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清々道道

“封じ手”というのは、チェスから始まったらしい。
19世紀には既に行われていたそうだ。

対局の中断時に、再開時の初手である“次の手”をあらかじめ決めておく事を“封じ手”という。
対局が2日間に渡る場合、2日目の最初の“手”を1日目の最後に決めておく。

日本の将棋で行われるようになった嚆矢は、新聞記者の発案だったそうな。報知新聞の当時将棋担当だった生駒粂蔵記者が1927年に考案し、同年から公式に使われるようになったという。

終了指定時刻を迎えた時の手番側が、次の一手を別室で記入し封筒に入れて封をし、両対局者と立会人が封に割印の形で署名後、立会人が預かり、翌朝、その立会人から対局者に開示され、2日目の対局が始まる。

報知新聞のweb版には、封じ手を記載した用紙を封筒に入れたものを2つ作り、1つを立会人、もう1つを対局場が保管すると記載されているが、5月31日の渡辺明名人VS藤井聡太竜王の名人戦第5局1日目をyoutubeのライブ配信で見ていたものの、画面手前側で立会人が1通預かったのは確認できたが、2通目があったのかどうか。

わからなかった。

第4局までで藤井竜王の3勝1敗、本局を藤井竜王が勝てば史上最年少の名人獲得<40年ぶりの記録更新>プラス史上2人目の七冠<1人目は1996年の羽生善治九段・当時25歳>となるこの一戦の1日目、休みだった5月31日は朝からPCに張り付いていた。

藤井聡太竜王が封じ手の意思表示をした時、終了指定時刻である18時30分を5分過ぎていた。
その前、“3七桂”を渡辺明名人が約1時間の長考の末に打ったのは18時14分だった。

指定時刻である18時30分近くまで引っ張られた事で、藤井竜王の集中力に影響があったのかどうか、そうした渡辺名人の作戦だったのかどうか。

想像の域を出ない。

もっとも指定時刻を過ぎたからといって、では何時までに封じ手を決めなければならないという事でもないらしい。

1977年、第16期十段戦七番勝負、中原誠VS加藤一二三戦の第7局、16時48分から加藤氏が大長考、指定時刻(17時30分)を過ぎても手を封じる気配なく、19時を過ぎた時点で同棋戦の規程にて異例の初日夕食休憩という形となり、20時に再開、最終的に加藤氏が手を封じたのは21時10分になった(休憩時間含まず3時間12分という大長考)という事例がある。

(結局この棋戦は、初日の大長考により2日目持ち時間が圧倒的に足りなくなった加藤氏に勝った中原氏が、後日「わりと楽に勝った」というコメントを残しているように、後半楽勝となったそうな)

封じ手が決まらず初日に夕食休憩が入るというのは、この中原・加藤戦の他に、1975年の第34期名人戦七番勝負第6局、中原誠VS大内延介戦があるのみで、史上この2例しかないという。

2023年5月31日、指定時刻18時30分を5分過ぎてから封じた藤井聡太竜王の手が開示されたのは、6月1日の朝9時頃だったらしい。

(仕事だったので配信に張り付くわけにもいかず、仕事の合間に観戦するしかなかった)
(あくまで仕事の合間である。観戦の合間に仕事をしていたわけではない)

(自身将棋教室に通い、何級だか位ももっているという将棋好きの上司で良かったと思う。ちなみに彼は仕事の真似事みたいな事をほんの数分やっているような気配はあったが、一日中ほとんど観戦していた。)

竜王の封じ手は“9五歩”、渡辺名人がそこに“9五同歩”としたところから、開戦となった。

前日から57手目、渡辺名人の“9五同歩”まで、両者1手ごとに長考を挟みながら、静かにじっくりと、相手の剣先を外しつつ自分のそれを差し込む間をうかがうような、間合いの取り合いとも思える打ち筋が続いたと私には見えた。

6月1日(今もう2日だが)の深夜現在、史上最年少名人が誕生したという結果は周知の通りだが、以下、私の妄想で局面を振り返ろうと思う。

本日の2つ目の差し手だった57手目、渡辺名人の“9五同歩”の次の58手目、開戦早々、最初に切り込んでいったのはやはりというか、いつもの“らしさ”を感じさせる竜王の“4七銀打”だった。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 銀1桂馬1歩1
対面側/藤井竜王 桂馬1歩1)
藤井竜王の”4七銀打”(手前から3つ目、右から四つ目で逆さまになっている銀)まで

負けじと名人“2四歩”、それに竜王が“2四同歩”、名人の“4五歩”の差し込みにかまわず、竜王は『3六』にいた名人の歩を58手目“3六銀成”と取った。

すると今度は名人が“4四同歩”と竜王の歩を取り差し込んでいったのを、“4四同銀”と竜王が跳ね返す。
この“4四同銀”で64手目であった。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 銀1桂馬1歩2
対面側/藤井竜王 桂馬1歩4)
藤井竜王の”4四同銀”(手前から6つ目、右から四つ目で逆さまになっている銀)まで

ここから名人と竜王のつばぜり合いが始まった。

“4四同銀”と名人の歩を跳ね返した竜王の銀を、65手目、『2六』にいた名人の角が“4四同角”と差し込んで取り、その名人の角を『3三』にいた竜王の角が“4四同角”と飲み込む。(66手目)

すると竜王のその『4四角』の頭に、65手目で竜王から取った銀を“4五銀打”と名人が打ち込んだ。
これが67手目である。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 銀1桂馬1歩2
対面側/藤井竜王 桂馬1歩4)
渡辺名人の”4五銀打”(手前から5つ目、右から四つ目の銀)まで

つばぜり合いは続く。
68手目、『3六』にいた竜王の“銀成”が“3七銀成”で名人の桂馬を刈り取ると名人は、『2四』にいた竜王の歩を取り“2四飛車”と差し込んでいく。

すると竜王は66手目で名人から取った角を、70手目、“4六角打”と打ち込んだ。

飛車取りである。

名人は『3四』にいる竜王の歩を取り、“3四飛車”とかわしつつ、今度は『4四』にいる竜王の角をその飛車で取りにいくという形へと切り返す。

すると竜王は、『4四』にいる角を『6六』にいる名人の歩を取って、“6六角”と切り込んでいった。

これが72手目だ。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 銀1桂馬1歩4
対面側/藤井竜王 桂馬2歩5)
藤井竜王の”6六角”(手前から4つ目、右から六つ目の逆さまになっている角)まで

結果からすれば、ここで勝負あった、と言えるのかも知れない。

竜王の70手目“4六角打”と72手目の“6六角”、この二つの角が絶妙の位置に配置された事になり、攻守ともに筋が効いていた為、渡辺名人を最後まで苦しめた、と私には見えた。

だが今日の名人はいつもの渡辺明九段とちょっと違う、と感じられた。

いつもなら(特に藤井聡太戦の時は)受けに回る事が多い印象の渡辺名人だが、72手目、竜王に“6六角”と切り込まれると、かまわずに73手目、持ち駒の桂馬を“2三桂打”と逆に切り込んでいったのだ。

王手である。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 銀1歩4
対面側/藤井竜王 桂馬2歩5)
渡辺名人の”2三桂打”(手前から7つ目、右から三つ目の桂馬)まで

名人の“2三桂打”王手に対し、竜王は長考の末“2二王”とかわす。

すると名人は、解説の棋士の方が「まさか、ここでここまで突っ込んだ手を打ってくるとは、渡辺名人にしては珍しいというか何というか・・・」と驚いたコメントを吐かせる手を打つ。

持ち駒から“3一銀打”と打ったのである。
王手だ。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 歩4
対面側/藤井竜王 桂馬2歩5)
渡辺名人の”3一銀打”(手前から9つ目、右から三つ目の銀)まで

ここから攻め込む名人と長考しつつかわす竜王という、どちらかと言えば守りから攻めに転じる形が多い名人と、序盤から攻める事の多い竜王というこの二人にしては珍しい形勢がしばらく続く。

名人の“3一銀打”に対し、竜王が『3二』から“3一同金”、その金を名人が“3一同桂成”で刈り取る。

すると竜王は78手目、『3四』にいる名人の飛車の頭に持ち駒から歩を“3三歩打”と打ち込んだ。
徹底的に受けてしのぎきってみせる、という竜王の気迫を感じた。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 金1歩4
対面側/藤井竜王 銀1桂馬2歩4)
藤井竜王の”3三歩”(手前から7つ目、右から三つ目の逆さまになっている歩)まで

名人は79手目、『2一』の竜王の桂馬を“2一桂成”で取って王手、竜王は“2一同王”と名人の桂馬を取る。

名人、『5四』の竜王の歩を取り“5四飛車”、竜王、82手目、その飛車の頭に持ち駒から“5三歩打”とすると、名人、83手目、持ち駒から“2三歩打”と『2一』にいる竜王の王からマス一つ空けた頭に打ち込んで詰め寄り、竜王はその王を“3二王”と動かし、名人の剣先を流す。

すると名人、持ち駒から“4四桂打”と『3二』にいる竜王の王に王手をかける。

竜王は王を“2三“へと動かし、83手目で名人から打ち込まれた歩を”2三王“で取る。

名人は『5二』の竜王の金を87手目、“5二桂成”で取ると、竜王は82手目に打った歩で名人の飛車を“5四歩”と取った。

対して名人は、長い間『6一』に釘付けとなっていた竜王の飛車を87手目の“5二桂成”から“6一桂成”へと斬りおろすように打ちこんでいって取る。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 飛車1金2歩4
対面側/藤井竜王 飛車1銀1桂馬3歩4)
渡辺名人の”6一桂成”(手前から9つ目、右から六つ目の桂馬成)まで

渡辺名人の、73手目“2三桂打”王手から始まった攻めは、悲しいかな、この89手目“6一桂成”までで終わった。

力尽きたといっていいかも知れない。

対局後の解説で、棋士の一人が『あの2三桂“は疑問が残る手だった。あれが敗因の一つといえるかも知れない』と言っていたが、あとがない名人が、何とかしたいと勝ちにいった結果なのだと思える。

90手目、竜王は持ち駒から“5九飛打”と攻めに転じた。

持ち駒
(手前側/渡辺名人 飛車1金2歩4
対面側/藤井竜王 銀1桂馬3歩4)
藤井竜王の”5九飛打”(手前から1つ目、右から五つ目の逆さまになっている飛車)まで

そして94手目で投了となる。

1手1手の間に長考が入った為時間はかかっているが、90手目に攻めに転じてからわずか5手で投了となった。

90手目、竜王の“5九飛打”の後、名人、持ち駒から“7九金打”。
竜王、持ち駒から“8六桂打”。
名人、“8六同歩”。
竜王、持ち駒から“8七銀打”と打った次の瞬間、即座に渡辺名人は頭を下げ、元名人となったのである。

藤井竜王の”8七銀打”で投了となった盤面
持ち駒
手前側/渡辺元名人 飛車1金1桂馬1歩4
対面側/藤井新名人 桂馬2歩4     

89手目の“6一桂成”を打った時点で、元名人は悟っていたかも知れない。

攻めに転じた後の竜王の打ち筋が絶望的に厳しいものだという事は、元名人は十分に知り尽くしていただろう。

91手目の“7九金打”は、わらをも掴むような、一縷の望みを賭け、祈りをこめて打ったものだったかも知れない。

光明を見出せる刹那の瞬間への気持ちを握りしめながら。

しかしわずかな隙も竜王は見せる事は無かった。

だが、19年ぶりに無冠となった渡辺九段の、対局後のインタビューで記者の質問にハキハキと答えるその顔は、とても清々しく感じられた。

藤井聡太名人は、相変わらず記者の質問にボソボソと答えるので何を言っているのか全くわからなかったが、それがこの人の持ち味でもあるのだろう。

彼が昼に食したという、“信州蕎麦と天麩羅膳”はとてつもなく美味しそうであった。

いつか、長野県高山村の「藤井荘」まで食べに行きたいと思う。

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