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「敵」か「味方」か?ウイルスと人間の生物学的観点を知る

今日はうちのチビすけの幼稚園入園式でした。

うちの場合満2歳から週5預かってくれるプレクラス付きの幼稚園に通わせていたので「転園」になるのでそれほど緊張感もなく…でしたが(笑)

奇しくも「緊急事態宣言」の効力発生初日でしたが前日に決行するとの連絡を受け、新しいおともだち、校舎、先生がたとのはじめての日を親子で楽しめたことはとてもうれしかったですね。

お天気も良く、感慨深い門出の日となりました。

そんな今日でしたが、明日ごろからか、この「コロナ」の最初の震源地である中国の武漢がようやく“封鎖解除”との報道を目にしました。

日本の7都市では「緊急事態宣言」の発令。

世界の多くの国や都市でもまだまだ都市封鎖の渦中であり、この新型のウイルスによる疫病の流行をコントロールはまだできていない、という状況。

イタリアでは感染のピークは過ぎたとのことで死亡者数も減少傾向、とうれしいニュースも聞こえてはいますが、

依然「闘い」「戦争」「勝利」などの穏やかとは言えぬ文言が聞こえてきます。

思えばここが、いわゆる「温度差」の原因でした。

ウイルスって「敵」だっけ?と。

そもそも人間の目では視認することすらできないし、ウイルスそのものは単に淡々と「活動」をしているに過ぎないよね…、と。

亡くなられる方もおられれば重症化する方もおられる。

もちろん、こういった方を1人でも少なくするために、の「戦い」という言葉選びもあることは重々承知しつつ、

けれど『半数以上は軽〜中等症、または無症状』という、数字が表す実態についてもまた、意識は向き。

と思っていたらある生物学者さんの『ウイルスの起源』についての記事で「ああ、なるほど。」と納得。(会員登録制ですが、氏の下記連載は無料で全文が読めます。2020/4/8現在)

(福岡伸一の動的平衡)ウイルスという存在 生命の進化に不可避的な一部(朝日新聞デジタル)

差し障りなきよう少し引用させていただくならば、

“高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。”

との一節に私は一気に謎が解けた気分に。

もともと我々と共にあったものである、ということが説として存在している(そしてある程度は検証は取れているものとして)。

そのことで少なくとも今回のウイルスのことはまるっきりの「謎」ではなくなったし(進化や変異はあれど)、

もうひとつ。

古神道、量子力学、ゼロ磁場などを交えわかりやすく「存在」や「人類の霊性」やこの世界や「現実」というものを伝えておられるManaさんという方の発信を時々参考にさせていただいているですが、

その方の今回の「コロナ」の関連の発信の中に

“ウイルスや細菌は遺伝子に進化変容をもたらす”

という一節があり、

これもまた、上述の生物学者である福岡伸一氏の記事にもほぼ同じ一節があったことで二度納得。

また氏は生物学的見解からのこんな論分も。

感染拡大する“新型コロナ” 福岡伸一が語る「ウイルスの基本的な生物学」(AERA.dot)

これを読めば、少なくとも未知なる「敵」に情け容赦なく無条件に苦しまされるわけでも、殺されるわけでもない、ということはわかります。

「敵」か「味方」か。

というタイトルですが、きちんと情報を見極めなければそこがどっちか、が問題になるかもしれませんが

きちんと「両者」を知ろうとすれば逆にそこは注目することじゃあなかったな、という意味であり

「今」この瞬間瞬間のありがたさ、
みんなが一緒にいられるというしあわせ。

こんな激動を生きている間に体験している貴重さや、このことでしかもたらすことのない大変革を体験するかもしれない幸運。

既存の、崩壊寸前ときっと多くの方が思っておられたであろう様々なシステムや“常識”、それらが大転換を遂げるであろう様々な予兆。

そんなことを日々、世界の各地のニュースを見ながら感じるこのごろです。

こどもたちの笑い声が響く夕暮れが、こんなにしあわせなものかと思える今日に生きられることを心から感謝。









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