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不安から解放される情報の見極め方/not 現実逃避

緊急事態宣言2日目。

うちでは自宅勤務も何も、職場という概念がそもそも薄い(出張型だったりで現場が固定していない&書いたり事務的な、だったりも割とリモートワークスタイルに近い)ので、

自宅待機といっても生活環境的には特別な変化はありませんでした。

とはいえ。

温度差はあるものの、不安や恐れ、これからのことを考えると憂いてしまう…といった感情は普通に起こりましたし、

なんで今出ることを自粛するのか、はきちんと意識して過ごしてはいますから、さっと遠出するタイプの私的には生活の「スタイル」は大きな制限がかかっていることは確かです。

しかし。

これまでの記事でも綴ってきましたが、そういった「感情」にも向き合い自分を「まんなか」に戻すことの大切さを「生死」の重いレベルにまで強く実感できましたし、

この事態だからこそ強く炙り出されているものの実は曖昧に見て見ぬ振りをしてきた『問題』についてしっかり向き合い覚悟と、ニュートラルな視点の再確認と、を見つけることができました。

思えば、これまでの日々に“重要”と感じていて実際に優先順位を上位にして過ごしてきたことの多くは、実は単に1番大切なことから目を逸らす最もらしい口実になることばかりでした。

でも、いざ。
「当たり前にいつもそこにあった」ものやことがなくなるかもしれない!という現実に出会ってはじめて気づけた。

まず、これは「じぶん」のはなし。

もうひとつ。

この今の、世界各国がかつてない現実が繰り広げられ続けている激流の中で

びっくりするほど見えたことがあります。

それは、これまで大きな影響力を持った発信者の「正体」。

例えばスピリチュアル系の方、

例えば引き寄せ系の方、

例えば陰謀論を軸にコミュニティ運営や物販などをされていた方など。

とりわけ「これは“良く”て、あっちは“良くない”“悪い」といったメッセージを含んでいたり、

恐れを感じてしまうようなことをどんどん掘り下げて、神やスピリチュアルパワーの存在などを説かれていたり。

フォロワーもかなり多く、影響力も結構ある方がただったので、情報も細かく幅広かったりして見聞を参考にさせていただいていた発信がいくつかあったんですが…

今思うと「煽り」を喰らっていたんでしょうけれど(もちろん発信側が意識的に意図しているかどうかは関係なく、そういう受け取り方だったという意味で)

危機感が募ることで恐れのエネルギーに若干蝕まれつつも、

最悪にも備えねば!と、自分の都合の良いことばかり見るのではなく『現実』を見て目を背けてはいけない!という意識で参考にしていました。

が。

なんでしょうね…。

この見えないウイルスとの「戦い」に呈した世界の急激な変容や流れとともに

そのことには触れずに若干ズレを感じるような内容に変化していたり

いったん封印していたスピリチュアル論が再燃するもでは今そういう面から特別に見えることなどは記述はなく。

頻度は高いものの「感想)をつぶやくような発信の文末には必ず高額な『波動』商品の物販や、スクールやコミュニティへの誘導に必ず繋げていたり、

「教祖」「神的存在」としてのスタンスを強めオカルト色が強まってきたのが気になり発信元をさらに調べてみたら意外な事実がわかったり。

なんでしょう。

それまでは「すごいなあ…詳しいなあ…そんなこともわかるのか…」と関心ばかりで気にもならなかった発信側の振る舞いや表現が、

この危機的状況を伴う中で炙り出されるようにチラチラと違和感を感じる“感覚”がどうにも見逃せないレベルに勝手になっていったのです。

ほかにもそんなふうにして「フィルターが剥がれる」ような現象がことごとく起こっていますが、

「死の可能性」すら自分の中に落とし込んだ(もちろん当事者になったときに取り乱すことはあるとしても)ほど研ぎ澄まされた感覚だからなのか、

「違和感」には相当敏感になったようです。 

これは今なら多くの方が感じておられるような気がしますがどうなんでしょう?

もしそういった「あれ?なんかいままでと感じ方が違うかも?」と“違和感”を感じられたら是非掘り下げて調べてみたりすると面白いことがわかるかましれません。

ひとつだけ言えるのは「恐れ」を煽られるような情報やそうした“タイトルづけ”をしていたり、

恐れを恐れのまま敵対視したり中立の“事実”を明示していない情報には

バランスがどちらか一方に傾いた意図やエネルギーが含まれている、ということは意識してみた方がいいと思います。

というか必ず対比情報を一緒に見るようにしています。

例えば政治家批判ならその人の背景や実績、

同調しそうな自分がいたなら実際に自分がその立場であったらどうするのか、どう考えてどう行動するのか、

例えば連日の報道を借りて言うなら「死者数」があるならその対岸には「回復した方」や「軽、中等症の方」や「無症状の方」、

「感染者数」であればその対岸に「感染していない方(もしくは診断をするよりも前に無症状または超軽症ですぐに回復してしまった方も含まれるでしょう)」の数が今日(こんにち)の人口から差し引けばわかるわけです。

そうすると必ず「煽り」に喰われた状態からは脱出できます。

少なくとも「闇」や「完全な未知」や「恐れ一辺倒」ではなくなるはず。

だからといって自粛をシカトする、とか、そういった発信や情報を批判したくもなるかもしれません。

が。 
そこにも「正義」があり「愛」があります。

それを「批判」「否定」することは、同質のことを焼き直すことになってしまいます。

このことは私自身がそう捉えてしまったフェーズを経て実感しました。

そうではなく今は、「見極め」「選ぶ」ときなんだ、と。

こんなにも「世界」の見方、捉え方まで変えてくれるとは。

ウイルス🦠ってある意味すごい…。







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