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「コロナ渦」と現実の狭間でわかったこと
はじめまして。
自己紹介を書くより先に記事をあげることになったのは、他ならぬこのご時世のせい。
コロナ、コロナ、コロナ。
都市封鎖、医療崩壊、社会制裁、経済崩壊。
2020年が晴れて明けたこの1月に、こんな未来が待っていたことを誰が予測できたでしょう。
いや、ハナシはそんな他人事目線の論評なんてウェブ上に残したいわけじゃ微塵もなく。
じゃなくて、この「今」を、
はじめはめっぽう怯えて。
怯え、恐れに自分の魂を抹殺されそうになるも様々な流れを経て今、ゼロベースに戻ってきたその流れと、
この世界が激動のこの「今」手に入れた莫大な、しかもひとつじゃないギフトがなんだったか、を書いておこうと思ったのです。
突然目の前に現れた「死」の可能性
実はわたし、家族で2月の16〜19日に成田空港経由で国内旅行をしています。
実は夫がつい最近、肺気胸(肺に穴が空く症状)で療養していたばかり、
義母は長年糖尿で、減圧剤などもろもろの薬を服薬中。
旅行の予約などは年末よりずっと以前にしてあって、出発の頃はまだ中国の武漢がすごいことになっている…ということで持ちきりでしたが、
日本ではまだ対策も緊張感もなかったような、かれど個々人では日に日に勢いを増す報道と、「パンデミック」という言葉がチラホラキーワードになっていた頃でした。
が、のきなみ報道は「死亡者の症例」や「重篤になるとどうなるか」とか社会制裁や感染者となった場合の環境の激変や戦慄の走る様子。
見れば見るほど「重症化リスク群」ど真ん中である家族との突然の、隔離生活を経て葬儀もできない死別の可能性と、
これから国際空港を経由して旅をすることがいきなりその現実に直結するかもしれない、という恐れが湧きあがり、私は震え上がりました。
その前に。
わたしは子供のころから今までで、病気で病院に行ったことは5回に満たないくらいしかありません。
子供の頃と、中学時代に思わぬ大怪我をしたとき。
骨折をしたとき。
二日酔いでどうにもならない脱水症状が緩和しなくなったとき…。
そのうち累積番回数が多いのは最後ので(汗)
とはいえ30過ぎから3年に1回くらい。ここ2年間で複数回なってしまったため今は予防を徹底してます。
大人になり風邪で病院に行ったことは一度だけあるんですが、風邪薬でさらに体調が悪化し予後が良くないことを嫌というほど感じたのでそれ以来単なる風邪なら大人しく療養に専念する、よく寝る、で対処しています。
ちなみにわたしの実家の家族もみんなそんなかんじ。
だからこれまでの私にとって「死」とはとても遠くボンヤリしたもので。
それがいきなり目前に現れたときのショックをうまく表す言葉はまだ思いつけません。
結局、騒ぎが大きくなってはきていたものの、国内では感染者もまだ出ていなかったことも含め旅行は決行。
旅先は温暖な土地で海も綺麗な場所でしたから楽しいときも心地よい気分も味わう瞬間はたくさんありましたが、常にピリピリビクビクがつきままいました。
さらに帰宅後1ヶ月くらいは自分が無症状感染だったら?と旅先のその後に対する恐れの気持ちなどで、複雑な旅行となりました。
あれ?なんか様子が変だぞ?
が、その後、
が、その後1ヶ月経ってもその旅行地には感染者、発症者は出ず。(その後は数名発生の報道がありました)
私達以外にも国内外問わず旅行者のたくさん訪れる土地(今の状況は推して知るべし、ですが)ですが、報道から推測されるような影響はないようです。
そして、今回の旅で私たちはフライト輸送中の荷物の破損を経験してしまったのですが、現地でそれを話した全員に
「あー、それ絶対なんの保証もないと思うよ!何人も知ってるけど相手にされなかったり散々な対応だったって。 諦めた方がいいかもね〜。」
と言われ、
しかもコロナで航空業界も大変なことになっているという報道もすでに出ていた時期にも関わらず、
なんと、全額こちらのお伝えした修理金額を保証する承認が降りたと連絡があり、すでに支払いも完了してもらっています。
その会社はその時期すでに、主要就航都市への運行停止はされた頃でした。
ラッキーだったね、と喜びつつもなんか感じる違和感。
ここで私はようやく冷静になれました。
すぐに“事実”を見ることに集中
変だな?と思ったのは報道と、報道を俯瞰で見て様々な情報リソース(国内外含め)とを並置させて改めて数字ベースで冷静に見たときの圧倒的な『温度差』。
なんでしょうね。
報道も様々ありますし、数値データや回復をした方のレポートを報じるものも見られます。
が。たいがいはなぜかウイルスの脅威をおどろおどろしく掻き立てるようなウイルス画像のサムネイル付きで、書き出しは「死亡」とか「重症化」とか。
最近では「医療崩壊」に「ロックダウン」「経済崩壊」が半々くらいの割合のようです。
ところで、わたしには繋がってくれている友人知人がいます。
そのご家族も含め居住地域もそれぞれですし、年代も仕事のスタイルもそれぞれですがとりいそぎ感染者も発症者もゼロです。
そして近隣のママさんのお友達たちもみんなそうで、全員の知り合いやご友人どなたにも感染者も発症者もいないようです。
(もちろん今はまだ類似症状があっても受けることがハードル高いような状況もあり検査自体していないので厳密な真相はなんとも言えませんが。)
飲食店経営の知人や、ブライダルやイベントの撮影を主にしていたフォトグラファーなどは早々に影響を受けていますが
支援策など想像しているよりもスピード感を持って実施されていっている流れを見ると、悲観するのみであるかは決め付けられないところだな、も感じています。
取り急ぎ支払いなどはどの知人も「ヤバイっすね〜」とは聞くものの、蓄えや策、考えはあるようで、こちらも報道のイメージとは温度差があります。
なにより当初WHOが「これはインフォデミックだ」とコメントしたように、
確かに私達は過去のどの疫病流行時よりも個人個人が取得できる情報の量は圧倒的なものがあります。
が、その情報は往々にして発信者の意図や感情、エネルギーが付帯しているということはそこまで認識されていないように思います。
私個人、休み休み、自分勝手極まりないペースではありつつもかれこれ10年前より「発信」をしてきた身として、
受信のみされている、またはショートコメントやコミュニケーション目的のSNS利用に留まっている方の場合、
そもそも発信者の“意図”自体、推測すらしていないパターンも多いな、と。
もちろんこんな混乱の中、多くの国や都市で穏やかでない状況は確かに存在している、ということには大いに痛みも恐れも感じましたし、冒頭にあるようにうちにはすぐそばに重症化リスク対象ど真ん中の家族が1人以上います。
ですがそのおかげでいち早く覚悟を決めることができ、指針もぶれず早いうちに「温度差」を冷静に観察できました。
この激動で得したこと
なにより、わたしはこの「コロナ渦」と呼ばれる渦中にいくつもの喜びやギフトを受け取りました。
1つは
・「死」「別れ」のあまりにも鮮烈なコントラストが目前に突きつけられたことで「生」や「今」へとてつもない感謝をいちいち感じるようになった
こと。
2つめは
・明日死の可能性があるなら「今」からそのときまで心底からどうするか、かつてないほど文字通り死ぬ気で考え抜くことができた
こと。
3つ目は
・それまでは「面倒だ、嫌いだ」と思っていたことが実は全然そんなことなく、いかに邪念や余計な考察で自分のことを知らずにいたのかに気づけた
こと。
幼少時より生きることの意味や、幸せとは?お金とは?豊かさとは?愛とは?という哲学テーマを真剣に追求せざるを得ない環境and性格だったため
もともとそういうことには意識はど真ん中に向けていたはずなのに。
何十年もそういうことに取り組んできてすら、本当の意味では「目覚め」てはいなかったのかもしれない、と
とても強烈なショックを与えられたこともまた、ギフトのひとつであるとつくづく感じています。
1記事目の投稿なのに長々と、しかも時事的話題を軸に書いてしまいましたが…
うん。
とにかく大切なひとたちはみんな元気で笑うことができている。
そのことがなによりありがたくうれしく感じる近頃です。
感染や発症でつらい思いをされておられる方々には、1日も早い治癒を心よりお祈りします。
亡くなられた方々へも安らかに光へ還られておられることを深く深くお祈りいたします。