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Thank you for ‥‥‥ #1

年齢層高めの方になると思うが、ベトちゃんドクちゃんを覚えて
おられるだろうか?

私はすっかり忘れていた。

普段マスゴミとか言っておきながら、取り上げられた時だけ関心
持ったら、その後は放置かよ、と自分を恥じる気持ちにもなった
が、今はとにかく消息を知れた事に感謝したい。

もしかしたら思い出され、(そう言えばあの子らどうなった?)
と思われる方もいるかも知れん、と思い、ほとんどwikiからの
転記になってしまうが、共有できればと投稿させてもらう事にした。

(強く関心を持たれた方はwiki他、ご自分でwebを漁ってもらった
 方が早い。以下はwikiのリンクである)

最近、今日はどんな事があった?と、googleに日付を入れて、トップ
に出てくるwikiで、各年代毎の今日起こった大きな出来事を眺めてみる、
というのを時々やっているのだが。

1988年の今日、つまり35年前の10月4日に、ベトさんとドクさんの分離
手術が行われている。

この手術は、ベトさんが意識不明の重体となり、2人とも死亡してしまう事
態を避けるために行われたとの事。

10月4日ホーチミン市立トゥーズー病院。手術は日本赤十字社がが
支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。
ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての
17時間に及ぶ大手術は成功した

wikiより

ベトには左足、ドクには右足がそれぞれ残された。
ドクには日本から義足が提供された。

ベトさんは、術後の経過があまり良くなかったらしい。


分離後ドクは障害児学校から中学校に入学。中学校は中退したが
職業学校でコンピュータプログラミングを学び、トゥーズー病院
の事務員となった。事務業の傍らボランティア活動も行っている。
一方、ベトは重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続いた。

2006年12月16日、ドクはボランティア活動の際に知り合った、
専門学校生のグエン・ティ・タイン・テュエンと結婚。
このことは日本でも大きく取り上げられた。

らしいが、私は今日初めて知った。

結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語って
おり、簡単な日本語を話すことができる。
また、結婚後に兄ベトを引き取り、夫婦で介護していた。

2007年10月6日1時(ベトナム標準時)、兄のベトが腎不全と肺炎の
併発により26歳で死去。
2009年10月25日、ドクの妻テュエンがツーズー病院で男女の双子を出産。
それぞれ富士山と桜にちなみ、
男児はグエン・フー・シー(NguyễnPhú Sĩ / 阮富士)、
女児はグエン・アイン・ダオ(Nguyễn Anh Đào / 阮櫻桃)と命名された。

ドクは来日を重ねており、2012年8月には東北を訪れ東日本大震災で
被災した障害者たちと交流した。
その後2017年3月には、ベトナムを訪問した天皇・皇后と面会して
いる。2017年4月には、広島国際大学の客員教授に就任した。

2019年1月6日、ドクはホーチミン市に日本風の飲食店「ドク ニホン
(Duc Nihon)」を開業、しかし、2月中旬、ドクの体調不良や場所代な
どを理由に閉店した。

2020年8月28日、ドクは7月下旬に日本ベトナム友好協会大阪府連合会・
同協会京都支部を通じ、不織布マスク1万7500枚を寄付した。
テレビニュースを通じて、日本でも新型コロナウイルス感染者が増え
ていることを知り、日本の人たちを心配してのことであるという。
マスクは府内の日本語学校や高齢者施設、病院などに無償配布された。

以上が、wikiに記載されていた事からの抜粋である。
ずらずらと転記しただけで申し訳ない。
とりあえず情報を共有しておきたいと考えた。

wikiの今日の出来事を眺めるのは、習慣にしようと思う。

余談だが、いつも大体noteに投稿する時のタイトル画像を”pixaboy”
というフリー画像サイトからもらってくるのだが、この記事の
タイトル画像を、と思い、”感謝”で検索したら。

pixaboy検索結果画面より

確かにもうすぐハロウィンではあるが、やはり、英語で検索した方が
いいようだ。

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