みなさんこんばんワン
エリオットです。
かわいいオオカミです。かわいくてごめん。許してね。
許して…
…
「許してね」
って言葉の難易度に打ちひしがれる今日この頃です。
許しを求めることってこんなに苦しいのか…と…
かわいくてごめん…こんなにかわいい見た目で反省してます…
うそです…実は反省はしてないです…
すみません。
出だし間違えました。
仕切り直します。
最近思ってたことがあって
相手が許容するかどうかは置いておいて、
許されたいことは許してって言ってみることってアリだなと
そんでもって
「許す」
という感覚がまた、大事だなと
出だしふざけたのでちょっと何言ってるか分からない感じですが
厚かましさとか、自分らしさとか、そういうの出すのダメっぽい遠慮の感じとか
なんかずっと世の中のコミュニケーションの建前が
謝罪とか恐縮とか配慮とか前提でスタート
ばっかりになってるような空気感を感じてて
自分の好きにしたい、勝手したい、を承認してもらうゆとりある空気感無いなと
どこもかしこも許させれない空気感 日本全体 宇宙全体
宇宙には空気感ないか ダークマター感 素粒子感?
空気感的にも素粒子感的にも
マナーがある方がコミュニケーションエラーにならないと思うし、お互いの安全を作れるのはもちろんなんだけど
それってマナーなのか?ということがたくさんあって
マナーじゃなくて自己否定というか
なんかダメなとこを自分で恥じて隠してなんなら責められる前から謝罪して断りを入れて
アッスミマセンあのジブン変なこと喋ちゃってスミマセン時間取っちゃって、ア、違くてごめんなさい、アノ、アノ、、、
ぐらいの勢いなるときあるじゃないですか
ボクもキミもあるじゃないですか(言いがかり)
かわいくてごめん許してくださいはジョークでもそういうのボクもめちゃあるんですよ
いや…そこまで恐縮しなくていいじゃろ…
不躾なとこあるかもしれん!ごめんね!許してくれると嬉しい、頑張ってるから
それでいいやん…て思うんだよねぇ…
んでこれって世の中的にやりづらくなってきた傾向がある気がするんだけど
その原因って個人の接する社会の単位がでかくなりすぎてしまったせいなんじゃないかなって思うんですよ
例えば家族内だったら変な性質も癖も気にしなくて良いじゃないですか
仲のいい知人のコミュニティの中とか
もともとそういう小さな単位数でヒトって生きてきてたと思うんだよね
直接のコミュニケーションが取れて、ケンカしても誤解があっても解決ができる手の届く範囲が、個人が属する社会の単位
でも今って
SNSがあって、社会の単位の桁が違いすぎる
顔も素性も知らん人から「あなたできとらんわよ」と言われかねないし
逆もそう
知らなくてもよかった人の考えがタイムラインで飛び込んでくる いろんな気持ちになったりもする
結果、自分が生活の単位を超えた相手にも気を使わなくちゃいけなくなってくる
それがきっかけで、許す許される以前に、
断りを入れる、先に謝っておく…いろいろとテクニカルなコミュニケ〜ションになって
70億人全員疲れとらんかなと。ボクは疲れる。キミもそうじゃないですか(言いがかり)
自分が傲慢になりたいっていう考えが無くても
他人の傲慢が気になったり
自分の自然なふるまいが傲慢かと思われないか怖くなったり…
そのあたり根本的に考え方って変えれないかな〜と思っていて…
つづく(ねむい)