優雅と悠々自適と貧乏性
いきなり同居家族でも小生のスポンサーでもある家族の施設入所で独りで一軒家に放り出されて半年以上が経過している。今の所カツカツ生活だけど、仕事を探さなければというほどのものでは無い。
仕事をしなくてもいい。人はこれを「優雅」と言うか。当事者から言わせてもらうと細々(こまごまと)と用事(家族の郵送物とか自分の分とか各種手続き)やイベント(町内会)が発生するのでとても小生の考える「優雅」とは程遠い。忙しいので。
優雅と悠々自適。隣り合わせで存在するある意味類似する言葉だ。
小生が「悠々自適」と思うには、独り残された一軒家の諸課題を片付ける必要がある。それを他人に任せる事が出来る立場にあれば随分楽にはなると思う。だがそれらを他人に事を任せるとなると当然だけど有償となる。自分でやる事は貧乏性と言われたりする。
つまり当たり前の事だけどカネモチは優雅である。悠々自適である。
人生は死ぬまで修行だと小生は思っている。
「優雅」「悠々自適」は貧乏性の小生には生涯縁が無い言葉だろう。