見出し画像

思想と信念と宗教と #03 それでもまだ正しさ争いするのか


宗教、信仰、思想、信念、主義、教義、スピリチュアル、神…。

これらのキーワードがこの頃やたらと目につく鼻につくので、
この違和感について書きたかったのですが、どんどん長くなってしまってとうとうシリーズ3。

この違和感、胸の中でモヤモヤっとする感じ。

ことの発端は、昨年YouTubeで非二元スピーカーの動画サーフィンをしていた時から。

探求中の方で同じように非二元サーフ中のかたならわかるかも知れませんが、
初めはそれぞれが同じことを言っているように感じるんですよね。

非二元てキーワード少ないから。

そのうち、もともとそのスピーカーの持っているボキャや知識や感性や個性のようなものが見えてきて、
だんだんと言い回しや表現の違いのようなものがわかってきます。

ただ、どうしても話の内容上、同じような言葉を使って表現されています。
でも、どうやら人によってその解釈、使い方が違う。

それを聞き分けられるようになって、だんだんと理解(?)のようなものが深まり、
それが深まれば深まるほど、
今度は逆にどんどんわからなくなっていきます。 


探求のはじまり



人生の折り返しあたりで、自分のこれまでの人生とこれからの人生を見つめ直したくなる時期が来ます。

私の場合はちょうどその頃、更年期的な症状の体調不良と会社の経営不審での将来不安、ついでコロナ禍と重なっていました。しかも結局会社辞めちゃったし。

この先どうやって生きていけばいいのかの葛藤から、暗雲の中で悶々とした不安な状態から、無意識に探求が始まっていたように感じます。

私の場合の探求の始まりは、
何段階かのフェーズがありました。

1:もっともっと向上したい、手に入れたいという欲求から、自己啓発セミナーや動画や自己啓発本を漁りまくる。
(主に哲学、ビジネス、心理、潜在意識の書き換え、現実創造)

2:その流れから願望実現のための「引き寄せの法則」に引き寄せられる。なんとなく、自分以外の大きなエネルギーのようなもの、波動は確かにあるなと気づく。
(しかし、思考の仕方に注力しすぎて自ら波動難民・引き寄せ難民になっていく)

3:さらにその流れ、人生の苦しさ+思考方法の苦しさから人生のシナリオ・魂の使命などスピリチュアルな方向に関心が向く。
(しかし昨今のスピリチュアル界隈は、陰謀論とオカルトと宇宙人と天使と龍と神と宗教と高次元がごちゃ混ぜの世界。
知らない不思議な世界をひと通り、見回ったあたりでしっくり来るものはどれなんだろうと無意識レベルの模索が始まる)

4:よくわからないまま、宇宙の仕組みや量子力学、仮想現実、ホログラム宇宙論、今ここ、時間は存在しないなど。禅や仏教や般若心経なども織りこまれてくる。

5:そこで気になる言葉が厳選されて、全てのキーワードがシンプルにまとまったような感じになり、悟り・非二元・ノンデュアリティにたどりつく。

「ああ、きっとこれが知りたかったことなんだろうな」と、やっとしっくり来る。

非二元を視聴する探求者は大体こんな感じの流れで聞いておられると思います。

非二元・悟りについての概念を得たあと、
その確証が欲しくなって
ひと通りの本を漁り読みします。
マハラジやラマナ・マハルシや、エックハルトトール、トニーパーソンズ、大和田菜穂さん、雲黒斎さん、横山紘一さん、神との対話、禅の本、般若心経の解説、それから脳科学や意識に関する本などかな。

関連する動画も何回も見ます。

それは「どうやら本当らしい…」と自我が確信したいがためです。

ひと通り、自我が確信すると今度はどのタイミングでそれが起きたのか気になり始め、
彼らの、それが起きた前後のストーリーに注意を傾けます。

初めはたくさんのライブ動画で質問できるタイミングがあれば、してみます。
どのスピーカーさんあてにでも大体、みんな同じ質問になると思います。

いつどこで、何してたら気づいたのか、から始まり、


①私はいない、とは?
②分離がなく全てが自分だった、とは?
③時間が幻想とは?
④今こことは?
⑤ただ起きている、何も起きていない、とは?
⑥自我ってなに、またはエゴとは?
⑦この現実は夢のようなもの、とは?
⑧空と色とは?
⑨結局、あるのないの?
⑩善悪はないってどういうこと?


このあたりをベースに、似たような質問が飛び交い、
質問者もスピーカーも毎回同じような問答を繰り返すわけです。


「これしかない」
「ただそうであるだけ」
「ただ起こっただけ」
「ただ湧いただけ」
「ありのまま」
「中心がない」
「行為者がいない」

 あとは

「それはストーリーですね」
「それは概念ですね」


そういうのを何度も聞いてると、だんだんと

「あ、これはどうやら言語思考、概念以外のことを指し示しているっぽい」

と気づくようになります。
だから、いくら思考しても考えても無駄なこと。思考以外の話だから。

それなら瞑想してみたり、公園でぼーっとしたり、お風呂でリラックスしている方が
むしろいいかも知れない。

当然ですが質問そのものがなくなります。

相変わらず、動画の視聴や読書もしますけど積極的な参加というよりは、ただ見てるだけ。

そうこうしてる小さな気づきがちょこちょこあったり、
人によっては大きな一瞥体験があったりするでしょう。

それと同時に、たしかに思考は静かになってきます。

時には、ほっといても良い流れが来てるようにも感じます。



気づきに定義があんのか

探求者の多くは、気づきが起きたら穏やかな性格になり、ジャッジがなくなり寛容になると思っています。

私もそう思っていました。

でも、最近のYouTubeではモヤモヤっとした違和感を感じるようになることがあります。

モヤモヤというか
イライラ?かな。

概念のない世界の話しをしているはずなのに、
それは悟りではない、とかあの人は気づきじゃなくてただのスピリチュアル、とか
有名無名問わず、名指しで(あるいは匂わす感じで)あれは違う、と中傷しているようなのとか。


「まだ気づいていない」「一枚挟んでる」「悟っていない」「まだ個人のまま」

正直、見ていると確かにモヤモヤムカムカしてきます。

ご本人たちは、それぞれ自己のない状態で「このキャラから勝手に言葉が出ている」だけかも知れませんが、
まだよくわからないリスナーから見れば、見下されているようにも、師弟関係のようにもみえてきます。 

どうして悟りたいのか問いかける人もいます。
なんだろ、教祖?亀仙人?

その問題を無事突破したものだけに門は開かれるの?
何もないけど門はあるんだ。
どこかのゲートと同じだね。

まるで入門試験されてるかのような感じ。

悟りや気づきに資格でもあんのかよ。

たしかにそんなモヤモヤが、純粋な探究心を惑わせる。


本当にこの人、悟ってるのだろうか。
そんな猜疑心が湧いてきます。

確かに苦しさから解放されたいと願うのは自我かも知れません。

でも、これらのメッセージを聞いているのもやっぱり自我なんですよね。
自我は自分を傷つけられるとめっちゃ怒り出しますから。


それ以前に、
解釈や使う言葉のセレクトはそれぞれみんな違うのに、
なんで「あの人はまだ気づいていない」「悟っていない」「個人のまま」と言えるのでしょう。

(まあ、確かに明らかに違うな、という悟り系YouTuberもいますけど)

だからリスナーから攻撃されても仕方ないとも思います。

どんなに悟った人だったとしても、人の悪口ばかり聞かされるのは
気分はよくありません。

だから、モヤモヤしているリスナーの気持ちもよくわかります。

反論したくなるのも人として当然の反応だと思います。

が、しかし
また新手が現れてきます。
もう、これこそが人間のサガ、自我そのものかも知れないけど。



それでもまだ戦いを挑むのか、探求者たちよ


今度は、「気づいてない認定」された元探求者たちが
その反論・反証動画を上げていたりします。

タイトルから、おすすめに上がってくるので見てみたら、
数名の非二元の元探求者たちが、非二元スピーカーの語る内容を
被害者気取りで自分達のモヤモヤを吐き出し、
名指しでスピーカーをまるでインチキのように言っていました。

お金のためとか、台本があるとか。

その数名の中には、悟り系ブロガーや悟り系YouTuberもいたりして、ショック。

吊るし上げ動画(笑)

みんなで反論すれば怖くないのでしょうね。

自分は被害者側で、探求難民だと。
(自分で探求始めたんでしょうに)

その方たちも結局は、「自分たちにもわからないのに、相手を誹謗中傷しているだけ」です。

お互いに根拠のない話をして、根拠のない否定をしあう。

いつの間にか否定することが「正しい主張」にすり替わっていて、結局は正解を提示できない。

正解などもともとどこにもないから
出せなくて当然だけど。

こうやってちょっとした火種に油注いで、無益な戦いが始まっていく。


ただ起こっていることだけだからと、言い放って言いっ放しのスピーカー、

逆に自分らは被害者だと言わんばかりに、
あれは嘘だインチキだと撒き散らす元探求者たち、

そしてそれに気分を害してこうして愚痴を書いている私自身も、

小さな火種をわざわざ大火事にして
わざわざ自分で火傷をしにいく。


ここだけではなくて、
今の社会がこんな感じ。


あれもこれもいちいち問題。 
そんなことまで問題なの?というくらい些細なことまで。

エゴの大好物の問題フェス。 
どんどんカオスになってゆく。

特にこういう、目に見えない世界はね。

なんとなく、すっきりもしっくりこないので
モヤモヤします。
釈然としないわだかまりがまた火種として残る。

しっかり鎮火しとかないと。

なんだか嫌だな、と思っていたのは自分になんらかのの偏見があるからかもしれません。

ま、そんなに嫌なら見なきゃいいんだけどね。



また長くなったので、次回。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?