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Hope,in a hopeless world #2024winter-5-4

あけましておめでとうございます。
2025年になりましたが、タイトルはシリーズを開始した2024で
いかせて頂きます。よろしくお願い致します。

Wikipediaより

上記はグラスワンダーという馬の血統表である。
彼はアメリカで生まれた。
1996年の9月、かの地の競り市で見かけた尾形調教師が惚れこみ、
同行していた伊東純一オーナーが25万ドルで競り落としたという。

2024年12月28日、第41回ホープフルステークス。
向こう正面で最後方からロングスパートを仕掛けたゼッケン11番、
ファウストラーゼン、先頭を走っていたゼッケン13番ジュンアサヒソラ
に並びかけるとジュンアサヒもラーゼンと一緒にスパートに入り、
2頭併せ馬で後続をグングン引き離す。

3コーナーの入り口まで2頭を離れて追走していた1番人気のクロワ
デュノールは、3コーナーで一息入れると4コーナーまでの途上で
再び前の11番と13番を一段ギアを上げたかのような猛スピードで
追走、4コーナーを周る頃には11番と13番にあと一歩で並びかける
所までせまった。

最終4コーナーから最後の直線、
橙の帽子が13番ジュンアサヒソラ、緑の帽子が11番ファウストラーゼン、赤丸がクロワデュノール
4コーナーを周る所から直線に入っても、前の11番と13番の2頭と比べて、赤丸クロワデュノール
の脚色には余裕が感じられ、楽に追走しているようにしか見えない
そのまま楽な手応えで前の2頭をあっという間に抜き去り先頭にたった6番、
赤い帽子のクロワデュノール

(全力で走ってるようには見えんなぁ・・・楽に走っているとしか・・
何か・・・あの馬に似てるなぁ)

私の頭の中に浮かんだ1頭の栗毛、それがグラスワンダーだった。

1997年4月、尾形調教師から
「外国産馬で、ちょっと面白い馬がいるんだが、乗るか?」
と声をかけられた的場均騎手(現調教師)。
(バランスのいい馬だなあ。2歳にしては、ずいぶん筋肉も発達している)
と跨った状態で、非常に乗りやすい馬だと感じたそうだ。
好印象ではあるが、別段それ以上の事は何も感じなかったという的場騎手、
それが一変したのはキャンターに入ったすぐ後だった。

(これは・・・モノが違う!)

乗り味の良さ、終いに軽くスパートを促してからの反応の良さ・・・。
間違いなく将来は超一流馬になる、と的場騎手は感じたという。

1997年9月13日中山競馬場の新馬戦でデビュー。
的場騎手は鞭を使わなかった。
2着馬につけた着差は3馬身。
続く2戦目も的場騎手は鞭を使わなかった。
自分以外の全馬に1秒以上の差、2着につけた着差は5馬身。

続く2歳GⅠ、朝日杯。
オーナー自ら「怪物」と評したマイネルラヴ(後にマイル王タイキシャトル
を1200芝のスプリンターズステークスで破り、唯一の黒星をつけさせる)、
京都2歳ステークス(GⅢ)を制し2戦2勝のフィガロ、そして
アグネスワールド(後に海外GⅠを2つ勝ち、世界の短距離王と呼ばれる)。

オーナーではなく、一般世間が「怪物」と見ていたのは、これら有力馬たちを差し置いて1番人気となったグラスワンダーである事を、単勝1.3倍の
オッズが物語っていた。

「調教師となって初めて、負けないだろうと確信した。もし他の馬に
アクシデントがあって、それに巻き込まれたら嫌だ。そこまで考えた」

尾形調教師・回顧談

「アクシデントだけを恐れた」

的場騎手(現調教師)・回顧談

2着につけた着差、2馬身。
レース後引き上げてきた騎手の一人が、「これじゃ重馬場だよ」と言った
というその時の中山競馬場の馬場は荒れていたらしい。
そのような馬場でグラスワンダーが叩き出した1分33秒6というタイムは
従来のレコードタイムを0.4秒更新、同日同距離での古馬準オープンの
タイムを0.7秒上回るという、恐ろしいものだった。

「のんびり走っていても、ゴーサインを出してからの反応が素晴らしい。
とにかく"強い"の一言」
と当時の的場は言っている。

(この馬はまだ全力で走るという事をしていない)

多少競馬を見慣れた者たちのほとんどがそう感じていたと言ってよかった。

(本気を出したら、一体どれだけ走るのだろう?)

こういった期待感は以前にも持った事がある、と昨年12月28日の
第41回ホープフルステークスを観ていて思った。
それはグラスワンダーに対して抱いたものだった。

見てくれや走り方などは全く違うが、力を抜いて楽に走っていると見受け
られる所などそっくりだ、と感じた。
似ているといっても、走っている姿を観ていて受ける印象が似ている、
という事だ。

クロワデュノールは、11番ファウストラーゼンと13番ジュンアサヒソラ
を最後の直線で楽に抜いた後、一完歩づつ確実にその差を広げていった。

ゴール前150~200m地点、13番ジュンアサヒソラはこの後ずるずる後退し、最後12着となった
ゴールの瞬間も完全にリラックスして楽に走っている様に見受けられる6番クロワデュノール

グラスワンダーの全盛期は、あの朝日杯制覇の時がピークとなる。
その後の競争生活はレースで他の馬と戦うよりも、ケガと戦っている事の
方が多かった。

忘れてはならない、と思う。
サラブレットの脚は、ひどくもろいものだという事を。

競争能力が優れていればいるほど、脚にかかる負荷は増していく事になる。

(続く)

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