第5章 予防だけでなく治療効果があることがわかった
IP6とイノシトールの組み合わせがガンに効く
ガンは、世界的に年間660万人がその犠牲になっている公衆衛生上大きな問題です。
アメリカ合衆国だけでも、大雑把に見積もって56万人が毎年ガンで死亡し、ほぼ140万人が毎年新たにガンと診断されています。
25年以上前に、リチャード・M・ニクソン大統領は、「ガンに対する戦争」を宣言しました。
それ以来、政府や民間団体は、莫大な額のお金を使い、今日われわれのもっているこの病気に関する生物学的知識を蓄積してきました。
しかしながら、楽観的な見通しにもかかわらず、その戦争に勝利するのは言うに及ばず、戦場でもあまり有利な展開は見られていません。
しかし、時折、われわれは興奮の喜びにあずかってきました。
戦場での戦術は将軍、ここではガン研究の指導者によって考え出されてきました。
国立癌研究所(NCI)、アメリカ癌学会(ACS)、その他、同様な研究機関の政策決定者は、目標を選び、ガンに対する「銀の弾丸」や「誘導ミサイル」を開発する学術団体や学会を支援してきました。
科学者たちは、最先端の戦略によく応えてきました。
なぜなら、彼らは自分たちの研究を裏付りる予算をその戦略のなかに見出したからです。
標的ガン細胞に対するモノクローナル抗体を用いた新しい治療法や、ガンの広がりを阻止するためにインターロイキンやインターフェロンの産生を増幅させる免疫系を利用する新しい治療法などが開発されました。
これらの治療法やこの治療法を開発した科学者たちは、国民的な関心を集め、マスコミや大衆の議論を巻き起こしました。
しかし、いまもなおガンの恐怖は続いています。新しい抗ガン剤や放射線治療法を開発する、研究の本流からかけ離れた革新的研究は、ありがたがられそうにないし、研究資金を得られそうにありません。
しかし、現状に従おうとしない多くの独立独歩の研究者と同じように、私の研究も新しい治療法を生みだし、ガンに対する戦争を勝利に導く新たな希望をもたらしました。
卓越した分子生物学者であるアーサー・コーンバーグ博士は、「Science(サイエンス)」誌(1997年12月12日号)の論文で次のように述べています。
「一般大衆の抱く幻想は、ガンやエイズを治癒させる方法を発見するためには戦略的目標が必要であり、これらの病気を克服する聖戦のために十分な規模の集団を動員しなければならないと思っていることである。
これほど惑わされた考えはほかにない。過去、大業績を残した医生物学の研究の歴史では、そのような聖戦は決まって失敗の連続だった。なぜなら、研究者たちは必要な兵器、すなわち根源的な生命活動に関する基礎的な知識を欠いていたからである。X線やペニシリンやポリオのワクチン、遺伝子工学などの偉大な発見は、個々の科学者の大自然を理解しようとする努力から生まれてきたものである。……」(傍点著者)
では、私はIP6とガンについて何を発見したのでしょうか?
私の研究は、実験動物や、何よりも重要なことにヒトのガン細胞を用いて行われましたが、その結果は驚くべきことになりました。
イノシトールのヒト細胞に対する有益性と安全性について、われわれがすでにもっている知識を総合すると、IP6とイノシトールを組み合わせて用いることにより、ガンに「ワン、ツー・パンチ」を食らわすことができるのです。
ある賢人がかつてこう言いました。
「ある目標に向かって旅をする過程で見聞きすることは、しばしば目標そのものと同じくらい大切なことである」
では、その道筋をたどってみましょう。
発ガン細胞の細胞分裂だけを低下させるIP6の予防効果
「ガンの予防にIP6がどんな役割を果たしているのか?」という研究テーマを設定したのは、私が初めてです。したがって、研究方法も暗中模索の状態でした。
栄養とガンとの関係を論じるための実験では、栄養素(ここではIP6)を食物に添加することになります。
しかし、私の薬理学の経験では、IP6をその純粋なかたちで飲料水のなかに溶解して実験動物に投与したほうが、(飼料中に混ぜて投与するよりも)よく吸収されるということがわかっていました。
ラットには、錠剤やカプセルとして純粋なかたちで投与することができませんし、また他の食品添加物がIP6に影響を及ばしてIP6の効果に干渉するのを好まなかったので、IP6を飲料水中に溶解して投与しました。
この投与形態は、ヒトが経口的補助食品を食間に水で服用することに相当します。
私の第一に想定したことは、ヒトへの投与でした。私は、IP6溶液をラットに投与する前に、自分自身で試してみました。
その味は良好でした。
イノシトールは、化学式が糖の構造をしていますから、わずかな甘みがあります。
たぶん、ラットの好物であろうと思いました。
初めに、ラットのもっとも飲みやすいIP6溶液の濃度を決めなければなりませんでした。
そして、5パーセント以下の濃度でないと飲まないということがわかりました。
一番よく飲むのは、それより少し薄目の2パーセントでした。
この濃度だと、ラットは通常の一日の飲料水と同じ量の溶液を飲みました。
体重150ポンド(約68キログラム)のヒトに対比して考えると、この溶液の濃度は1から2グラムのIP6を経口服用した場合に相当します。
IP6が異なった動物種にも、また異なった発ガン物質によってできた種々のガンにも有効であることを示すため、私たちは異なった動物種(ラットとマウス)を用いて実験しました。
また、大腸ガンを引き起こす異なった化学発ガン物質(1,2-ジメチルヒドラジン =DMH [1,2-dimethylhydrazine」とアゾキシメタン=AOM [azoxymethane])を用いて実験しました。
ラットに化学発ガン物質を投与する二週間前からIP6を与えはじめました。
この二週間前というのは、発ガンの前イニシエーション期間になります。
私たちは、ラットに1パーセントのIP6を投与しました。
この濃度は、体重150ポンドのヒトが一日に500ミリグラムから1000ミリグラムのIP6を経口服用する量に相当します (ガンの発生と進展に関する病期分類の説明は第3章を参照)。
私たちは、IP6を投与しておくことにより、発ガン作用が相殺されるか否かにも関心がありました。
6ヵ月後、(IP6を投与しない)対照群のラットの平均担ガン率(被検動物一匹当たりに発生したガンの個数)は、一匹当たり4.6個でした。
これに対して、IP6を投与した実験群のそれは一匹当たり3.0個でした。
同時に平均腫瘍径は、対照群に比べて実験群では約3分の2ほど小さくなっていました。
実験が始まって初期の段階で、私はIP6の効果の別の現象を見つけました。
IP6の投与を受けてガンができた (大腸ガン)動物の非ガン部の大腸粘膜細胞の細胞分裂の頻度は、なんの投与も受けない正常対照群のそれと同じだったのです。
別の言い方をすると、発ガン物質で引き起こされた細胞分裂の頻度の増大は、(IP6によって)正常化されたということです。
これは、IP6の細胞分裂における調節機能を示唆するものです。
もっとも興味深いことは、発ガン物質の投与を受けないでIP6だけ投与された動物の細胞分裂頻度が正常だったということです。
このことは、IP6が発ガン期の増大した細胞分裂頻度を低下させ、しかも、無処置健常動物の細胞分裂頻度には影響を及ぼさないということを示唆しています。
ここでもまた、統計学的に有意差のある結果が出ました。
統計学的に有意差のある結果〜専門の研究者によって受け入れてもらえる結果です!
これらの研究の詳細は1988年、1989年、1990年の研究報告に公表されているので、私の年譜をご覧ください。
これら初期の実験では最大量の発ガン物質が使用され、ガンが増殖しつつある動物にIP6が投与されたので、腫瘍径に有意な抑制が見られたのです。
ガンのイニシエーション後期についても顕著な治療効果があった
IP6を投与した実験群で腫瘍径が小さいという結果を見て、私はガンがすでに支配している状態(イニシエーション後期)になってからIPを投与しても有効なのではないかと考えました。
そして、発ガン物質の投与終了後2週間の早い時期と、5ヵ月後の遅い時期にIP6の投与を始めました。
私と共同研究者の実験によって、発ガン物質の投与終了後2週間の早い時期、および5ヵ月後の遅い時期いずれの場合にも、IP6の投与が大腸ガンを抑制することが示されました。
ここで特記しておくべきことは、IP6の投与開始が遅かったので、先の実験に投与した濃度(1パーセント)よりも濃い濃度(2パーセント)のIP6を与えたことです。
発ガン物質アゾキシメタンを(週に1回)全部で4回注射して、その後8ヶ月目に解剖して調べてみると、IP6を投与された動物は10パーセントしか大腸ガンができていなかったのに対し、IP6の投与を受けなかった対照群の動物は43パーセント、ガンができていました。
「アゾ」という接頭語を冠した化合物は、ヒトや動物などの他の分子と非常に高い反応性に富んでいます。
たとえば(黄色い)アゾ色素は、非常に細胞傷害性に富んでいます。
ほとんどの実験動物が担ガン状態になっていると想定される発ガン物質投与終了後5ヵ月まで、IP6の投与によってガンの数ならびに大きさに有意の抑制が見られました。
これらの知見は、IP6が現存するガンに治療目的で使用できるという可能性を示唆しています。
表4は、IP6により抑制された腫瘍の発生頻度と有糸分裂の頻度(細胞分裂の指標)のデータを示しています。
これに続いて私たちは、IP6による大腸ガンの抑制に投与量依存性があるか〜すなわち、IP6を多く投与すればそれだけガンを強く抑制するかどうか〜を調べたいと思いました。
私の同僚、アサッド・ウラーと私は、1990年、0.1パーセントの低い濃度と、1パーセントの濃度で実験を行いました(150ポンドのヒトに対比すると、100ミリグラムと1000ミリグラムのIP6を経口摂取した濃度に相当します)。
その結果、ガンの有病率はIP6の投与量増加とともに減少していました。
図3に、投与量依存性実験の結果を示します。
F344ラット (遺伝的背景が同じ〔兄弟姉妹の関係]ラットの系統種)にIP6を投与開始し、その2週後から合計6回 (週に1回)化学発ガン物質アゾキシメタンを注射しました。
実験終了時の44週目には、1パーセントのIP6投与群で52.2パーセントのガンの有病率低下が認められ、これは投与量に依存した抑制になっています。
IP6は脱リン酸化を受けてIP1からIP5まで変化します。また、IP3は細胞内信号伝達物質として重要な役割を担っていることが知られています。
これらの事実を勘案して、私はIP6が細胞内のイノシトール・リン酸のプール内に入っていくという仮説を立てました。
細胞のなかでIP6はIP3まで変換され、それよりリン酸基数の少ないイノシトール・リン酸の作用を受けてガンを抑制すると考えたのです。
1988年、私は次のような仮説も立てました。すなわち、自然界に存在する無害の炭水化物でIP6のもとになるイノシトールをIP6に添加して投与することにより、IP6の抗ガン効果を増強させることができるだろうと考えたのです。
イノシトール・リン酸化合物はいたるところにあり、ほとんどの哺乳動物の細胞系の機能に関与していますから、私はイノシトール・リン酸化合物の抗ガン効果は異なった種類の細胞や器官でも認められるだろうと確信していました。
1987年の終わりまでに、私は次の実験結果を事実として示していました。
① IP6が二つの異なった動物種(ラットとマウス)で大腸ガンを抑制すること
② イノシトールもガン抑制的に働くが、イノシトール単体ではIP6ほどには効果が強くないこと
③IP6+イノシトールを組み合わせて投与すると、それぞれ単体で用いた場合よりもガン抑制効果が強いこと
④ IP6+イノシトールが、ナチュラル・ミラー(NK)細胞活性を刺激して宿主の抵抗性(免疫力)を増強させること(NK細胞は、ガンと闘う免疫系の細胞の一つ)
⑤IP6がヒトの培養系ガン細胞(K1562ヒト赤外球性白血病細胞)に対して有効であること
イノシトールとの併用でIP6の抗ガン作用は強化される
これらの知見に基づいて、私はIP6の抗ガン作用に、細胞分裂に重要な役割を担うとされるリン酸基数の少ないイノシトール・リン酸(1、2、3、4、5)が関与しているか否か明らかにしてみたいと考えました。
さらに私は、IP6にイノシトールを加えることにより、IP6の増殖抑制効果、すなわち抗ガン効果が増強されるか否か、見てみたいと思いました。
IP6の抗ガン効果にはリン酸基数の少ない (低数の)イノシトール・リン酸が関与しているという私の信念を支持すべく、私と共同研究者はさらに実験を重ねました。
私たちは、ヒトの培養系ガン細胞 (K-562ヒト赤芽球性白血病細胞)にIP6を作用させてみました。
私たちがK-562細胞を実験対象に選んだのにはわけがあります。
なぜなら、もしIP6が作用して細胞を正常化させるとしたら、正常赤血球がつくるように、K-562細胞もへモグロビンを産生するだろうと考えたからです。
その結果、確かにIP6で処理したK-562細胞のヘモグロビン産生レベルは増加しましたが、IP6で処理しないK-562細胞では不変でした。
このことは、IP6で処理することにより、K-562細胞が、より正常な成熟したかたちのもとの細胞に戻っていることを意味しています。
また、IP6で処理することにより細胞数は減少しています。
すなわち、異常な速度で増殖する細胞の分裂能を抑制していることを示唆しています。
K-562細胞内にIP6が入っていくことを私たちは示したのみならず、その細胞内でIP3が有意に増加(41パーセントの増加)していることを発見しました。
私たちは、IP6が細胞内で(低数の)イノシトール・リン酸に変換されることを知りました。
この実験で、ほかの実験でもそうでしたが、IP6がイノシトールとIPn(n=1~5)に急速に変換されることが示されました。
また、IP6を投与すると、細胞内の種々のイノシトール・リン酸(IPn[n=1~51)の量が変化することが明らかになりました。
さらに、これらの細胞内の変化が細胞分裂の停止と関連していることもわかりました。
細胞内のカルシウム・レベルはその細胞の増殖速度に影響を及ぼすことが明らかになっています。
その部分的な役割として、IP6は細胞内のカルシウム・レベルを増加させます。
多くの研究結果でカルシウム濃度の増加は細胞分裂を誘導するとされていますが、私たちのデータではその反対で、細胞分裂が減少しました。
この相反する命題を解くカギは、細胞内に存在するIP3の量に依存していることにあるかもしれません。
一般的に、IP6は細胞分裂を増加させます。
しかし、私たちは高濃度のイノシトールとIP6が投与されると、IP6が抑制され、その結果、細胞分裂、つまりガンのリスクが減少したのだと考えました。
最近、私の助手のキャサリン・E・コール博士とメアリー・スミスは、ヒト大腸ガン細胞にIP6を添加すると、10秒以内に細胞内のカルシウム・レベルが3倍ないし4倍に急速に増加することを実験的に示しました(1997年)。
この急速なカルシウムの増加は、IP6が細胞内の受容体に作用していることを強く示唆しています。
この場合、細胞の増殖に関連した受容体をIP6がブロックする働きをしていることを示す証拠となります。
受容体がIP6でブロックされると、ガン細胞は、発育したり増殖したりできなくなります。
ここまでの推論は正しいことが証明されました。
イノシトールはIP6の細胞分裂を抑制する作用をさらに増強させました。
同じように、「in vivo(生体内)」での抗ガン効果を増強させました。
IP6にイノシトールを添加して投与すると、細胞増殖も大腸直腸ガンも、よりいっそう強く抑制されました。
同様の増殖抑制増強効果は、乳ガンを対象として行われた実験および転移性ガンの実験によっても示されました。
あちこちで実証されはじめたIP6の抗ガン効果
これらの実験は、1992年と1993年、私の共同研究者であるイワナ・ブセニック博士によって行われました。
イワナ・ブセニック博士は、長年にわたる共同研究者で、少ない研究予算でたゆみなく働き、その結論を得たのです。
日本の群馬大学から参画した外科医の坂本孝作博士もまた、私の研究室でたゆみなく働きました。
彼は、研究結果を確かめ、イノシトール化合物を臨床治療に用いる可能性に触発されたのでした。
他の研究者たちも、私たちと同様な結果を得ているのでしょうか?
そうです。
他の研究者が私たちと同様の結果を得ていることを知り、たいへんうれしかったことを覚えています。
カリフォルニア州パロアルトにあるライナス・ポーリング医科学研究所のラキシット・ジャリワラ博士は、IP6の抗ガン効果に関する私の実験結果について、追試を行って確認しています。
オハイオ州クリーブランドにあるケース・ウェスタン・リザーブ大学のテレサ・プレトロー博士もまた、私と同様、IP6の抗ガン効果について、統計学的に有意差のある結論に達しています。
博士はこう書いています。
予防だけでなく治療効果があることがわかった
「AOM(アゾキシメタン)で処置したF344ラットにIP6を投与しない場合のガン発生率は83パーセント(12匹中10匹)であるのに対して、IP6を投与した場合には25パーセント(12匹中3匹)でした。……」(T. P. Pretlow et al., 1992)
プレトロー博士のグループは、1992年10月29日と30日、バージニア州マックレアンでアメリカ癌学会が開催した栄養とガンに関する会議の第三回年次総会で、研究成果を発表しました。
彼らはこう述べています。
「IP6は単に大腸ガンの有効な抑制物質であるばかりではない。IP6は、セレニウムなどの他の有望なガン予防化学物質と比べても、より強い抑制効果を示した」
さらに、1994年に発行された雑誌「Advances in Experimental Medicine and Biol-ogy」で公表された論文のタイトルは、次のようになっています。
「F344ラットに体重キログラム当たり30ミリグラムのアソキシタンを投与した場合の大腸発ガンは、セレニウムよりもフィチン酸によってより有効に抑制された」
IP6の重要性を示唆するもう一つ別の大きな理由があります。それは、IP6の抗ガン効果は大腸ガンに限定されないかもしれないということです。
これは、私たちをはじめ他の研究者によっても示されています(第6章表5と第10章表9を参照のこと)。これらの実験のうちのいくつかは、もちろんIP6の投与方法が異なっています。
フィチン酸としてふすまのかたちで投与した場合には、純粋にIP6あるいはIP6+イノシトールのかたちで投与した場合ほどには生物活性は高くありません。
IP6はタンパクと複合体を形成する性質があって、その結果IP6の働きが抑制されるので、IP6を食物に添加するということは、異なった研究者によって得られた実験結果が微妙に違っていることの理由づけになるかもしれません。
投与後たった一時間で全身の臓器にたどりつくIP6
IP6が抗ガン効果を発揮する正確なメカニズムは、まだ詳しくはわかっていません。
ここで私たちは、栄養学や農学の分野の科学者たちが、そのもっている有用性の故にIP6に注目していたのではないということを思い起こす必要があります。
それどころか、フィチン酸がミネラル(微量鉱物元素)と錯化合物(キレートによって生じた結合物)を形成する性質があるという古い不十分な知識に基づいて、IP6は毒性をもっているかもしれないという偏見を抱いていたのです。
すでに第2章で述べたように、また第8章でも詳しく述べますが、フィチン酸の錯化合物形成能は問題にはなりません。
それどころか、鉄の場合にはしばしば有益ですらあります。以前は栄養学者や、細胞生物学者、生化学者のあいだの学際的研究はありませんでした。
実際、誰も全体像を描くことができなかったようです。
それぞれの学者たちは、それぞれどこかほかのところを見ていたのです。
また、ある人たちはIP6をまったく無視していました(これについては、1993年、F・S・メンニティらによって論じられています)。
IP6は生命有機体によって吸収されえないと考えられていたのです。
まして、IP6が細胞内でなんらかの作用をするなどと考える人は、皆無に等しかったのです。IP6の吸収を示唆する証拠を示したナハペティアンとヤングの1980年の先駆け的研究報告は、無視されたのです。
しかし実際は、IP6は細胞内に存在し、IP6分子が細胞膜を通過し細胞内へ入っていくためには複雑なメカニズムが存在していたのです。
ガンは公衆衛生上の重要な問題ですから、IP6が劇的にガンに効くということがわかると、今度はその作用機序を知りたいということになります。
この疑問に答えるべく、その第一歩として、私の研究室ではIP6の生体吸収実験を行いました。
それまで一般に誤って信じられていた考えに反して、IP6はラットの胃と上部消化管から急速に吸収され、投与から一時間の早い時期に全身のさまざまな臓器に分布するということがわかりました(Sakamoto, Vucenik, and Shamsuddin, 1993)。
放射性同位元素で標識をつけた物質により、胃の粘膜上皮内でイノシトールおよびリン酸基数が1から6までのすべてのイノシトール・リン酸(IPn[n=1~6])が検出されることがわかりました。
血漿と尿からはイノシトールとIP6が検出されました。
リン酸基数の少ない分子が検出されるということは、生体がIP6を迅速に代謝していることを示唆しています。
また、胃粘膜の上皮細胞内にIP6が存在するということは、IP6が分解されることなくそのまま細胞内に取り込まれ、そこで迅速に脱リン酸化を受けるということを示唆しています。
これに関しては、IP6が細胞外でまず脱リン酸化を受け、次いでイノシトールおよびイノシトール・リン酸(IPn[n=1~51)として吸収され、細胞内で結合してIP6になるということはありえないことです。
リン酸基をはずすには、粘膜内フィチン酸分解酵素の作用が必要です。
ところが、胃には粘膜内フィチン酸分解酵素活性はありません。
したがって、IP6を分解する作用をもつフィチン酸分解酵素は存在しないと考えられます。
食事と一緒にとるより、単独で投与したほうが効き目は強い
私たちの実験では、実験動物が餌を摂取したときに、餌のなかに含まれているかもしれないフィチン酸分解酵素の作用の影響を避けるためにとくに注意を払い、2時間餌を遠ざけてから実験を始めました。
分解されない無傷のままのIP6が確実に細胞内へ運び込まれる事実を示すことはできませんでしたが、状況証拠はそれが起こっていることを示唆しています。
ガン細胞による試験管内でのIP6吸収実験も行いました。
IP6を添加すると、細胞はほとんど瞬時にIP6を細胞内に蓄積しはじめます。
蓄積する速度は、ガン細胞の種類によって異なりました(Vucenik and Shamsuddin, 1994)。
たとえば、マウスの悪性リンパ腫培養細胞株YAC-1によるIP6の細胞内取り込みは、添加後10分という早い時期に横ばい状態になりました。
ガン細胞がIP6を代謝する能力も速度も、その細胞の種類によって異なっていました。
YAC-1とヒトのK-562細胞がごくわずかのイノシトール・リン酸を細胞内に含んでいたのに比べ、ヒト大腸ガン培養細胞株HT-3は、それよりも大量のイノシトールおよびIPn[n=1~6」を含んでいました。
興味深いことに、これら培養細胞株の増殖速度は異なっていました。
ヒト大腸ガン細胞HT-29(イノシトールおよびIPn[n=1~6)を含む)の増殖速度がもっとも遅かったのに対し、YAC-1とヒトのK-562細胞は、それよりずっと早かったのです。
IP6が種々のタンパクや分子と複合体を形成する場合、とくにIP6が食事の一部として摂取されるとき、その吸収と代謝による活性化は遅延します。
しかし、IP6が経口的に純粋なかたちで投与されると、その効果はいっそう強くなります。
確かに、多くの研究結果がこの概念を裏付けています。
たとえば、少量のIP6を隔日に投与した場合の腫瘍抑制の程度(Vucenik et al., 1992)は、大量のIP6を飼料に混ぜて投与した場合のそれ(Jariwalla et al., 1988)と同程度でした。
同じように、広瀬博士らは、飼料にIP6を混ぜて投与し、大腸ガンの抑制は見られませんでしたが、肝臓および膵臓ガンの発生率はわずかに抑制されました(1991年)。
最後になりましたが、IP6は生体のナチュラル・キラー (NK)細胞の活性を増強させることにより、ガンと闘うことができるのです。
NK細胞は、免疫系の細胞(リンパ球とも呼ばれます)の一群で、ガン細胞を殺すこともできますが、生体がさまざまな慢性感染性疾患と闘うのを助ける働きをします。
NK細胞活性の増強に及ぼすIP6の効果については、第6章で詳しく述べます。
NK細胞は、ガンに対する生体防御において重要な役割を担っていますので、IP6がNK細胞のガン細胞を殺す能力(NKI細胞傷害活性)を増強させることにより、抗腫瘍活性を発揮するものと考えられます。
IP6の作用に関して考えられるその他のメカニズムに関する議論は、第6章で詳しく述べます(フアンらの1997年の業績、およびシャムスディンらの1997年の業績について紹介します)。
*天然抗ガン物質IP6の驚異(アブルカラム・M・シャムディン著)より出典