悪い奴は誰だ 2
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いつも通りに弁当と朝食を二人分用意して、覚醒の遅い同居人がふらつきながらも洗面台に行くのを見送ってから学校に向かう。
下駄箱を見て、教室を覗くまではいつも通りだった。問題はその後だ。全くの予想外というわけではなかったのに、どうしてあんなに取り乱してしまったのか自分でもわからなかった。衝動的な行動は避けるように努力していたはずなのに、人気がなかったのがいけない。明らかに人目があるとわかればもう少し自制心が働いたはずだ。
今のところ、誰にも見られてないはずだ。
廊下で手を洗いながら、差し込む光に目が眩みそうになる。頭痛がするのも太陽のせいにしておきたい。目の裏に心臓が移動したように脈を打つのを感じる。誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。
口をすすいだ水の薄紅色が排水溝に吸い込まれているのを横目に、蛇口を閉める。ハンカチで手を拭いてから、腕時計を確認した。一定のリズムで動く秒針を見て、呼吸を意識する。足音がそれに重なった。
吸う、吐く、吸う、吐く。タン、タン、タン、タン。吸う、吐く、吸う、吐く。タン、タン、タン、タン。
足音は俺の隣に気配が現れると同時に止まった。腕時計を袖の下に戻して、親指で口角を拭う。気配に身体を向けた。
今、一番会いたくない人物が立っていて、笑えてきそうだった。そんな気力はないが。
「おはよう。今日は早いね」
立っていたのは身長170センチ以上の体格のいい男だ。四組の豪打である。整えられたパンチパーマは今日も健在だ。小学生の時はちゃんと部活をやっていたらしいが、中学に入ってから不良デビューしたらしい。名前が豪打なのだから、折角だし野球部にでも入って自慢の角刈りを坊主にすればイメージも変わる気がした。
「こんな時間に学校とはご苦労なこったな」
手入れをしている頭は別として、しわしわのシャツはズボンから出したまま、豪打はにたにたと下卑た笑いを浮かべている。汚物は消毒ともいうし、アルコールを拭きかけてあげたい。今回はお供のハエもおらず一人のようだ。うんこは卒業できたらしい。意外と群れてなくても動けるのかと僅かばかり感心した。
俺の挨拶を無視した豪打は、持っていたスマートフォンを俺に向ける。
「面白いものが見れるって聞いてなぁ。思わず早起きしちまったぜ」
シャッター音からするに一枚撮られたようだ。
酷い顔を撮られてたなー。データを本体ごと消去したいなー。
「撮るなら撮るって言って欲しいね」
「けっ、有名人気取りか、松毬」口の端だけ笑った豪打が俺をのぞき込むように近づく。「お前、前々からすかした態度がムカつくって思ってたけどよ。本性はろくなもんじゃねえな」
そういいながら、豪打が持っていたスマートフォンを俺の前に翳した。
画面に映っていたのは四組の教室と俺だ。勢いよく教壇を蹴り飛ばす瞬間がばっちりと記録されている。途中で顔をアップしているところをみると、録画した人間は映画監督のセンスがあるのかもしれない。
自分の醜態を客観的に見るのは初めてだった。余裕がなさすぎて殺したくなる。暴れるなら楽しく暴れないと駄目だ。先の期待に胸を躍らせて、最悪でも博打でもするようなドキドキでなければ、駄目だ。
そうじゃないからこんなことになる。撮影者に気づかないほど感情的になっていたのかと思うと、数十分前の自分に冷水を浴びせてやりたかった。いくら鯨土町が地元に比べて田舎で危険も少ないからといっても、何が俺の足下を掬うのかわかったものではないのだ。
「これ。他の奴らが見たらどう思うだろうなぁ?」
画面と俺を交互に見ながら、豪打が粘着質のある言い方で聞いてくる。
なんだ、お前、構ってちゃんか?
残念ながら、遊んでやれるほどの余裕はないので勘弁して欲しい。
「脅迫してるの?」
「なにいってんだ? 脅迫なんてしねぇよ。俺が言いたいのはな」肩に手を回されて、その重みと温度に吐き気がした。ほんの僅かだが、豪打には似合わない甘い香りがする。俺はその匂いをよく知っていた。「お前も俺らと同じなら、そんなつまんねえ生き方じゃなくて楽しくやろうぜ」
なにそれ、相手がお前じゃなかったらすごい魅力的なお誘いなんだけど。
ただ、この場で正直にお断りするのは得策ではない。回された手は俺が逃げないようにするためのものだ。武器がない状態での力の差を考えると不利である。
「楽しく、ね。具体的な計画でもあるの?」
「当たり前だろ、兄弟」
俺が排泄物と兄弟なわけないだろ。心の中だけで毒づいて、頬を噛む。あんまり思考が偏ると顔に出そうだ。
「お前、随分と森石と仲良しみたいだけどよ。あいつの母親がサブマサウルスを使って人殺しの計画を立ててたって話は知らねえだろ」
いきなり突拍子もない話が出てきて、思考が停止した。
森石と母親とサブマサウルスまではなんとかわかる。なんでそこに人殺しの計画となるのか。
そんな俺に構わず豪打が話を続ける。
「元々は学者だか、研究者だかなんだったからしいんだけどよ。サブマサウルスを育ててるうちに、思い通りに従わせる方法を見つけたんだと。実際に殺されたやつもいたが、政府としては利用価値がある話だろ? それで今は政府の監視下で表には出られないんだとよ。森石の顔の傷はそれで復讐しに来たやつに切られたらしいぜ」
よくもまあそんな妄想ができるものだと笑い飛ばしたいところだが、気になる情報があるのは確かだ。
俺が知っているのは森石の父親は自分しか親はいないと言ったことと、森石に傷をつけたのは当時のクラスメイトだということだけだ。ただ、母親に関係するのであれば、森石がサブマサウルスに対して好きでも嫌いでもないが気にする理由はわかる気がした。
「……それで?」
話の続きを促せば、豪打が笑みを深める。むかつく顔だ。
「親がそんなんだったら、森石がサブマサウルスを従わせる方法を知っててもおかしくねぇだろ? でなきゃ、あんな寂れた場所に通うわけがねぇ。けど、これを知ってるのは俺たちだけだ。俺はみんなを助けるために、あいつをどうにかしないといけないわけだ」
豪打のいう『俺たち』は単純に俺と豪打の意味なのか、その情報源のことなのかはわからない。
その話がすべて事実であれば、森石が危険人物というのは正しい。だが、豪打にしたってその話を本気で信じてるわけじゃないだろう。
こんなもの豪打のやろうとしていることを正当化するための理由にしか過ぎない。俺はみんなを思って行動したといえば、ただ楽しいからそうしたというよりも意味があるように見えるだけの話だ。
「そのために協力して欲しいってこと?」
「物わかりがよくって助かるぜ、松毬」
そう言った豪打は意気揚々と楽しい計画とやらを語り始めた。
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