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欲望の深さと人間的魅力について

スペックだけでは測れない異性の魅力

職場の先輩から誘われて、合コン(?)的な飲みに参加したことがある。参加者は全員先輩の共通の知り合いである。

先輩からはその中の一人の女性を推された。確かに見た目は可愛らしいし、自立して働いている。むしろなんで独身なんだろうと不思議に思うほどだ。

理由は実際に会話してみて分かった。自分からは決して他人に話しかけず、会話の内容からも「とっかかり」が見えてこない。欲望が無さすぎるのだ。

容姿に優れた女性の中には、こういう人が結構いる。自己主張などしなくても、自然と周りに人間が寄ってきて祭り上げられる。周りに反発する動機がないし、その場の流れに乗っていればロマンスなども発生してそこそこ楽しい人生が過ごせる。

思春期は自我の揺らぎによって多くの人間が反抗期を迎えるが、それは自分自身の欲望を定義づける重要な過程だ。会話とはつまるところ他人と自分の欲望をぶつけ合うことであり、欲望が薄い人間との会話はのれんに腕押しで、こちらから一方的に燃料を投下し続けないと終わってしまう。

1回や2回なら良いが、ずっと続くと流石にしんどい。ここで根気強く隠された欲望を掘り下げてくれる男性は恋愛上級者だし、そういう男性は他にもアプローチしたい女性をたくさん抱えている。

おしとやかな女性の規範を律儀に守っているうちに、いつの間にかレッドオーシャンに足を踏み入れてしまっているのだ。親たちの押し付ける理想像がいかにあてにならないかの好例である。

筋の通った欲望

この世にはさまざまな欲望があるが、人間の魅力には「筋の通った欲望」が大事だと思う。例えばこんな感じだ。

テニスの大会で優勝したい
→毎日欠かさずに練習する
→練習時間確保のために様々な工夫をして仕事を定時に上がれるようにする
→仕事の様々な工夫を他の人に共有
→組織全体の生産性が上がる

欲望からアクションが生み出され、アクションが連なった結果、新しい局面が立ち現れてくる。「これやりたい」とか「これ欲しい」だけだと単なるないものねだりだが、アクションが加わってダイナミズムが出てくると、それは人間的魅力に繋がるのだ。

では、こんなパターンだとどうだろう

テニスの大会で優勝したい
→毎日欠かさずに練習する
→しかし、なかなか2回戦を突破することができない
→もっと練習量を増やす
→でも上手くならない
→情熱が冷めてきて、惰性で大会に出続ける

同じところをぐるぐる回っているだけで、自分自身にも飽きがきて、パフォーマンスがどんどん落ちてゆく。量が増えるばかりで質的な変化がない。

勝つために優秀なコーチを探すとか、練習のための新しいコミュニティを開拓するなど、異なる角度からテニスに向き合えば人間的にもグッと深みが出る。

質的転換を目指して取り組むことが大事なのだ。同じところを周回するだけで「自分には才能がない」なんて諦めている場合ではないのである。

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