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ドン底疲弊ワーママだったわたしの人生が楽しくなった理由



自己紹介

はじめまして、カガリと申します。
東京都出身、都内の企業に勤め、6歳と3歳の姉妹を育てるアラフォーのワーキングマザーです。

人格否定系の毒母育ちで自己肯定感がドン底。
 自分のことが大嫌い。
 毎日死にたい。
 生きる価値がない。
 いつでも人生を辞めたい。

ずっとそんなことを考えて生きていましたが、
ある出来事がきっかけで、自分のことが大好きになり、自己肯定感が爆上がり!
離婚寸前だった夫とのパートナーシップが劇的改善!
ワーママ生活で仕事育児家事に追われて疲弊していたのが、自分時間をゲットしてストレスフリーな日常に!

多くの変化を手に入れることができました。
その背景をご紹介していきたいと思います。

ドン底人生の幕開け

物心がついた頃から、わたしは寡黙な子で、自分の意見が言えずに母の言いなりに育っていきました。
人格否定系の毒母だったので、母がわたしにかける言葉は
 「だからあんたはダメなのよ」
 「ちゃんとしなさい」

『母にとってのいい子』でいることを強いられ、常に母の顔色を伺いながら過ごしていました。

小中学生の頃は勉強が大嫌い。授業中は教科書の挿絵に落書きしたり、プリントの端の余白を切り取って折り紙をして過ごし、口数が少なく友達もいない、休み時間はいつも孤独な子供でした。

高校や大学でも相変わらず友人のいない地味なわたしでしたが、ひたすら部活動に打ち込み、卒業後は晴れて就職することになりました。

それなりに知名度のある一部上場企業で、親戚や知人からも評価されて華々しく思っていたのですが、この選択が果たして正解だったのか?
わたしは社会人としての洗礼を受けることになるのでした。

世の中そんなに甘くない!

コミュ障でボッチな人生を歩んでいたわたしは、世間知らずゆえに、入社するや否や、上司や先輩社員から毎日罵倒のシャワーを浴びることになりました。

 「お前みたいなのは給料泥棒って言うんだぞ!」
 「社会人としての自覚が足りない」
 「何しに会社に来てんだよ?」
 「お前のポンコツのせいで俺がクビになったらどう責任取るんだよ?」

今ならパワハラで問題になるところですが(笑)、当時はまだ体育会系の社風が根強く、何が正しいのかもよくわからなかったわたしは、これが社会人のスタンダードなのだと洗脳されていきました。

休日出勤やサービス残業が当たり前なブラックな環境。
わたしのメンタルは壊れていきました。

 仕事を辞めるより先に人生を辞めたい。
 通勤電車に乗るたびに、このまま線路に突っこめたらどんなに楽だろうか。
 ビルの屋上から飛び降りられたらどんなに楽だろうか。

毎日そんなことばかりを考えていました。

でも、わたしはそのような勇気は持ち合わせていませんでした。

その後、仕事を辞めてニート生活。
何度か転職もしましたが、仕事が定着せずに転々としているうちに30歳も目前で、親や親戚からは早く結婚しろと催促されるようになりました。

仕方なく暇つぶしに婚活サイトに登録。
顔も学歴も平凡で特に取り柄のないわたしでしたが、プロフィールと写真を盛りまくったおかげで意外にも好感触(笑)
人生の伴侶となる男性と出会うことができました。

幸せの先に待ち受けていたものは?

結婚して間もない頃、わたしは再び転職して激務の部署に配属されました。
朝は始発で出勤、夜は終電で帰宅という、新婚なのにすれ違い生活。
いずれは子供が欲しいと思っていましたが、なかなかタイミングを図れずにいました。

そんな生活が2年ほど続き、いよいよ子供が欲しい!と婦人科でのチェックを受けたところ、わたしたち夫婦に「不妊」の2文字が伸しかかり、不妊治療を開始することになりました。

 仕事を調整して週3〜4日の通院
 投薬のための厳しいスケジュール管理
 薬の副作用で吐き気と激太りとの戦い
 生理が来るたびに落ち込む周期
 金銭感覚がバグるほどの経済的な負担

治療中は辛い日々でしたが、ようやく乗り越え、
可愛い我が子を授かることができました。

ところが、妊娠中に酷いつわりや切迫流産を経験し
出産こそ無事だったものの、産後には夫が長期で海外出張に行くことに。
母との折り合いが悪かったため、里帰り出産は拒否され、赤ちゃんと二人っきりの生活。

あんなに辛い思いをして授かったはずの可愛い我が子。
なのに、なぜか辛い。
我が子との時間がだんだんと苦痛なものに変わっていきました。

妊娠するまでの治療期間が長く、妊娠中もトラブル続きで、どうにも自分の中で「出産=ゴール」の構図に取り憑かれてしまっていました。
こんなにも育児が大変なものとは考えもしなかった・・

だから余計に、こんな感情が生まれてしまったのかもしれません。

何もかもが思うようにできなくなったわたしは
産後うつになりました。


ワーママとして必死に走り出す

ようやく夫が長期出張から帰って、新たな生活がスタート。
わたしも少しずつ元気を取り戻して、子供は保育園に入園することになりました。
いよいよ復職して仕事に打ち込みます。

朝一で子供を保育園に預け、自転車爆走からの出勤。
出産や育児でボケてしまった左脳をフル回転させ、1日中パソコンとにらめっこ。昼休みは同僚とランチミーティング。
時短勤務のため、誰よりも勤務時間が短い中で、
 育休で休んでいた分を早く取り戻せるように、
 「お先に失礼いたします」が足枷にならないうように、
 後輩に昇進昇格を抜かされてマミートラックをとぼとぼ歩く悔しさを払拭するために、

わたしはがむしゃらに働きました。

仕事を終えて帰宅後は、光の速さで夕食作り、子供の食事補助、片付け、お風呂、寝かしつけ、掃除、洗濯、登園準備、弁当作り、翌日の夕食仕込み。
フルスロットルの全力疾走で完璧にタスクをこなしていきます。
日々の睡眠時間は5時間ほど。夫とは相変わらずのすれ違いで、事務連絡すら儘ならない会話のない生活。
 自分の時間は皆無。
 夫婦の時間も皆無。

わたしは自己肯定感の低さゆえに、我が子には自己肯定感の高い子になって欲しい一心で、子供のことに時間と労力を注ぎ込みがちでした。自分のことは常に後回し。

特に、絵本が大好きな娘のために、毎週図書館に通って20〜30冊の絵本を借り、月100冊以上の絵本を読ませていました。
読んだ絵本は、タイトル、作者、出版社、読んだ時の子供の反応や感想をExcelにまとめてリスト化。

子供が「絵本読みたい!」と言えば一気に50冊でも読みましたし、
「もう1回!」と言えば同じ絵本を繰り返し30回でも読み続けましたし、
「まだ寝ない!もっと読む!」と言えば深夜12時を過ぎても絵本タイムを続けていました。

良く言えば、真面目でストイック、
裏を返せば、子供に振り回されるだけのイエスマン。

今となっては、こんなにも必死になる必要はなかったんだ、と考えを改めることができたのですが、
この時はとにかく必死すぎて、周りを見たり自分を省みる余裕は1ミリもありませんでした。

子供にひたすら振り回されていた頃のわたし


見つからなかった答え

ワーママとして走りながらも、いずれは子供が2人以上欲しいと考えていました。
娘が2歳を過ぎた頃に不妊治療を開始したところ、奇跡的に1度の移植手術で妊娠。
吐きつわりと目眩で倒れ込んでいるわたしに、娘は容赦なく言葉を投げてつけきます。

「ママ遊ぼうよ!」
「ママ起きてよ!」
「ママ何で寝てるの?」
「ママ早く起きてよ!」

娘のやりたいことを成し遂げるため、今までずっとイエスマンな母で過ごしてきたというのに、妊婦になった途端、それが達成できなくなってしまったのです。

 娘の欲望を叶られない
 娘の期待に応えられない
 娘のために何もしてあげられない
 こんなわたしはダメな母親だ
 こんなダメな母親の元では、娘もお腹の赤ちゃんも可哀想だ

つわりでの体調の悪さも手伝って、わたしはどんどんとマイナスな感情に引き摺られていきました。

自分で望んだ妊娠なのに。
不妊治療をしていた頃と比べれば、可愛い娘と出会えてよっぽど幸せな状況なはずなのに。
新たな命を授かって、これからもっと幸せな未来が待っているというのに。

なんでこんなにつらいんだろう。

こんなつわりごときで泣き言ばかり浮かんでしまう自分に耐えられなくなり、何もかもがしんどくなって、
普段は戦力外の夫に、藁にも縋る思いで助けを求めました。

 「つらくて死にたいんだけど、どうしたらいい?」

それに対して返ってきた答えは、

 「死ぬなら、誰に何の迷惑もかけないように死んでくれ」

面倒なメンヘラ妻だと思われたのでしょう。
とても冷たく言い渡された後、わたしは一生懸命考えました。

誰に何の迷惑もかけない死に方を。
真面目なわたしは一生懸命考えました。

一生懸命考えたり調べたりしましたが、見つかりませんでした。
だからわたしは今、生きているのかもしれません。

答えを探し続けていたわたし


離婚を決意した夫からの一言

無事に次女を出産し、2児の母としての生活がスタートしました。
長女の赤ちゃん返りのケアに追われながらも、次女との時間も大切に過ごし、産休と育休を満喫。
次女が1歳を過ぎた頃には、保育園への入園が決まりました。
それと同時に、わたしの職場復帰も待ち構えていました。

産休前に勤務していたオフィスは、あろうことかコロナ禍に見舞われて、まさかの閉鎖。
復職と同時に本社への転勤が決まっていました。

通勤時間が片道20分だったのが、片道2時間に。
ワーママは常に時間との戦いだというのに、移動だけで毎日4時間も取られるようでは死活問題です。

退職や転職も検討しましたが、メリットとデメリットを書き出しては気持ちが右往左往していました。

自分のキャリアと私生活を天秤にかけ、あらゆる状況をシミュレーションした上で、
自分にとって一番負担が少ないのは、復職の道だと判断しました。
けれど、家事や通勤負担の課題は残されたまま。
このまま一人で抱えるのは無理。

どうしたらよいか、夫に相談してみました。
返ってきた答えは

 「俺に家事をして欲しかったら、俺より稼いでこいよ」

この言葉が刺さった時、もうこの人とは一生を共にできない、と強く感じました。
復職を目前に控えて、わたしの負担が増えることになるのは容易に想像できるはずなのに、不安を払拭するどころか、協力して寄り添う姿勢すら1ミリもないように感じました。

仕事、育児、家事、夫とのパートナーシップ
何もかもがズシンとわたしに伸し掛かって、今度こそ人生を辞めたいと思うようになりました。

悲観的になることしかできず、暗い暗いトンネルの中をずっと歩き続けていました。
真っ暗闇の中で、少しでも明るくなれる何かを探し続けては絶望し続けていました。

さて、ここで転機が訪れます。
わたしはこんな状況に置かれていたにも関わらず
トンネルの出口を見つけることができたのです!
ようやくわたしに光が差してきたのです!

それは一体なぜなのか?

笑顔を失っていた頃のわたし


未知なる世界へようこそ

ここからわたしは、ドン底人生の巻き返しを図っていきます。
 毒親から人格否定されて育ち
 自己肯定感がドン底
 豆腐メンタルですぐに病む
 友人のいない孤独な人生
 会話のないモラハラ夫とは離婚寸前
 わがまま放題に育った我が子に振り回される日々
 仕事家事育児に追われて疲弊し続ける
 何をしても満たされない自分のことが大嫌い
 全てが絶望的になり自殺願望が拭えない

そんなわたしを救ってくれたのは、とあるブログがきっかけでした。

わたしと同時期に子供を出産したワーママブロガーによる、子供の成長などのありふれた日常を描いたものでした。

毎日生きるだけで必死だったわたしは、自分と同じワーママで仕事も育児もしているのに、こんなふうにブログを書き続けられるなんてすごいなあと思いながらも、
同じ境遇の人の等身大の生活を垣間見られることに喜びを感じていました。

子供の成長ぶりに我が子と重ねて共感したり、
勝手にママ友のような同士のような、身近な存在に感じていました。

ところが、その彼女が突然、変貌を遂げたのです。

自分と同じようなありふれた平凡な人生を歩んでいると思っていたのに

煌びやかなドレスを着て着飾ってパーティに行ったり
友人に囲まれてランチのコース料理を満喫していたり
嫌なことを手放して、自由で解放感のある充実した日常!

 ななななんだ!?
 このキラキラした世界は!!!

何もかもが眩しくて見えて、自分とは違う世界線に行ってしまったのだと少し寂しさを感じながらも、驚きと憧れの気持ちを隠せずにいました。

彼女の変化は、「魅力覚醒講座」というオンライン講座の受講がきっかけでした。

魅力覚醒講座、名前だけ見ると怪しさ満点。
一体何の講座なのか?
魅力覚醒?宗教?ヤバいの?洗脳されるの?

わたしも最初はとても訝しげに感じていました。

調べてみると、小田桐あさぎさんという女性起業家が主宰する、輝く女性になるためのマインド講座とのこと。

マインド、という単語を目にしただけで、なんとなく拒絶反応。不信感はますます募る一方です。

まずはその正体を突き止めるために、わたしはネットで検索魔と化すのでした。
そして、小田桐あさぎさんが出版されている本に興味を持ち、書店に行ってみることにしました。

ちょっと立ち読みしてみようかな。
そんな気持ちはよそに、なぜかわたしは勢いよくその本を1冊手に取って、吸い込まれるようにレジカウンターへ。

帰宅後、わたしは家事も育児も放り投げて
貪るようにその本の一気に読み切りました。

読了後のわたしは、今までの人生で築き上げてきたお金に対する価値観が見事に覆えされ、目から鱗がポロポロと。

長年の呪縛や魔法から解けたような、不思議な清々しさでいっぱいでした。

そして、
わたしのような疲弊するワーママが、少しでも生きやすくなるためのヒントがたくさん隠されていました。

ブロガーの彼女が進んだ先の世界が、少し理解できたような気がしました。

そうしてわたしは、この本の著者「小田桐あさぎ」という人物の虜になり、もっとこの人のことを知りたい!と、寝る間も惜しんでネットサーフィンで時間を溶かしていくのでした。

遂に大勝負に出る

小田桐あさぎさんのことを知れば知るほど、その魅力にハマっていきました。

著書「女子とお金のリアル」(以下「女子カネ」)を読んで、
わたしは今までの人生で積み上げてきた、お金に対する価値観を180度ひっくり返され、興奮状態にありました。

わたしはあまり裕福でない家庭に育ったために、節約や貯金が趣味のドケチ人間でした。

いくらお金があっても足りない、将来何があるかわからないから、という不安を打ち消すために、「貯金=正義」と思い込んでおりました。

それなのに、この「女子カネ」の本には、節約や貯金は一切推奨しない旨が書かれているのです。

 え?わたしの人生、何だったの?

初めこそは自分を否定されたような気持ちになりましたが、
如何せんわたしは、ドン底な日々をずっと過ごしてきたために
「だからわたしはこんな真っ暗なトンネルの中を彷徨っていたのか!」と
我に返って腹落ちしたのをよく覚えています。

間もなくして、小田桐あさぎさんによる「魅力覚醒講座」の講座生の募集が始まりました。
この講座の受講生のことを「アサギスト」と呼び、おおよそ20代から60代の女性で構成されています。
わたしのようなワーママOLはもちろん、専業主婦、起業家、女医、モデルなど、さまざまな属性・職種の方がいるようです。
皆それぞれに、自分のたった1度きりの人生を充実して楽しく過ごしているように見受けられました。

アサギストを名乗る人たちのブログもいくつか読んでみました。
どれを読んでも、わたしにとって魅力的としか思えない内容ばかり書かれていました。

講座の受講料はおおよそ給料の2ヶ月分、
こんな大金を払って、わたしも何か変われるのだろうか。

でも、ここで躊躇っていては一生このまま停滞し続けるだけかもしれない。
わたしの人生は、まだまだこのままでは終われない

そんなことを悩んでいたわたしを見かねて、夫が一言。

「悩むくらいなら入ってみれば?」

離婚を考えるほど関係性が悪くなっていた夫から、
こんな言葉が飛び出してくるとは思いもしませんでした。

夫はわたしに何か変わること望んでいたのでしょうか?

夫に後押ししてもらったと都合良く解釈し(笑)、
わたしはその「魅力覚醒講座」とやらを受講することに決めました。

申込時の最終決済画面でタップするわたしの指先は、とても震えていました。

えーーーい
思い切ってポチーーー!!!

あっけなかった。。

晴れてわたしもアサギストの仲間入り(笑)

「女子カネ」の本を読み終えたときと似たような爽快感に包まれていました。

講座受講後の今、わたしがこんなにも輝かしい毎日を過ごしているなんて、この時は思いもしませんでした。
想像を遥かに超える、自分の大きな変化がありました

あの時の決断をした自分に「よくやった!」と称賛したい気持ちでいっぱいです。

アサギストになって良かった!

実際に講座を受講してどうだったか、次の記事で具体的に綴っていこうと思います。

最後まで長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました!

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カガリ
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