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次元の話ーレイヤー編ー
前回のつづき、次元の話です。
前回は超ざっくりした次元の話を書きましたが、今回は次元そのものがどういう状態にあるのかについてです。
正直いうと物理は苦手です。だから興味はあっても理解するのも時間かかったしましてや説明するのはとても難しかったです(それなのにざっくりと)
本当にお話ししたいのは精神世界のことなんですが、どうしても表現するための言葉が物理と精神世界では重なることが多いんですよね。
三次元とか五次元とか、宇宙とか。
だから、科学的に証明するだの定義づけるだのなんだのという話ではなくて、これはあくまで私自身が納得した話を記載しているだけです。なので他の人と解釈が違うかも知れませんがそこはお愛想ということであまり責めないでくださいね(^^;)
また前置きからです。
いつ本題に入れるんだろうか(@@;)>
次元はレイヤー構造
前回でも書きましたが、次元は自分の存在する次元より一段下げた次元しか認識することができません。
ですから、私たち三次元の住人は目の前のものやことを二次元の視野で見ています。
だから何ごとも表面上の物事しか捉えられません。よくよく注意を向けて見たところで、本質を見抜くことなど、ほぼできません。
言語だったり感覚だったりの補足があって、ようやく情報量を増やすことができますが、それすら本質を見抜いたというわけではないんです。
例えば「自分」
「自分」という存在を正確に認識しているのは「自分」です。
しかも自分自身の姿ですら表面しか知り得ません。
そして自分から見た「他人」はあくまでもその人の表面です。
他人から見た「自分」もあくまで表面上の視覚情報でしかありませんよね。その逆も同様です。
あとは見たり聞いたり触れたりした感覚で情報を捕捉していますが、その人本人ではないので、もちろん全てを分かり得るわけがありません。
今、見ているその人(まあ人に限らず目の前のこと)のその瞬間を捕捉情報をもって捉えているだけですから、なんの本質も知れるはずがありませんよね。
そして補足情報はいつでも、自分の理解しやすいように偏向解釈をしてしまいます。
もし何かを理解している気になっていれば、それはほぼ偏りのある思い込みで、物ごとのどこか一面を深く解釈したに過ぎません。
全てを理解しようと思ったらその人本人や事象と同化するしかなく、しかも4次元以上の高い視座で見なければなりません。
自分自身ですら自分で理解できないことだらけなのに、他人はもちろん起きている現象を全て捉えることは到底不可能ということです。
全てを捉えたいのならば、高い高い視点で見るしかないわけです。
どんどん次元をあげていけば、いずれ一つの「全体」になります。
そこでようやく物事の本質に近づくわけです。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54326239/picture_pc_ec01e61ce381df9a3da84cd65dde47c2.png?width=1200)
次元はレイヤー構造になっているとは、こういうことです。※イメージ図
PCやタブレットで絵を描いたことがある人ならわかると思いますが、一つの絵を完成させるにはいくつかの層の画面にそれぞれに絵を描いて、それを組み合わせてひとつの絵を作ります。
レイヤーに次元の名前をつけて、それぞれに見えている情報を組み合わせていくと、一番上の層でようやく一つの全体像になります。
この図はあくまでレイヤー構造の説明用なので、見えている画像は単純なお花ですが、
例えば今の地球で何が起こっているか、かつて何が起こっていて今に至るのかなど、その層から見えている現象そのものの認識のされ方が変わります。
次元が低ければ物ごとの一部、高ければ全体が隅々まで理解できるということです。
地球は三次元。三次元の住人の私たちが認識できるのは二次元までです。
上の図はあくまでイメージ図とはいえ、全体を把握できる情報は明らかに少ないですよね。…そんなもんなんです、実際も。
だから補いきれない情報をもっと増やしたいがために、今はインターネットがあって、IoTでなんでも繋げたがっているわけですよね。
便利便利とおもしろありがたがって利用してはいるけど、結局媒介するデバイスに依存するってのはいかがなもんだろう?何かに依存しなくては生きられないシステムってどうなのよ。
ムーンショット計画でしまいには人間もネットにつなげて…(なんか脱線しそうなのでこの話はまた今度)
まあ、言いたかったのは私たち3次元世界では、宇宙も含めた見える現象のほんのわずかしか認識できてないんですよ、ということです。
科学やテクノロジーの発達で、ここまで分かった!とか言っても実際は意外とわかっていないことばかりなんですね。
視座の違い
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54326844/picture_pc_4971d8f3dd922bcaac83005ac26ec8fb.png?width=1200)
視座とは見ている場所(座)のこと。
1次元より2次元の方が情報量が多いですし、2次元よりも3次元、3次元よりも4次元というように、次元が上がれば上がるほど認識できる情報量が圧倒的に変わります。
もちろん高次元に階層が上がれば、それらを一瞬で読み込むことができます。宇宙の全てとまではいかないまでも、一瞥体験や見性体験などされた方は相当量の宇宙の情報を、一瞬で読みこまされたのだと思います。
その量、おそらく5Gなどの比ではございませんね、おそらく。言語や映像などといった限定的な伝達方法ではなかったはずです。
話し戻して、次元というのはレイヤー構造なので、階層は一段ずつ上がっていますがイメージ図を上からの視点に変えると(本当は上も下もないんですが)、階層が上がれば上がるほど全体を含んでいくようになります。
なので私たちのいる3次元も例えば5次元や7次元の一部ということになります。
つまり上に行けばいくほど3次元など「丸見え」になってしまうわけです。
逆に高次元が低次元を横切るときは、瞬間瞬間をまるでスキャンするように通り過ぎるようです。
低次元から高次元の全体像は見ることができません。
となると、高次元の何かを垣間見た場合、ほんの一部を見ることになります。
まあ、チャネリングなどで高次元の存在と見た場合はほんの一部か、または高次元の存在が認識しやすい形にレベルダウンして現れたかのどちらかでしょうね(それか想念か)
高次元になるほど制約が少なくなる
そもそも、次元が上がれば上がるほど一部だったものの全体が徐々にわかるようになります。
つまりどんどん「丸見え」な状態になります。
何も包み隠さない丸見えな存在として存在しうるには、制限制約がほぼない状態だと思われます。
嘘がつけないので(つく必要性がないのでおそらくそ嘘という概念すらない)所有や執着のためのエゴは無くなります。
つまり、肉体という「エゴの温床」をそもそも持ち合わせていないか、
肉体を持ちながらでも全ての執着や依存を捨て去り切った状態であるとしか考えられません。
やはり、高次元の住人を例えて地球の言語であえて表現するならば、どうやら「光」「愛」しかなさそうです。あるいは神とか?
だからイエスや仏陀や他の聖者さんやスピーカーさんたちが伝えたいことの表現に戸惑うのでしょうね。
彼らが言わんとしているのはおおよそ、地球で扱われている言語では表現できないような、辞書に用意されていないような状態の現象や存在がある、ということだと思います。
民衆にもわかるものを使って例えて表現するしかない。
地面に転がっている石と木の枝を使って今見てきた海の中の様子を説明しろと言っているようなものです。
表現する言語がない状態であるもの使って説明するわけですから、難しいですよね。
それに言い方も例える事象も時代によってさまざまです。
創世記や聖書が書かれた時代のボキャ数で表現すると、あんな感じなので今となっては逆に解釈が難しくなっていますが、きっと書かれた当時ではあれでもめいいっぱい、分かりやすい例えだったのでしょうね、たぶん。
そう、つまり次元階層が上になるほど、一つの絵が完成されていくように本質的な理解が深まっていくということですね。
余談になりますが、地球の人間は肉体という制約がある状態のくせなのか、なんでも枠に当てはめたがります。
例えば名前がその最たるもので、何にでも名前をつけます。
名前がつけばとりあえず安心するからでしょうね。
よくわからない現象に名前がなければ恐れ慄きますが、名前がつけば「あ、そう」と安心する傾向があります。超常現象とか病気とかね。
名前がついたとこで、別に解決した訳ではないのですが、解決そのものよりも「不安の払拭」や「安心材料」が欲しいだけなんですよね。
というわけで昔の人は「神」と呼ばれる存在は本当は偏在していていつでもどこでもそこら中にあるにも関わらず、何かもやもやしているので形に当てはめたくなったのでしょうね。
人は未知のものにはただひたすら畏怖しかありませんので。
当時の多くの聖者や覚者スピーカーさんたちが「偶像礼拝すんじゃねえ」「それじゃねえ」って何度も言ってるのに、なんか崇めたくなる対象を作っちゃいたくなるんでしょうね、黄金の牛の像とか髭の生えた怖そうな親父とか(笑)
もし拝む方向がわからなかったならとりあえず太陽でよかったんじゃないかしら?太陽崇拝系宗教、アニミズム系宗教、宇宙を「神」として崇めるなら方向性として正解な感じします。
4次元からはどう見える?
よく、スピリチュアル界隈では「三次元」から「五次元」へ、などと言いますよね。
私自身もよく言います。
何年か前に不思議な次元の世界にいく夢を見たことがあって、その当時はスピリチュアルには全く詳しくなくてよくわからなかったのだけれど、とにかく面白い世界観の物語の夢でした。
その後「五次元」という言葉を聞いた時、妙にしっくり来たのを覚えています。
見た感じの世界は同じなんだけど、何か違う。
そう、その世界にはお金というものがなくて、ものに執着することがないんです。
何にもこだわりがなく、何にでも感謝できて、誰にでも力を貸す愛と信頼しかない世界。
そういう印象の世界観。
ま、今のこの闇だらけの三次元世界からは想像つかないくらいの、素晴らしワールドでしたよ、ほんと。うっとり。
その旨、Kindle Unlimitedで出版させていただきました。ご興味あればどうぞ。(アンダーワールド。:突然現れた五次元の世界)
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/54327965/picture_pc_ab2dc483d48d1608ea09d19cc854c598.png?width=1200)
また脱線しました。
三次元から五次元に移行するって、それじゃ四次元はどうしちゃったのよ、っていうお話ですね(^^)
私が思いまするにね、四次元は想念世界。
そして、私たちの半分は四次元にいるってことです(とは言っても、まだまだ物質界の住人なので3.5次元くらい?)
四次元。
それは、夢の中、体外離脱、幽体離脱または臨死体験なんかの世界。
イメージBGMは世にも奇妙な物語。
ええと今度こそ本題に…。
というところでまた、力尽きましたのでまた次回。ため息。
大丈夫、どんまい。
心の平穏目指して。
つづく