Hope,in a hopeless world #2024winter-5-9
1997年から2000年にかけて、
グラスワンダーの競走馬としての約4年間はケガとの戦い
だったといっていい。
鳥が飛ぶように、魚が泳ぐように、馬たちは走る。
走るその能力が高ければ高いほど、500㎏もの体を支える
4つの細い脚にかかる負荷は増大していく。
駆ける事は4本の脚を動かして大地を蹴る事であり、
あの細い脚4本それぞれを、
凄まじい勢いで地面に叩きつける行為だ。
早ければ早いほど叩きつける回数と勢いが増えるかと言えば、
増える場合もあれば、逆に減る場合もある。
ストライド(四肢を伸縮させる幅)が大きければ、回数は減る。
その分、叩きつける勢いは増す場合が多いと思われるが、
それも一概には言い切れない。
走り方によって負荷がかかる場所が変わってくるし、走法によっては
負荷を逃がし軽減させる場合もあるだろうが、概ねどこかの脚か馬体
本体のどこかに、負荷がかかる事がほとんどと思われる。
1963年から1965年に活躍し五冠馬となったシンザン。
1964年1月に厩務員の中尾氏が、シンザンの右後ろ脚の爪が出血しているのを発見、原因が後ろ脚の脚力が増し、踏み込みが深くなり、後ろ脚が前脚の蹄鉄にぶつかっていると判明、調教師の武田文吾氏が装蹄師の福田忠寛氏と試行錯誤の結果、「シンザン鉄」と呼ばれる蹄鉄を考案し対策した事は、
競馬民の間では有名な話である。
ちなみにシンザン鉄はあくまで調教用であって、レースで使われた事は
ないらしい。
話を戻す。
グラスワンダーの怪我をした部位は多岐にわたる。
右後脚、右肩の筋肉、左脇腹、左第三中手骨(左前脚の人間でいえば
スネにあたる位置のスネ裏側の骨)骨折。
1997年12月7日、第49回朝日杯2歳ステークスで圧倒的なポテンシャルを
魅せつけて快勝したその翌年、1998年10月11日の毎日王冠まで休養し
なければならなかった時は右後脚の骨折だった。
彼は走る時、前の2つの脚を高く上げて走る。
前脚を上げた時、約500㎏の全体重が、2本の後ろ脚にかかる。
それが一完歩毎に繰り返される。
静止した状態でもなければ、ゆっくり歩きながらでもなく、
その状態が疾走しながら繰り返されるのだから、2本の後ろ脚にかかる
負荷はそのスピードも重なって、500kgという体重をはるかに超える
ものだったと推測される。
前脚を高く上げる分、滞空時間が長いから一歩一歩全体重が後ろ脚に
かかる時間も長い。
2歳時、彼は4戦全勝、圧倒的なポテンシャルを発揮した。
その間、後ろ脚には想像を絶する負荷がかかり続けていたと思われる。
2歳で年度代表馬投票で得票という前代未聞の現象の代償が、
右後ろ脚の骨折だったという気持ちになってしまう。
その後、引退するまで後ろ脚の骨折は起きていない。
調教で後ろ脚の負荷を逃がすようにしたのか、負荷がかからない
ようにしたのか、フォームの調整が行われたのではないかと思うが
真相はわからない。
次は1999年の春、3月の中山記念を回避した時は右肩の筋肉痛だった。
1999年秋の毎日王冠(東京競馬場)をハナ差3㎝写真判定で辛勝だった
事や一般的な声、故大川慶次郎氏の”右回りならルドルフ級”といった
言葉から、”中山競馬場のコースは得意だが、東京コースを苦手として
いる”といった事には、真実相当性があった。
右回りが得意なだけに、そして加速しながらカーブを周るのに非常に
長けていた(という印象が私にはある)ので、加速しながらの周回時
右肩に大きな負荷がかかり続けていたのかも知れない。
毎日王冠の前走は、スペシャルウィークとの初対決、1999年7月11日
第40回宝塚記念、施行された阪神競馬場も右回りのコースだった。
次はその1999年秋の毎日王冠後、出走が予定されていたジャパンカップ
を回避した時は、左脇腹の筋肉痛だった。
辛勝だった毎日王冠、苦手と噂された東京競馬場の左回りコースを
走る事で脇腹に負荷がかかったのだろうか。
さらに言えば、前走の宝塚記念で再び右肩に痛みを感ずるようになった
為、苦手なコースで右肩をかばいながら走った事で、左の脇腹の筋肉を
痛める事になったという可能性もある。
そして最後は、2000年6月25日第41回宝塚記念のレース中、第4コーナー
を周っている最中だったという。
尾形調教師に引退の決断をさせたのは、左前脚の左第三中手骨骨折。
馬齢5歳(当時の表記では6歳)だが、全盛期が過ぎていたというのは
当たらないのではないか、と私は考えている。
馬齢による体力、競争能力の低下というよりは、やはりその類まれな
競争能力がもたらす負荷を、肉体の生物としての構造が支えきれな
かったという事ではないかと思う。
馬も人も成分の違いは多少あれど、骨は同じ骨である。
近年、地面がコンクリートになって以来、足にかかる負荷が増した事
から、ジョギングや散歩が足の骨折に繋がるケースが増えた、という
ネットか紙媒体かも忘れたが、記事をどこかで読んだ記憶がある。
グラスワンダーの競走馬時代は、スピード重視のコンクリートの
ように硬い馬場造りにJRAが邁進していた時代でもあった。
彼は走る時、2本の前脚を高く上げると先に書いた。
高く上がった脚は、重力に疾走するスピードの負荷が加わって
地面に思い切り叩きつけられる。
走っている間一完歩毎にずっと。
それが5歳時、レースだけでなく調教時も含めて約3年半続いていた。
凱旋門賞制覇を目標の一つであるかのように掲げながら、凱旋門賞
が行われるロンシャン競馬場と真逆の馬場造りをし続ける意図が
私にはわからない。
どれだけ早いタイムが出たかではなく、どんな走りをしたか、
どれほど走り抜いたのか、”走り”が観たいのであって、
タイムは走りのスピードを判断する上での一つの指標に過ぎない。
故障で早期引退させて回転率でも上げたいのだろうか。
より多くの利益を出す為に。
回転率を上げたいのはいいが、少子化は人間だけに起きているのではない。
極論で私だけの意見かも知れないが、私は”レコード”なんてもの
には興味が無い。
今やCDもほとんど姿を消し、配信の時代である。
馬場造りに関しては、何がしたいのかよくわからないまま、もう随分と
長い年月が経っている。
(続く)