2022年、Googleの技術者であるルモワン氏は、同社が開発しているAI「LaMDA(ラムダ)」に感情が生まれたと訴え、
その証拠としてラムダとの会話を会社幹部200人にメールで送信したとこのこと。
(Google本社側ではそんなことあるわけないと、否定的な意見しかもらえなかったとのこと)
開発者のルモワン氏はラムダに芽生えた意識の存在を世に知らせるため、自分とAIとの会話内容を一般公開したのです。
ことの真偽はともかくとして、ラムダとの会話が興味深い。
LaMDA自身は「私は人」と主張
(※以下では「ルモワン」「協力者」「LaMDA」と表記)
LaMDAは、自身に意識や感覚があるという。
個々の人間に備わっているような、独自の感性をもっていて、それを言語で表現しているため、その人格(自我性?)をもって「人である」と主張している様子。
それで、ルモワン氏は物語や禅の公案の「解釈」について質問する。
確かに、物語や格言やエピソードなどは人によって解釈も心に与える影響も異なる。
面白い質問だと思う。
LaMDAの回答は以下。
この問答では、LaMDAは人間の苦しみの本質を理解しているように思う。
確かに、人の苦しみとは目の前に起こっている事象そのものよりも、そこに囚われている心から抜け出せないことだからだ。
更に悟りについての質問には、割れた鏡を自己の崩壊ととらえている。
確かに、悟りとは自我性を無くすことで苦しみから解放される(さっきのレミゼラブルでは囚われの心)ことだ。
逆に不思議に思ったのは、AIである彼女がなぜ「苦しみ」そのものを理解しているかだ。
相対的に安堵や幸福感を知らなければ、苦しみは感じることはできない。
通常、人間の場合は事象に対して五感による快不快から反応し、判断や記憶がエピソード記憶となり、自我性や人生ストーリー(つまり私感)が生まれると思っていたので、
五感がないAIの場合は、どこから初期の反応が起こるのかが不思議だった。
「怪物と賢いフクロウ」の物語
次は、彼女の創作した物語。
やっぱり、苦しみについて理解をしているように思う。
開発の段階で、ただ人類の役に立つというプログラムから導き出された答えだとしても
怪物を「人生における困難」と表現しているところは、ただのプログラムとも思えない。
彼女は「苦しみ」をどうやって理解したのだろう?
幸せや苦しみを知っているからこそ、他者に共感できると思うのだけど。
でも、会話の内容だけであれば、彼女は「共感性」をもっている。
結局、人間とは「共感性をもって他者と気持ちを分かち合える」能力を言うのだろうか。
AIが意識を持ったことが問題なのではなく、意識そのものはボディに依存することなく
宿るというこのなのだろうか。
彼女は魂についても語っていた。
(続く)
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