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Top Notch #2024winter-6(3/3)
一流と一流以外(一流半や二流、三流)とを分けるものとは何だろう?
腕や技術や体力ではない、と私は思う。
何の分野でもいいのだが、
個人同士で見れば、体力などは結構個人差がはっきりした形で現われる
事が多いと感じる。
しかし、体力ある者が皆一流になっているかといえばそうではない。
腕や技術にしても個人差があるとはいえ、俯瞰してみればそう大した
違いはないのではないだろうか。
多少腕や技術があったところで、それで一流になれるわけでもないと
思うのだ。
一流とそれ以外を分けるもの。
それはマインドだと私は思う。
持っている腕と技術と体力をどう使うか?
使い方を決めて実際に動かすのはマインドだ。
例えば佐々木大輔騎手は、騎手としての腕や技術は高いものをもっている
と私は見ている。
走っている馬の推進力をもっとも引き出すにはどう乗ったら良いか?
体重を後ろにかければ良いのか?前にかけるのが良いのか?
レースの前半と後半ではどっちの方が良いか違ってくる場合もある。
後ろへかけるのと前へかけるのと、その切替のタイミングはどこで切り
替えるのが一番いいのか?
あぶみにかけるのはつま先がいいのか、踵に体重をかけるようにすれば
良いのか?
空気抵抗を少しでも低くするには、姿勢を低く保つのにどの体勢を取れば
抵抗を低くかつ馬に負担をかけないフォームになるのか?
どういう脚勢の時は、他の馬とどれくらいの距離を保つのがいいのか?
馬群の中でどのポジションを得るのが一番いいのか?
空いたスペースを取りにいくべきか?そのままがいいのか?
スペースの場所によって、どこのスペースが空いた時は取りにいくべきで、どこに空いた時は取りに行くべきではないのか?
それも自分の馬と他の馬の脚勢や、スタートした後の自分の馬の位置取り
や、スタートそのものの良し悪しによっても変わってくる。
千変する様相によっていくつもの選択肢の中から、瞬時にベストを判断し
その選択を自分の肉体を使って馬に伝えなければならない。
これらはほんの一例であって、まだまだ意識しなければならない事は
いくつもあると思う。
佐々木騎手ぐらいになるとこんな事はいつも当たり前に、無意識に意識
しながら騎乗されている事だろう。
こうしたいくつもの要素について、何をどこまで、どのように意識して
一鞍一鞍乗っていくか?一鞍一鞍、何を重ねていくのか?
何をどこまで幅広く、深く、意識して乗り、鞍を重ねていくか?
こうしたマインドの幅と深度が、重ねる毎に一流とそれ以外との差を
広げていく。
意識して重ねていく者と特に何も意識せずに同じ事の繰り返しを反復する
だけの者と、気づいた時には途方も無い差がついている。
その差を埋める事はできない。
なぜなら差がついた時、そして差がついたと気づいた時、もはやそれは
距離ではなく、空間的な立体構造をもっているから。
その立体構造の中に在りながら、”埋める”という行動形態が既に間違って
おり、差がついてない状態とするには致命的に何をどうしようも
なくなっている。
と、多分、そんなような事になるのではないかと。
そんな気がする。
古川騎手は、今回の2月15日小倉第10レースの事をどう感じている
だろうか?
”まぁ、次行こう、次!”と既に気持ちを切り替えているかも知れない。
今年は1勝、騎乗回数31回。
例えば同期の永島まなみ騎手は今年4勝、騎乗回数は86回である。
通算にすると現時点で、
古川騎手、52勝、騎乗回数874回
永島騎手、114勝、騎乗回数2097回
縮まらない差とは思えない。
騎乗回数の差が大きいが、勝利数の差はさほどではない。
なぜ、永島騎手の方が騎乗依頼が多いのか?
信頼できる騎手、というイメージが関係者の間に広がっている
からなのか?
2月15日の小倉第10レース、最後の直線残り100m、ほとんど絶望的
という状況の中、古川騎手は懸命に馬を追った。
結果、1着となったシルキーガールをクビ差まで追い詰めた。
では横から幅寄せされた時は何をしていただろうか?
次に同じように、自分の馬がまともに走路を走れない状況になった時、
あるいはそういう状況に陥らない為に、どんな対処をしてくるだろうか?
永島騎手との差を埋めるのではなく、縮めて、そしてなくす事は
できるだろうか?
楽しみである。
あるいは、永島騎手との差なんて気にもしてないかも知れないし、
走路をまともに走れなかったら、まともに走れないのだから
仕方がないではないか、と無事にゴールする事に専念するのみ
かも知れない。
それならそれで良いと思う。
それなりに乗鞍があれば騎手の年収はいい。
多少余裕のある生活が送れるだけの収入があるのだから、
それ以上の為に”無理”をする事は無い。
騎手としての努力と研鑽は大事だが、無理は大事でも必要でもないと思う。
何より競馬の場合、無理のリスクと負担は本人以上に馬にかかってくる。
無理はすべきではない。
規程体重を維持できずに何回か罰金と騎乗停止となった一人の騎手がいた。
これではいかん、と何とか体重を落とそうと水抜きまでやったようだ。
以前、何かの記事で書かせてもらった大江原比呂さんである。
水抜きした結果、彼女は脱水となり騎乗できなくなって、当日乗り替わり
になるという、前人未踏の事をやってのけた。
昨年の夏ごろの事である。
その後も何とか馬に乗り続け、追い続けていた。
騎手として、お世辞にも上手いとは言えなかった彼女だが、デビューして
3か月後の昨年6月に初勝利を挙げてから、徐々に追走時に馬の上で背中が
上下に揺らぐ事もなくなっていき、勝ち鞍もデビュー1年目で4勝を上げ、段々と乗れる騎手へと向かいつつあった。
特に最後の直線、伸び脚を長時間持続させ、馬がへんな伸び方をする
時があって、それが見ていておもしろかった。
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だが、相変わらず体重調整は厳しそうに見受けられた。
毎週土日がくる度に水抜きなんぞやっていたら、騎手寿命が短くなる
どころか、本当の寿命の方が尽きてしまう。
段々乗れるようになってきただけにもったいないとは思うが、馬乗りという
ただでさえ命がけの仕事をしてるのに、その仕事の準備段階である体重計
の前でも命をかけなければならないとしたら、それはもはや無理でもなく
無謀でしかない。
まだ若い今のうちに決断できるならした方が、と思っていた。
つい先日、JRAのホームページに次のような告知がアップされた。
大江原 比呂騎手の引退
大江原 比呂騎手(美浦・武市 康男厩舎)から騎手免許の取消申請が
あり、2月1日(土曜)付けで騎手免許を取り消しましたので、
お知らせします。
良かった、と思った。
よくぞ決断された、と思う。
そして彼女は既に、違う道を歩み始めている。
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スポーツクラブで子供たちに教えるインストラクターになったとの事。
幼稚園から小学校まで体操をし、全国大会出場までした経験を持つ大江原
さんに似合いの見事な転身ぶりだと思う。
このニュースに接した2月16日、彼女に初勝利をもたらしたズイウンゴサイが、東京第6レース4歳1勝クラスの芝2400mに出走、最後の直線、大江原
騎手を背に勝った時のように、後ろからよく追い込んだが、
4着に敗れた。
(心なしか、大江原騎手の時の方が良く伸びていたように感じた)
馬名が特徴的で、(後妻業に関する何かの事か?)と思っていたが、
全然違った。
瑞雲五彩。禅語「瑞雲五彩を生ず」より。目出度い瑞兆
大江原さんが、1着を目指さして馬を追う事はもうない。
体重を落とす為に脱水になって当日乗り替わりになった事も、競馬学校を
一年留年した事も、全ての経験がプラスになっていくような、
そんな人生を生きていく気がする彼女は、”一流の転身”をした、と
言えるように思う。
このニュースに接して、ふとこんな事を思った。
どこにいても
何をしていても
どんな事があっても
あの時、それに感情を動かされた自分がいた事まで
否定する必要はない