
駐仏ジョージア大使の使命も果たされました。

『ペチョラ川のワルツ』で
ご自身の過去と向き合い、
その後ジョージアという国が
正しい方向に向かうべく政治の場で活躍、
やがて27年ぶりに91歳で
「金の糸」を制作する…その生きざまに
心よりの敬意を捧げます。

「金の糸」では自分の過去との決着と、
その後の人生をいかに生きるかというテーマが
描かれていました。

またこの作品は、
日本の“金継ぎ”という伝統工芸に
着想を得た作品でもあり、
日本とジョージアの二国間の相互理解に寄与し、
友好親善の功績を称えるという理由で、
2024年12月4日には、ジョージア日本大使より
在外公館長表彰状が贈られています。

ジョージア日本大使 石塚氏とラナ監督

ジョージアの今

折も折、現ジョージア国は揺れています。
ジョージアでは未だに
国民の自由や平安は約束されておらず、
そのために立ち上がった人々の
大規模なデモが続いています。

同じソ連の構成国であった
ウクライナは2022年からロシアの侵攻を受け、
未だに終息に至っていません。

ジョージアもその二の舞になるのではないかと
不安視されています。
ジョージアの真の独立のために
立ち上がった人々の中に
ラナ監督や娘さんのサロメ・アレクシ監督もいて、
はらだたけひでさんはSNSで
希望と応援のメッセージを送りながら
日々心を痛めていらっしゃいます。
（小さな額絵の売り上げをユニセフを通して
ウクライナとガザ地区の子供たちに寄付する活動も
なさっていました）

駐日ジョージア大使の
ティムラズ・レジャバ氏が
その楽しい人柄で人気となっていますが、
彼の発したメッセージも
決して単純なものではなく、
それだけことは複雑で
容易ならざることなのだと
実感させられます。
彼の願いは愛する祖国の平和を
子供たちに引き継ぐことでしょう。
トナカイの男の祈りは映画の枠を超えて、
現ジョージアに向けられているのです。

パン人形

劇中で極地に流刑させられていた女性たちが
寒さから身を守るために
何枚も何枚も衣服を重ね着て、
雪だるまのようになって着ぶくれしている姿、
どこか見覚えがあるなぁと思っていたら、
それは「金の糸」の中の
パンで作られた人形たちでした。

「金の糸」の主人公の母親も
強制収容所に送られていて、
その母親は配給されるパンの残りくずを使って
自分たちを模倣した人形を作っていたという
エピソードがあったのです。

それが流刑された女性たちの姿と
本当にそっくりで、そこに重いリアルを感じました。

パンの人形作りは、流刑先の女性たちにとって、
ひと時の慰みでもあり、
何らかの生きた証でもあったのでしょう。

「私たちがなぜこの地獄に落とされたのか
人々が知るために生きなければならない」
これは流刑者の女性の独白です。

生き抜いた母親ヌツァたちから、
娘ラナ監督は伝道者となってその役割を引き継ぎ、
私たちにそのバトンを渡してくれているのです。