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第二回福井観光アカデミア
今日は福井観光アカデミア〜福井駅周辺編〜の2回目に参加。
江戸〜幕末の福井がお題であったが、幕末から現在までの街の変遷を中心に。街ガイドの講義とすれば、この内容がより有益。
福井駅周辺は空襲と震災で、二度も街全体が焦土と化した。しかもそれ以外にも変遷が大きかった。城郭は街をほぼ覆うほど巨大で、明治以降二ノ丸、三ノ丸が徐々に埋め立てられた。そしてその跡を知る手掛かりは少ない。
そんな意味で、今日は近代福井を知るには大変有意義な内容であった。
百間堀という巨大な堀が駅前にあったが、その位置を示す印が街中にある。自分にとっては新発見だ。新栄商店街内に不思議な小坂がある。これは長らく謎であったが、堀を埋め立てた名残であった。今と昔の地図が頭の中で重なり合っていく。面白い発見の連続だ。
明治の街並と現在では大きく違っていた。現在デパートや商店街がある商業地域は、県庁や学校があった。官庁街に近かったようだ。今やほぼ歓楽街である片町が商業地域を担っていた。因みに現在の片町中心にお堀が通っていた。その為西半分に町屋が並んでいた。片側だけが町だったわけだ。それで片町となった。なるほど。金沢にも片町という名がある。その謂れも同じらしい。では歓楽街的な役割を担っていたのは?それは今尚料亭が多く残る浜町だ。
今の駅前は震災後形作られた。
本来の城址は巨大であって、東京ドーム30個分の敷地であった。それを現在の風景と重ね合わすのは楽しい作業だ。
福井は空襲と震災で、とにかく目に見える遺構が残っていない。観光遺産が無いのだ。しかし歴史的には重要な地域で、ガイドをする技量は非常に重要だろう。学術的知識は勿論必須だが、エンターテイメントとして如何に成立させるかも重要と思う。
それと最後に廃藩置県後の越前松平家の話も面白かった。東京へ移り住んでいたが、一時本丸を買い取って、今の中央公園辺りにお屋敷を建て住んだそうだ。その後東京へ戻ったが、今尚福井との関わりは深いようだ。
本丸跡は現在県庁と県警本部が建っている。城址に何て無粋な…と言われる事度々だが、県庁が建つ前は農地として耕されていた。本丸は荒れ放題だったらしい。事が及ぶと騒ぐものだが、それまでは放ったらかし。そんなモノだろう。
現在福井駅前は猛烈な勢いで開発が進んでいる。6〜7割完成している。そんな中での講義だ。観光ガイドとしてだけではなく、街の歴史を語り継ぐ意味でも重要な事業と思う。参加出来て光栄だ。