婚活を通じて実感した醜い欲望と反省点
人間関係が着脱可能になることで現れる、暴力的な欲望
別れ話をLINEで切り出され、関係を解消される経験をした。親世代からは「大事なことは顔を見て言いなさい」と聞かされて育ってきていたので、正直最初は面食らった。
しかし、いろんな人の意見を聞いているうちに、私自身の考えも変わってきた。オンラインでの別れ話は、「凹んでる自分の姿をこれから他人になる相手に見せない」「相手に食い下がる余地を与えない」といったメリットがある。
恋人関係を解消する相手にリソースなんて割きたくない、という想いがテクノロジーで実現可能になったのだ。
地方や職場恋愛など、引き続き顔を合わせることが前提の場合、対面で話をつけておかないとかえって面倒なことになる。ハードな局面を最初に乗り切ってしまうことが、感情のしこりを精算する上で最適な手段だったのだ。
ところが、都会ではコミュニティに所属することは前提とされていない。しかも出会える相手が星の数ほどいるので、こういう"アッサリした別れ方"が成り立ってしまう。
「人間関係ってこんなにアッサリ着脱可能なんだ」と肌感覚で知った瞬間、1人1人の人間が、まるでYouTubeチャンネルのように「自分が抱える欲望の一部を叶えてくれる存在」のように映るようになった。
欲望が充足すればチャンネル登録を解除して、通知が届かないようにする。決定権はこちらにある。抗議は受け付けない。他人をモノのように使い捨てる極めて残酷で暴力的な側面だ。
テクノロジーは人間の醜い欲望を増長させる側面もあるんだなと肌で実感した。まともな人間であればこのような非人間的な自分の行いで心を蝕まれ、アプリ疲れに繋がってゆくだろう。
価値観のぶつかり合いを通じた自身の欲望の整理
チョコザップは掃除が行き届かないから嫌だととある女性が言った。ユーザー自身が掃除をすると月会費が1000円安くなる制度もあるようだが、月に4回掃除したと仮定すると1回あたり250円。そんな単価でやろうと思う人はいるはずがないという。
一方、私の男友達は「この値段でこのインフラが使えるんだったら全然気にならない」とのコメント。男女の衛生観念の違いを示す好例だろう。
会社側は最初から「掃除が十分にできなくても、男性客は離れない」と狙っていたのだろうか?試しにやっているうちに「あれ、思ったより持ち堪えられるな」と気づいたと私はみている。
結局のところ、小学生でもわかるような明確な訴求ポイントがないと、業界に風穴は開かない。そのためには、現状に詳しい人間が聞いたら卒倒しそうな割り切りが必要なのだ。
他人と生活感覚をぶつけ合うことで自分の中に新たな視点が投入され、世界が広がる。新鮮な驚きがあって面白いが、この要素は自分の中で「この人と関係を進展させたい」と思う決め手にはならないなと感じた。興奮の種類が「ビジネス書を読んで新しい発見をした」のと似た性質のものだからだ。
恋愛というのはいろんな欲望と隣接しているが故に、「自分が本心では何を望んでいるのか」で迷子になりやすい。いろんなぶつかり合いを通じて自分の欲望を整理する過程を経ないと、力を入れるほどかえって幸せから遠ざかる予感がした。
相手目線で必死に考えないと身につかないもの
待ち合わせ、という行為は独りではできない。ここでいかにして余計なストレスを与えずに会えるかが、その日のデートの印象を決めると思っている。
一緒に行こうと約束した飲食店または施設があったとして、現地集合の方がよいか。それとも別の場所で集合してから向かう方が良いか。分かりやすい目印の場所は混んでいることが多いから、ちょっと外した場所にするか。(デパートや本屋は早く来た時の暇潰しもできて結構良い。次点でコンビニ)
天候は事前にチェックするが、できれば雨風が強くても影響を受けない場所にしたい。電車で来るのであれば相手が何線を利用するか聞いた上で、なるべく向かいやすい場所を指定する。
このような細かいことは、友達同士の緩い集まりではまず考えない。デートという真剣勝負の場だからこそ、相手への配慮をしようという気持ちが自発的に湧く。
相手のことを想った妥協なき思考の積み重ねは、必ず自分自身の血肉になる、と私は信じている。
そういえば、男性が女性をエスコートする上では「路上を歩く際、常に道路側を歩け」というのが有名だ。これを実現するには自分が常にお店を先に出て、コース取りをリードする必要がある。逆算すると、お店の中では相手が奥側に座るように自身の立ち位置を調整するとスムーズだ。
歩くコースひとつとっても気遣いはできる。相手には「この人といると何となく居心地がいいな」程度の印象しか与えないかもしれないが、いったんコスパは度外視して、水面の下で必死にバタ足をするのも今の自分には必要な経験だと思っている。
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