櫻坂46 10th single『I want tomorrow to come』をどう聴いたのか〜
【櫻坂46_IWTC〜先行配信とMVを視聴して】
◇ 意欲作か⁉問題作か⁉はたまた一大傑作か⁉
”暑さ寒さも彼岸まで“とはよく言ったものだ。
日曜の雨で大気が入れ替わり、異様なほどに長く暑い夏もどうやら終わりを迎えたようだ。2ヶ月後には極寒のアニラが待っているという季節感には驚いてしまう。
その季節が移ろうこの時期に、櫻坂46も次のステージへと歩みを進めようとしている。
そして、櫻坂46 10thシングル『I want tomorrow to come』のMVが25日22時にプレミア公開された。
櫻坂46の表題曲が発表され公開されていくプロセスには今現在、いくつかの段階がある。
1つ目はティザー映像公開
2つ目は先行配信音源公開
3つ目はMVプレミア公開
そして次にTVメディアやライブでのパフォーマンス〜と…
それぞれに印象が変化し、想いが重なっていく…
この展開していく時間がとても愛おしくもある。
1st step〜ティザー映像を視る
ティザー映像からの印象は『何歳の頃に戻りたいのか?』のイメージと近いものがあるなぁと感じていた。
目についたのは”暗闇“と”灯り“か…
秋元康が「暗闇」を題材にした作品で代表的なのは、STU48の『暗闇』と、僕が見たかった青空の『暗闇の哲学者』などが上げられるが〜
そして、櫻坂46にも素晴らしく、且つとてつもなく強力な楽曲がある。
そう〜『静寂の暴力』だ。
一般的に暗闇の対義語は、例えば光明と言ったところかも知れない。
ただ秋元康の場合、光と共にあるキーワードが何かと言えば「希望」なのかな…と私は認識している。
“希望”と言えば、有名なのは乃木坂46の『君の名は希望』が連想もされるが…
2nd step〜先行配信音源を聴く〜
MV公開に先立ち、25日0時に先行配信が開始された。
ティザー映像で気になっていたワードが
〜ねぇ明日は来てくれるの?〜
単純に考えれば、「明日はあなた(君)は来てくれるのかい?」との問いかけだろうが、「明日と言う日はやって来るのだろうか?」とも読み取ることも出来る。
”希望“という視点なら「朝のこない夜はない」が当たらずとも遠からずと言ったところか…
ただ御大の詞は、いつにもまして詰め込みすぎの感がある。強いメロディーと残念ながら上手く噛み合っていない。強いて言えば難点はその辺りか…
御大には「引き算」というものを意識して欲しいとお前何様目線で言ってみたりする( )
さて、『Start over !』以来となるナスカとmellowのタッグ曲の再来に、この節目となる10thに賭ける運営側の意気込みが伺える。
曲の緩急はあるが、転調と呼ぶには少し違う気もする。
このスロー〜アップ〜スローの循環には驚いた。
当初はクィーンのボヘミアン・ラプソディを想起したが、聴き込むうちに「言うほどそうでもないな…」と思い直した。
相変わらずのナスカお得意のピアノとベースの波状攻撃には、ただただ痺れるばかりだ。
イントロからのピアノとアコギはスマートな形で我々を誘い、スローからアップに移る際のピアノの旋律が、私には井上陽水の『招待状のないショー』を連想もさせた。
この時点では歌割りはわからないが、山下のソロから入ってフロントの森田と的野へ〜
そして2列目から3列目へ〜という流れか…
谷口と松田とおぼしき歌声が、特にこちらに届いて来る。
だが、何にもまして山下瞳月の歌声だ。
『静寂の暴力』『自業自得』『もう一曲欲しいのかい?』彼女のセンター曲を上げれば、自ずとグループの方向性が浮かび上がって来る。
そこに今回の山下の歌声を聴くと、彼女が醸し出す世界は、果てしなく永遠に続き、且つ遠いものとの感覚に陥ってしまう。
終わりがないものに対して、彼女自身も満足する段階がない〜と、言うのはある意味、理屈ではあるし、そこを山下が自覚しているのかどうかは非常に興味深い。
今回の楽曲は、特にアップからスローに戻るエンディングが素晴らしすぎる!
そして何故か、今までには意識することの少なかった、まさにアイドル然とした山下瞳月をここに感じてしまったのだが、この辺りの感覚を判ってくれるご同輩はいるのだろうか?
それにしても、この悠久の世界…久遠の響き…Never ending story…
何たる余韻だろうか…
シングル10枚目にして櫻坂46の集大成を〜
と、言ってもこれまでのシングルを無秩序にツギハギにしたものでもない。
それぞれを見事に消化(昇華)させた形で、新たなスタイルを提示して見せたのだ。
恐らくシングル向き(特にアイドルとしての)とは中々思えない楽曲のアプローチではある。
これが、拡く世間にアピールするものか、界隈への一定程度の反響にとどまるものなのかはこれからのこと。
私自身としては、前作同様の爆発的なセールスに結びつかなくとも、この方向性はとても意義あるものだと思っている。
3rd step〜MVを視る。
この特異な世界観を映像でどう表現するのか?
だからこその山下瞳月センターか…
その辺りは、とてもとても興味深いものがあった。
青と黒の世界だった…
青のフロアに白の紋様は、何か海の波間の様だ。
暗闇の海に漂う孤独な姿は、まるで一人の人生にも見える。
そして、行き交う人々の場所は交差点?
例えば渋谷のスクランブル交差点とか…
好むと好まざるとに関わらず、他人と接触しなければ成立しない世界〜それが社会…
人と交わり、人の温もりを知る時もある…
〜Reality is not what it seems〜
曲中、男性の声で流れている台詞〜だと、言われている。
現実は目に見える姿とは異なる…
別の表現では、
見えるものが全てではない…だろうか…
眠った時に視る“夢”と重ね合わせての意味合いもあるのかも知れない。
その比喩の解釈であれこれ想いを巡らせていたら、突然「現実」のパフォーマンスに衝撃を受ける。
スローパートからアップテンポパートに移行する時に現れた黒のフォーメーションだ。
黒い衣装〜黒を使うのは、自信の現れだと聞いたことがある。
10thにたどり着いた彼女たちは今、自信と確信を持って威風堂々と黒の衣装を着用している。
「カッコイイ」という表現が陳腐に聞こえる程に、決まりすぎている。しかし、ただ「カッコイイ」のである。
一人ひとりを映像は捉えているが、その割合には差異がある。
私が見た限り、山下瞳月はセンターだから当然として、三期生の谷口愛季、的野美青と二期生の森田ひかる、藤吉夏鈴、山﨑天が特にフィーチャーされているように感じた。
1stからこれまでグループを牽引してきた三人と、これからグループの中心となるであろう三人が、特に印象に残った。
それにどんな意味合いがあるかは敢えて記すまい。
10thを大きな節目として、グループのさらなる飛躍を期しての決意表明とも映る。
エンディングに捉えた山下瞳月をみると涙の跡が見てとれるのだが…
演出なのか自然と溢れ出たものなのかは今は解らない…
途中、山下瞳月も立っていた交差点が何やら暗示的ではある…
さて、楽曲と映像が上手くマッチしていたかと言えば正直微妙かも知れない。
ここはやはり、次の段階〜Next stepのメディア、ライブの場でのパフォーマンスに委ねることとなるのだろう。
私が櫻坂46のアーティスト写真で一番好きなのは、3rdシングル『流れ弾』のものだ。
今回のアー写も、そのレヴェルに近いエモーショナルな感動を与えてくれた。
RPGの世界と言えばそうなんだろう。
メンバーの画面構成が帆のようにも見え、櫻坂の新たなる出航〜旅立ちだと映っている。
これまでの中間集約を受け、今後の方向を指し示す。
ここにもグループとしての決意をみるのであった。