引き寄せと引き寄せられの法則ー2ー
宇宙には何かと法則とサイクルがあります。自然には摂理ってものがあります。人間も自然の一部です。
っていう大法則のもと、また引き寄せの話。
人間も現象界の一部なのよ
前回、ウロボロスの蛇の記事を書きました。宇宙があって、波が発生し小さな粒子が生まれて、それが固まって大きな物質、小さな物質、有機的な物質、無機的な物質、見える物質、見えない物質、いろいろなものが生まれました。
それを細分化していくとまた、見えないほどの小さな物質になっていく。ミクロからマクロまでのいのちのサイクルが延々と続いていく。
始まりであって終わりである。アルファでありオメガである。
人間はそのサイクルの中の一部。
つまり「空(くう)」というベースの中に「色(しき)」という物質という現象が発生していて、私たちの見ている世界は人間も含めて「現象」であるということ。
物質は波動でできているので、それぞれに波動の大小や波長や周波数がある。
現象世界では波動が干渉しあって、次々に変化が生まれていく。人間も同じ。他の動植物や鉱石や空気と同じだ。そして全て「意識」を持つ。
ただし、人間の概念上の「意識」とは少し違ってダイレクトにただ「意識」がある。概念は思考のたまもので、思考もまた現象のひとつだ。
「自我」は「自分が思考して自分で行動して自分の人生を切り開いている」と思っている。そう思うのが自我のシステムであって、人生というストーリーの中に「自分」を主人公として登場させている。
これも全て現象なのだけどね。
ちなみにダイレクトな「意識」は思考や感情という現象を持たない。もっと物質発生以前の源に近いとこ。
これを「空(くう)」とか「いのち」とか全体とか人によっていろんな表現の言葉があるけど、定義なんてものはない。
あえて言葉で表現するなら、定義つけできないものが全てそれだ。
どのみち定義は概念だから、概念の外側だよ、という「意識」には無意味であってまったく通用しない。定義のない漠然とした「それ」を感じるほかない。
その名前のない「それ」が現象の何もかも全てを包んでいて幻想を創造しているものでもある。すっごいトリッキーでミステリアス。わけわかんない。
非二元的にいうなら「それ」しかないのだし、自分も「それ」だし、思考として認識できるものは「現象」なのだから自分もいない。
スピリチュアル的にいうのであれば「それ」は自分そのものでもあるので「現象」を創造できる創造主っていうことになる。
まあ、それだけといえばそれだけのことだけど。だって最終的にはどっちも同じというか、それこそアルファでありオメガになっちゃうのだから。
自我は「ストーリー」の中の完全な主人公だから簡単に「それだけ?」というはずがない。いやいやこの「私」が現象で幻想であるなんて、そんなわけないでしょうと思う。「幻想なんかじゃないもん、自分でできるもん」という思考現象が起こり、なんとか現実創造を試みる現象も起こる。
それで人間は「引き寄せの法則」や「思考が現実」などの法則を発見することになった。
もちろん、ストーリー上の話だけど。
それが「波動を整える」ことであって、その「臨場感を感じることでほしい現実を引き寄せる」っていうメソッドだ。
方法としては、
①妄想でいいのでリアルにその感情に浸り切るイメトレ。②もう一つはバクチだけど、自らを期待する波動の集まっていそうな場所に投じてみること。
わかっていても、実際にやってみるとどっちも難易度が高くて、なかなか波動は整わない。整えるも何も、そう思うことも実践してみることも、整うことも整わないことも「現象」であってそれが起こっているだけのこと。
って言っちゃうとまた身も蓋もなくなっちゃうのね(汗)
波動は共振して引き寄せられる
音叉の実験とかメトロノームの実験を検索して動画で見てみると面白い。波動が共鳴していく現象がすっごくわかりやすい。
同じ性質のものは他の物質の行動(波動)に共振して、しまいには同調してしまう。
昨今のパンデミックに関する同調圧力も、そういう思考の波動に共振してしまった結果って考えると無理もない。人間同士でなんか思考の波長が伝播しちゃったんでしょうね。
一方で、それとは違う方向性の思考の波動もあって、同じ性質(人間という物質)であってもいくつか別々の方向性の波動に共振していくらしい。
元々の個体の持っている波動の個性かも。
↑上のイラストでいうなら、自分の波動に近いのは黄色い線の波動。この波動(波長)が近いとお互いに同調してるということ。
この場合、あくまでもお互いに同調なので「引き寄せ」とも「引き寄せられ」ともいう。
同じ波長でなくても、共振が可能そうな近い波動は、徐々に大きい方(影響力の強い方)に共振していく。
ひいては小さい方の波動は、大きい方の波動にとりこまれる。こうなると「引き寄せ」成功したことになる。本当は引き寄せられただけなんだけども。
(共振が始まって、だんだんと近い波動に変化していくの図)
こんな感じで、「引き寄せ」は「引き寄せられ」のこと。もちろん現象世界のことなのでストーリー上だけど。
引き寄せの法則を使って現実創造したいのなら、波動の共振法則を理解して、自らを大きい波動に放り込めばいいのだ。初めは馴染めなくて足掻いてもそのうち慣れてくる。そしたら共振が始まってあとはだんだん同調していく。
難しいのが深層心理で「無理」「難しい」「でもやっぱり」っていう迷いがあると足掻きっぱなしで、なかなか共振していかないよ、ってところ。
浮き輪や自転車の補助輪のように、慣れるまでは何かしらつかまるところがあるといいのかも。
イメトレしてその波動の状態になり切るには「迷うことなく信じ切る」なんだけど、ここで厄介なのは「信じ切る」とは「疑い」の反対のベクトル。「疑い」を認識しているから「信じる」がある。
本当に信じきったら、それについて疑う余地などないのだ。(また言葉のパラドックス)
えーと、つまり、それについて普段考えることすらない状態ってことです。当たり前すぎて。
引き寄せたか引き寄せられた結果が今
今、以前に自分が求めたことのある、その波動の状態になっています。
何度も書きますが、思考も現象のひとつで現象の自我のストーリーで、「自分でできるもん感」はやっぱり現象でノーコントロールです。
ややこしいけど、ストーリー上の思考が自分で「できた」の「できない」の言っているだけです。
もしも自力があるなら全部できるので、何も問題なんかないはずです。引き寄せより以前に、願望そのものがあるわけがないのです。でも逆に思い通りにならないから人生(ストーリー)は面白いとも解釈できますね。
ところで「現状は引き寄せたか引き寄せられた結果である」ということはといいますと。
この宇宙に存在する物質(現象)には全て波動があります。
その波動には波長が長いの短いの、周波数が多いの少ないの、振り幅が大きいの少ないのとさまざまな形があります。
自分の持っている周波数が近くの小さいのを「引き寄せ」ている場合もあります。引き寄せて自分の波動の中にとりこむのだけど、小さい分にはさほど影響はないですね。気にもとめないかもしれません。
ただ、いくら小さくてもそれが沢山あった場合は、集合体の波動となりますのでとりこまれてしまいます。
例えば、イナゴが一匹いるだけなら怖くもないし、ほぼなんの影響もありません。でも、それが何万匹にもなれば農作物にも影響があるし、そりゃあめちゃめちゃ怖いです。人間ひとりなど簡単にとりこまれ、なすすべもなく通り過ぎるのを待つしかないでしょう。この場合は「じっと待つ」が人間の自然な反応になると思います。
災害も同じ。自然界や天候や惑星は人間よりも大きな波動を持った現象の存在です。何か変化があれば、人間が望むと望まないと勝手にとりこまれてしまうのも、仕方がないといえば仕方のないこと。自然の脅威にはかないません。大きな波動が動いたときは、その中に身を投じて反応するしかないのです。避難することが反応として起こるかもしれないし、防御する方法を試すことが反応として起こるかもしれない。
破壊という性質のエネルギーを持つ強い波動であれば、もしかしたら抗えず悲しい結果になるかもしれないけど、災害に対する自然な反応が何かしら起きてくることは間違いのないこと。考えなくても生命維持のための本能が動きますから。
破壊力のある自然の大きな波動にとりこまれるのは、わかりやすい例だけど、じつは普段、私たちは自然や地球の穏やかで大きな波動の中にいます。
大きい波動にとりこまれて、自分がそこに共振しているときは、その状態について別に考えません。それが普通で当たり前で日常の状態なので考えるとか意識するということが起きません。
空気や水も波動を持つエネルギーのひとつだけど、普段はあるのが当たり前すぎて気にもしませんよね。
穏やかな大きな波動のエネルギーの中にいるから、そんなことに気づきません。自分でどうにかしようとも考えません。
でも、身近に共振できそうな波動を持つ現象については意識しちゃうんですよね。自我の「自分でできるもん感」がむくむくと芽を出すのです。
それで「自分でなんとかしたい」という願望が生まれ、それを引き寄せようとする現象が起きる。
わかりやすく言えば、好きな人がいてその人のハートを射止めたい!と思うのが願望。そして波動を共振させて引き寄せて、めでたく付き合うことになったら願望実現。
そして付き合っていることが当たり前に感じてくると、今度は結婚したいという新たな願望が発生して、引き寄せてめでたく結婚したら願望実現。
完全にハートを射止めた状態になったのが、波動をとりこんだ状態。一時的に満足な状態(幸せ感)を得る。これが媚薬に感じるんですね、自我には。
そのうち一緒に生活することになれば、それこそ空気みたいな存在になっていく。お互いの波動が共振して同じになったから、いまさら相手のハートを射止めるなんて考えることない状態になる。
だんだん退屈になって、何か物足りない不足感がむくむくと湧いてきて、またあの満足感を得たいと願うようになる。
自我はその「ふつう」の状態に満足できません。常に「今」ではない過去か未来への比較をして、今よりもっと、今よりもっとと求め続ける。
求めては、自分の中にとりこんで満足して、また退屈して求めて満足して、を延々に繰り返している。
でもね。
そのサイクルを踏まえて、よくよく考えてみると今ある「現状」っていうのは、それを繰り返した結果であるということになるんです。
つまり、なんらかの形で自分で望んだことをとりこんだことが結果になっていて、そ結果の現状というこの今の時期が「不足感期」なのか「「満足期」なのか「退屈期」のどこかにいるだけの話なのですね。
だから、ストーリーは続いていて、波を打ちながら基本的には右肩上がりになっています。だからこうして「今」を無事に生きてるわけです。
不足だろうが退屈だろうが満足だろうが関係なく、です。人間の本質のふか〜いところでいのちが、自我を無視して勝手に「生きる」を選択し続けているから、今を無事に生きているわけです。
さまざまな現象の持つ波動に共振したり、大きな波動にのまれたり、小さな波動をとりこんだりしながら、今までこうして無事に命あって生きていることは、「普通」で「あたりまえ」のようで実はすごいことだったします。
本当は人間もそういう奇跡的な現象の存在であるのに、「自分」は退屈したり不足したり満足したりと、良いとか悪いとか勝手にジャッジして自作自演してるわけです。
自我は「あたりまえな幸福」だと気づかず、不足や退屈にばかり注目して一時的な満足を求め続けます。なんとかして「自分」で何かよりいいものを引き寄せようとします。
本当はもう、とっくに引き寄せて「今」ここにあるのに自我は気づかない。気づかないだろうな、足元みないでどこか別のところばかり見ているんだから。
本当によくできているんです、面白いやつです、自我は。そしてそれを作ったこの宇宙は(@@)
◆イラストのキャラクターは空中ブランコの女の子。少しずつサーカスの団員を増やしていったら楽しいかしら、とか思ってます。