見出し画像

お一人様の夜に思い出す、18歳の『夏祭り』

夫が子供達を連れて実家へ泊まりに行ったので、お一人様で東久留米の『スパジアムジャポン』に行ってきた。

お風呂に入ってご飯を食べてマッサージをしてもらって、帰る頃にはもう結構遅い時間になっていた。
こんな時間に外にいるのは久しぶりだなあなんて思いながら東久留米の駅で電車を待っていたら、大昔の夏の夜の事を思い出した。

ああ、あの夏祭りも東久留米だったな。

高校3年生の夏休み、私は当時付き合っていた彼氏とその友達に誘われて東久留米の夏祭りに出かけた。

こう書くと楽しい青春の思い出に聞こえるが、当時の私はすさみきっていた。

『自分以外全員優秀』な音楽学校で落ちこぼれて、生きる目的を見失って、自分の人生なんてどうでもいいと思っていた。物事を真面目に、真剣に考える事を放棄していた。

そんな時に出会ったのが当時の彼だった。春先にあった中学のクラス会で再会した同級生で、背が高いからという理由だけで飛びついて付き合いはじめたが、中身の無い人間同士の中身のないお付き合いだった。

彼の家は割と自由で、週末の夜には友達とカラオケでオールをしたりして遊んでいて、私はそれが死ぬほど羨ましかった。

うちじゃ考えられない。

いつもいつもあれもダメこれもダメ練習しろ金がもったいない親への感謝が足りない何考えてんだと追い詰められてばかり。

私だって自由が欲しい。

一度くらいオールで遊んでみたい。

深夜に彼氏と一緒にいたい。

変な意味じゃなく、彼の仲間も一緒に、ワイワイ騒ぎたい。

クラスメイトがイタリアだのフランスだのの講習会で世界的に有名な演奏家や教授のレッスンを受けている頃、私はヴァイオリンそっちのけで自由を渇望していた。

両親との関係はますますひどくなった。
些細なことで口論になり、二言目には
『あんなしょうもない彼氏と付き合ってるから』と言われる度、
私は激昂して、ますます彼に執着するようになった。

一度口論の末家を飛び出した事もあった。
彼氏に事情と居場所を伝えて待ってた所に、当たりをつけて探していた父親に見つかって戸惑っていたら、そこに彼氏が到着して「結局怖くなって親呼んだのかよ!」と勘違いされてキレられたりした。

東久留米の夏祭りは、そんな荒れに荒れて過ごした日々の成れの果てだった。

夏祭りの数日前、彼氏は誘って来たくせに私が親と揉めてるのが面倒くさかったようで「やっぱいいや、ごめんウザいわ、こないで」なんてメールを送ってきて別れ話まで出る大喧嘩をして大号泣した。
結局向こうの友達が諭したのか何なのかわからないがしばらくして謝ってきて「一緒に行こう」と改めて誘われて、私は反逆を決行することを決めた。

「彼氏と夏祭りに行く。その後オールする。夜中か次の日の朝に帰る」

両親にそう言い残して私は家を出た。もう両親は何も言わなかった。この数ヶ月の私のあまりの荒れように疲れて、呆れていたのだろう。そして私がここまで荒れるその理由にも、少しだけ罪悪感があったのかもしれない。

待ち合わせた彼氏はまだちょっと不機嫌そうで、私にはあまり構わないで友達と喋っていた。東久留米は私にとっては全く縁のない土地で、お祭りに来た人で溢れる夜道を、彼と仲間とはぐれないように歩くので必死だった。

正直、心細かった。確かに私は今自由だ。でも、私が欲しかった自由ってこんなひりひりするものなのかな。

不安な気持ちを紛らわすように、彼の友達の誰かが買ってきた本当はその歳で飲んだらダメな飲み物を、飲めるかどうかもわからないのに、いきがって飲んだ。

適当にお祭りを冷やかして、また自転車に乗って、ファミレスで休憩することになった。周りの計らいで彼氏はやっと私の隣に座って相手をしてくれた。皆でドリンクバーで何時間か粘っていたら日付が変わった。公園で花火をしようと誰かが言い出し、また自転車で移動した。

真っ暗な公園で、またいきがった何かをちょっと口にしながら、何となくもうこのまま朝までいなくてもいいかな、という気になってきた。彼氏にももう帰った方がいいんじゃないと言われ、素直に帰ることにした。

自宅までは結構距離があったが、彼は家まで送ってくれた。

道中、殆どの信号が点滅を繰り返しているだけなのが新鮮だった。

家に着いたのは深夜3時ころだったと思う。父親が起きていてなんか声をかけてきたが無視して自室にこもった。

色々あったけど、私だって自由を手に入れる事ができた。
そんな誇らしい気持ちだった。
よくわからないけど、勝ったと思っていた。
翌朝、恐ろしいだるさと汗臭さに襲われながら目覚めた私に、窓から差し込む夏の強烈な日差しが、現実を突きつけるまでは。

結局、彼とのお付き合いは、その年の秋に終わった。
彼は私の不安定さに嫌気が差していて、しばらく距離を置こうと言われてしまった。
初めは泣く泣く距離を置いたが、2、3日経つうちに私の方が、
あれ、私あいついなくても全然構わないんじゃん?と気づき始めそのまま放置してしまった。
また何日かして別の学校に通う幼なじみが、筑駒の文化祭行ってみようよと誘ってくれて盛り上がってた頃に、彼氏から『やっぱさみしい…』と連絡が来たが、『散々邪険にしておいてそれはないだろ』的なことを返したら
『''じゃけん"ってどういう意味?』と返ってきてドン引きした。
絶対読めないだろうと確信犯で『語彙が少ないね』と返して終わりにした。私も大概である。

ちなみにその後行った筑駒の文化祭では特に出会いはなかったが、彼のこともあって高学歴男子フェチになりつつあった。
実は今でも高学歴の男性には弱い傾向がある。

まあそんな思い出も20年も経つと(歳がバレバレ)、Whiteberryの『夏祭り』の歌い出しと共に、懐かしく思い出されるのである。

君がいた夏は 遠い夢の中 
空に消えてった 打ち上げ花火





いいなと思ったら応援しよう!

うろうろ〜フェット気分でヴァイオリンを〜
エネルギー欲しい方いらっしゃいませんか?売るほどあります!(≧∇≦)