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寂しいという気持ち
今日、担当医の先生に、次の病院への紹介状を頼んできた。かれこれ、この病院に通い始めて18年が経つ。
それは、娘が4歳の時だ。ヒューヒューと娘の体の中から音がする。え?もしかして「苦しいの?」娘に聞くと「大丈夫…。」と。いや、明らかに異常な呼吸音だ!喘息っぽいなぁ。娘も何かおかしいと感じているような不安な顔をしている。翌日、小児アレルギー専門外来へ。
娘4歳で気管支喘息と診断される。ショックだった。可哀想。丈夫な身体に生んであげられず申し訳ない...と思った。そして、2人の通院生活が始まった。
その時はまさか、私と娘の通院生活がここまで長くなるとは...
夜に発作が起きるとまず、気持ちを落ち着かせるために、肺に取り込む空気を変えるため、ベランダに出て2人で座り絵本を読んであげた。それで、呼吸が落ち着くこともあった。しかし、それでは治まらないなというときは、救急で病院にお世話になった。
そういえば、娘が急性胃腸炎で脱水になり、入院したこともあった。
外来では、食物アレルギーやアトピー性皮膚炎の子が沢山受診に来ていた。学校の知り合いの子どもとお母さんにも何人か会ったことがある。
そして娘は、二十歳になった。大体、大人の身体に近づいてくると、周りからうちの子は小児喘息で終わって良かったと、ちらほら聞く。そんな中、娘は立派な大人の喘息に持ち越されてしまった...ショックである。
そんなんで、18年間薬を飲み続け長ーい通院をしていたわけだ。
そんな病院も今日で最後。なんだか寂しく見える。気のせいかな。良い思い出は何もないのにだ。でも、本当にお世話になった事は確かだ。年を取るとこんなにも終わることが悲しいのか。離れることがそんなに淋しいのか。たとえ病院でさえも...帰りに...娘と病院の後は、少しのご褒美としてご飯を食べた思い出の百貨店に寄る。ここにも、もう来なくなるんだなぁ。物思いにふける。
その時、ふと思い出した。私は、リハビリ型のデイサービスで働いていた事がある。リハビリがメインなので、通所している人達は比較的動ける人が多いが身体の不自由な人たちだ。その施設でのこと。いつも元気な優しい大柄な男性は、歩くのがおぼつかない。ある日、スタッフの1人が辞めると聞くと急にぼろぼろと涙を流し始めた、そして、くちゃくちゃの顔で「辞めちゃうの~?もう、会えないんだぁ~…」「○○さんには、たくさんお世話になったんだよ。」と。そして
泣きながら「年をとると別れが辛いんだよぉ~...」
高齢になると、たくさんの別れを経験してるだろうに..でも、わかるわかる。別れは辛いよね。でも、そんな?
そして、私も今。何も良いことがなかった病院を最後にして、寂しいと思う。
年をとるという事は、こういうことか...