総合職と一般職 それぞれの思惑
形を変えながら日本の大企業に今も残る総合職、一般職のくくり。この区別により社内ではどんな力学が働くのかを分析してみたい。
まずは定義の確認から。
総合職・・・全国転勤が前提で、仕事内容が無限定な人たち
一般職・・・転勤の範囲が限定的で、仕事内容も総合職より少し限定的な人たち
異動でさまざまな部署を経験する総合職は、社内調整や意思決定の部分を担い、決定内容の実現を細かな知識面で補助するのが一般職というイメージだ。
そして、この一般職の方々は、人によって仕事へのスタンスの振れ幅がとんでもなく大きい。
あらゆる手段で仕事を遠ざけ、アフター5をエンジョイする人もいれば、蓄積した知識で八面六臂の活躍をする人もいる。
子育てを最優先とするため、実力がありながら総合職を降りる人もいる。
この振れ幅の大きさは自分と他人を比べる動きに繋がりやすい。
例えば、定時上がりについて。
総合職が遅くまで残業して、一般職が定時上がりする分には文句は出ない。
総合職のほうが給料が高いし、裁量も大きい。裁量と責任、負担と受益がちゃんとバランスしているからだ。
しかし、一般職の中でアフター5エンジョイ勢と遅くまで残業する人間が出ると様相は少し変わってくる。
いや、定時に帰ること自体は別に悪くはないのだが、「創意工夫が見えない早帰り」は感情面での反発が出てくるのだ。
しかも、その反発は本人に直にいくのではなくて「ちょっと、あれ言わなくていいの?」という具合に管理職にいく。
これが「バリバリ働く一般職」と「アフター5エンジョイ勢の一般職」で給料に大きな差があるのであれば不満は出ないが、そこまで大きな差が開かない日本の労働慣習だと、感情面でのしこりは加速する。
異動も限定的であり、閉鎖的な人間関係の中だと尚のこと不満は蓄積しやすい。
いわゆるお局様が、合理性からかけ離れたローカルルールを張り巡らすのは、給与面で報われない自身の貢献度を別の形で補おうとする動きなのではないだろうか。
しかし、管理職(かつ総合職)の方々もその辺は心得ている。
非合理なルールが張り巡らされると組織の能率が下がるので、担当の配置を工夫してお局様が固まらないようにし、入れ替わりのある総合職を混ぜ込んで変なローカルルールを定期的にリセットしている。
まさに「分断しつつ統治せよ」である。
ある日、管理職の方が「自分は席替えに心血を注いでいる」と語っているのを聞いた時は驚いたが、このような背景を知った今はなるほど納得である。
小学校の頃の席替えは「好きなあの子の隣になれるかな」が関心事だったが、仕事の席替えは部の目標達成率にモロに響くのだ。
管理職の人は我々中堅社員とは見えている景色が全く違うんだなぁ、と感動してしまった。
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