哀しみのオーシャン
それは”ただのパクリだ”、と言われる事もある。
英語圏でヒットした曲に、日本語の歌詞を乗せ唄ってヒットした場合。
しかし、それによって一つの世界観を構築できたのであれば、それはそれでアリなのではないか、と思う。
例えば(例えが古くて申し訳ないが)、”雨音はショパンの調べ”。
小林麻美という人の個性を、見事に表現したと私には思える。
原曲もいい曲だと思うのだが、時が経って今聴いてみると、Gazeboという人はあまり表現力が豊かとは言い難いと感じてしまった。
なんというか、歌い方が野暮ったく聴こえてしまうのは年を取って私の耳が錆びついたからなのだろう。
(youtubeにあがっているMTVも、何で火サスみたいなソープオペラ風の内容にする必要があったのだろう?当時はあれが良かったのかも知れないが。
ラスト、宮殿みたいな邸宅が朽ち果てた情景を描きたいが為の舞台設定だったように思えてならない)
これなら小林さんの唄の方が聴きごたえがある、と感じた。
歌詞はあのユーミン。
特別私はこの曲を好きなわけではないが、それでも当時、モデルとしてはトップクラスだったが歌手としては鳴かず飛ばずだった小林麻美さんに、よくぞこの曲を合わせたものだと思う。
小林さんの個性をあますところなく表現し切っていると思え、ここまでくればパクリというより、個性とメロディの幸せな邂逅と異なる2つの性質がどこまでいっても未完のまま融合し合っている(完成してしまってはそれはもはや融合ではない)、と言ってもいいのではないかと個人的に思う。
(要するに後半何言ってるかよくわからないと思う・・・すんません)
もっと古い例えになるが、ビレッジピープルのヒット曲を日本語歌詞で歌った西城秀樹さんの”ヤングマン”。
これなど、今のLGBTを先取りしていたとも言える。
例えが飛躍してしまうが、これも随分昔のテレビドラマ『電車男』のオープニング、ELOの”トワイライト”。
曲調と画のアニメとが見事に溶け合い、個人的に、オタクの世界観をポップに表現し得た名オープニングだと思う。
”哀しみのオーシャン”という曲がある。
原曲は、前述した西城秀樹さんの”ヤングマン”と同じ、1979年、ボニー・タイラーによって歌われた”Sitting on the edge of the Ocean”。
そこそこヒットしたが大ヒットとまではいかなかったのではなかったか。
よくぞこの原曲を日本語歌詞でこの人に唄わせたものだと思う。
演歌歌手としてデビューしながら、鳴かず飛ばず、ロック歌手として崖っぷちからの再出発にこの曲を唄った。
この曲との邂逅が無ければ、後に”ボヘミアン”を唄う事も無く、この人が世に出る事も無かったのではないか、とさえ思える。
一つだけ引っかかっていたのは、邦題だ。
”哀しみのオーシャン”となっているが、哀しみを唄っているとはどうしても思えない。歌詞に”哀しみ”は出てくるが、歌詞の中の私は哀しみに暮れているわけではない。
哀しみをたたえている海を唄っているのだから、”哀しみのオーシャン”でいいではないか、とも思うのだが、歌の主人公である私は、哀しんではいないのだから納得できない。
じゃあ、何のオーシャンなら納得できるんだ?と言うと何も浮かばないのだが、この曲で表現されている心情は断じて”哀しみ”ではない。
(だからどうした?という話なのだが・・・)
この人の曲はこの曲と”ボヘミアン”以外知らない。 ※6月29日訂正 もう一曲知ってる曲があった。 やはりボニー・タイラーのカバーで”ヒーロー”である。
”ボヘミアン”は、まぁ・・・いい。
しかしこの曲を忘れる事は多分、無いだろう。
別に名曲でも何でもないのだが。
高校3年の秋、「海を見たい」と先輩に連れて行ってもらった大洗海岸。
肝心の海がどんなだったか全く覚えていない。
受験、彼女との関係、卒業してそれから・・・全て怖くて全てを投げ出したくて一時だけ逃げだしたんだ、と今になって思う。
海への道中、夜中、走っている車の中でこの曲がかかっていた。
開け放たれた窓から入り込んでくる風は、湿っていてなまぬるく、車の中のHi-lightの匂いと近づいた海からの潮の香が混ざった不思議な匂いは、不快では無かった。
「なるようにしかならねって、結局は」と先輩が言い、「そうっすね・・・そうっすよね」と私が答えた。
車の中の匂いと先輩の声と、生暖かい風がこの曲に乗って顔の周りでうねったのをはっきりと覚えている。
走馬燈とは、旅に出る当人だけに見えるものではないのかも知れない。
灯の一点として、高校3年の秋、セリカの中の匂いと声と風が、曲と共に鮮やかに記憶を走った、2022年6月27日午後2時16分の報せ。
その日その時、私の中でこの曲は初めて”哀しみのオーシャン”になった。
享年、73歳。