人生における最大の悲劇とは何か
自分自身に向き合うこと
毎日の生活で、「面倒くさい」とか「退屈だ」などと思うことはありませんか?
私の場合、休日にそう思います。「今日何をしようかな?」といった時ですね。人によっては仕事中とか、自分に興味がないことに向き合っている時に感じるかもしれません。
そのような感情は、自分自身の心の中にある怒りなのです。自分自身と向き合えていないことから怒る、内なる声です。
自分の面倒くささや、退屈さに向き合うことは、人が成長するためのチャンスとなります。
退屈というのは自分にとって重要ではなく、あまり意味がないと感じていることに取り組んでいる時に感じられるもの。自分自身に大切なことを教えてくれるありがたいことなのです。
毎日会社に行って、同じ仕事をしていると退屈に感じられますよね。その退屈さというのは、自分で成長できていないと心の底で認識しているからなのです。
普段の生活では、そういう感情に向き合うことは難しいですよね。でも思いっきり退屈さに向き合ってください。公園などへ行って、一日中ボーっとするのも良いかもしれません。
暇つぶしということばがあります。
・会社帰りに飲みに行く
・用もないのに買い物に行く
・見たくもないにのテレビを観る
この暇つぶしというのは、お金・健康・時間を使うだけの害悪しかありません。一日を振り返って、自分がどのような行動をしているのか見直しましょう。そして、自分自身の内なる声に向き合いましょう。
シーシュポスの神話
シーシュポスの神話というのは、フランスの作家カミュの有名な随筆です。人生の不条理を描いたものです。
神の怒りを買い、無限の労働という罰を受けた男の悲劇の物語。その罰とは、大岩を山頂まで運び続けること。大岩を自分の身体だけで山頂まで運ぶ。山頂に着くと、岩は斜面を転がり麓まであっという間に落ちてしまう。シーシュポスは、再び岩を運ぶために山を下りていく。
無益で目的も目標もない労働に従事する、という作業をシーシュポスは課されている。その作業は罰であることをシーシュポスが分かっていること。自分の意志がないこと、これこそが人生における悲劇であるんだと。
どう生きるべきか
会社生活で、上司から仕事の指示がきますよね。あなたはその指示に従って、仕事をします。それでいいんですか?それだとシーシュポスと同じになってませんか?
要は、主体性があるかないかということです。その指示に関して、こうしたらもっと良くなるんじゃないかとか、逆にこうした方が効率的なんじゃないかということ。自ら考えて、行動することです。その結果、失敗したとしても後悔はないんじゃないですか。
人生において、自分が希望することを叶えることは多くはないです。大勢の方は同意してもらえるんじゃないですか。
自分の人生を他人に支配されているのか、自分で支配しているのか。その認識の違いというのは、人生が幸せがどうかを決定する大きな要因となるに違いありません。
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