〇2021年8月27日日本公開・映画『サマー・オブ・ソウル』~1969年から2021年~アンド・ビヨンド、ハーレムの過去現在未来という点を繋いだ傑作(パート1)
〇2021年8月27日日本公開・映画『サマー・オブ・ソウル』~1969年から2021年~アンド・ビヨンド、ハーレムの過去現在未来という点を繋いだ傑作(パート1)
【”Summer Of Soul”: Harlem’s Past, Present And Future】
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〇『サマー・オブ・ソウル』~1969年から2021年~アンド・ビヨンド、ハーレムの過去現在未来という点を繋いだ傑作
【“Summer Of Soul” : Movie Documents Harlem Cultural Festival In Summer Of 1969】
50年。
2021年8月27日(金)から日本公開されるライヴ音楽ドキュメント映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』は、1969年6月末から8月にかけてニューヨークのハーレムの公園で行われた一大フェスティヴァルの模様をドキュメントした映画だ。同じ8月に行われた『ウッドストック』がひじょうに有名になったため、こちらは「ブラック・ウッドストック」などと呼ばれるようになった。しかし、なぜ50年もの間その映像は埋もれていたのか。それが50年後の今語りかける意味とは。フェスの成り立ちとこの映画について詳しくご紹介しよう。映画内容のネタバレは若干あるが、大勢に影響はないと思われるが、何も情報をいれたくないという方はご注意ください。どんな映画か知りたい方、また見るか見ないか迷っている方はお読みください。
1.ハーレム・カルチュラル・フェス。
ハーレムに根付く文化にスポットを当てようと企画された「ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル」。1967年から始まり、1969年は3回目。ただ1967年はちょっとしたミス・ページェント、1968年も小規模だということだが、これを記録しようという話が持ち上がった。ビデオで撮影録音して、テレビで特番にするか、映画にしようというわけだ。
3回目となった1969年夏は、6月末から8月の日曜日、6回行われた。正確には6月29日、7月13日、7月20日、7月27日、8月17日、8月24日に行われた。(各日の出演者リストは下記参照) 入場料無料。無料なので、ハーレムの人たちは着飾ったり、普段着の人もこぞってこれを見にやってきた。木に登って観覧している者も少なくない。ステージに登場するのは、さまざまなタイプの音楽を奏でるミュージシャン、コメディアン、ダンサー、政治家など。毎回3~5万人が集まり、6回で30万人が集まった計算だ。ちなみに、翌年(1970年)も企画されたが、あまりスポンサーが集まらなかったために、小規模で開催し、それが最後になった。(1970年回は、実際は行われなかったという情報もあり不確定。)1969年夏と言えば、のちに映画としても公開される『ウッドストック』のライヴ・フェスがニューヨーク郊外で行われ、以後の音楽、文化、ロック・フェスを規定するような存在となった。ウッドストックは1969年8月15日から18日までの週末に行われた。
予告編 日本語字幕付き(約1分56秒)
https://www.youtube.com/watch?v=TOEBts50p3M&t=2s
「ハーレム・カルチュラル・フェス」の参加アーティストの音楽ジャンルは、ソウル、R&B、ファンク、ジャズ、ゴスペル、ブルーズ、ラテン、カリプソ、ダンス、政治的スピーチ、コメディーまでハーレムに根付くあらゆるブラック・ミュージックやカルチャーを取りそろえたので、文字通りハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル(ハーレム文化祭)になっていた。路上にはソウルフードやグッズ販売の屋台が登場し、まさにハーレムの夏のお祭りになっている。
2.古いテレビ・ガイド誌を漁って発掘
このフェスは、ニューヨークのクラブ・シンガー、トニー・ローレンスがブラックの音楽と文化を称えようと企画したが、撮影したのは、タル・ハルチンという元々テレビ・プロデューサー、カメラマンだった人物。ところが、撮影したはいいが結局ほとんどのメディア、映画会社が興味を持つことがなく埋もれてしまった。ただ唯一、ニューヨークのCBSとABC系列のローカルテレビ局が、1時間程度のライヴ映像などをまとめた番組2本にして放送した。
タル・ハルチンによれば、「当時は誰もこの作品に興味を持たなかったが、これは将来必ず価値あるものになると思った」という。(2007年2月1日付け、スミソニアン・マガジン) タルチンは1926年12月23日生まれ、この取材時点(2007年)で80歳、1969年6月に撮影したときは42歳だ。
https://www.smithsonianmag.com/history/black-woodstock-146793268/
この映像が発掘されるのはこの記事が出た数年前、2004年頃のこと。リサーチャーのジョー・ラウロという人物が古い「テレビ・ガイド」誌(週刊)を見ていたところ、CBSとABCで放送されたらしきこの「ブラック・ウッドストックの番組」を見つけたとき。テレビ・ガイド誌はご存じの通り、毎日のローカルの全テレビ局の全番組をリストアップした番組表が売り物の雑誌で、一時期隆盛を極めた。日本でも同様の雑誌が出ていたのでご存じの方も多いだろう。
そこで見つけたこの「ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル」の番組について調べるうちに撮影者のタル・ハルチンやその他の関係者にたどり着いた。このテレビ・ガイド誌を丹念に何十年分も見ていったところがすごい。
一方、タル・ハルチンは、とにかく撮影予算がなかったため、照明機材を満足に集められなかったので、ステージを西向きに設営した。そうして、西日をステージに当てることにしたのだ。ショーは午後3時から始まるので、西日が当たれば、なんとか必要な露出は得られるというわけだ。
ラウロによれば、「誰もこのこと(フェスティヴァル)については話したがらなかった。だから、多くの(ブラック・)ミュージシャンがヨーロッパに行ってしまったのだろう」と言う。確かにこの時点では、まだウッドストックも行われておらず映画もできていないから、こうしたコンサート音楽映画がどういう価値を持つかなどは誰にもわからなかった。(終了時には、ウッドストックも終わっていたが、映画は未公開) そして、特にジャズ・ミュージシャンやブルーズ・ミュージシャンなどは、足元のアメリカ本国よりも、遠くイギリス、ヨーロッパ、あるいは日本などでのほうが評価されていたために、アメリカでは「灯台下暗し」で冷遇されていた時代という背景もあったようだ。
そして、ラウロの協力でタルチンは40時間以上分あったアナログのビデオ・テープをすべてデジタル化した。
ラウロはアーカイヴ映像の発掘、保全に大変熱心な人物で『エド・サリヴァン・ショー』などきちんと管理している人物だ。権利者に連絡を取り、権利関係をすべてクリアにして、管理、オフィシャルに貸し出したり、販売ライセンスを与えたりする仕事をしている。
彼は映像作家のロバート・ゴードン、モーガン・ネヴィルに声をかけ、この「ハーレム・カルチュラル・フェス」のライヴ映像になんとか日の目をあてさせようとする。ロバートとモーガンは、『マディー・ウォーターズ・キャント・ビー・サティスファイド』(2004年)などを共に作った仲間だ。モーガンは、のちに『20フィート・フロム・スターダム(邦題、バックコーラスの歌姫たち)』(2013年)などを作っている。
この「ハーレム・カルチャラル・フェス」の秘蔵映像をなんとかしようと思った彼らは、この膨大な映像の一部を他のドキュメンタリーなどに貸し出すことにした。こうして、2005年に製作が発表されるニーナ・シモーンのドキュメンタリー2本に、シモーンの部分が使われることになった。『ソウル・オブ・ニーナ・シモーン』(2005年)と『ホワット・ハプンド・ミス・シモーン?』(2015年)だ。この貸出によって、その存在が少しずつ知られるようになり、いくつかのオファーが来るようになったという。ほぼ誰もがこのシモーンの映像と音を聞くと、膨大なアーカイヴが大変貴重なものであることを瞬時に理解したという。
■『ホワット・ハプンド・ミス・シモーン』について
ニーナ・シモーンのドキュメンタリー『ホワット・ハプンド、ミス・シモーン』全米公開
2015年06月24日(水)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12040817394.html
3.フェスから50周年記念イヴェント~日の目を見なかった3組のアーティスト
2017年頃からこの映像の権利を取得した現プロデューサー、ロバート・ファイヴァント、デイヴィッド・ダイナーステイン、ジョセフ・パテールらが監督を探し、結局、クエストラヴ(ザ・ルーツ)に依頼。クエストラヴは、当初話が来た時に自身は映画を監督したこともなかったので躊躇したが、映像をいくつか見せられ、これは自分が音楽をキュレートするようにまとめて、そのストーリーを語らせればいいと思い、監督を引き受けた。彼は数か月間、40時間以上の映像を繰り返し何度も見て、自身が鳥肌が立ったところなどを小まめにメモした。クエストラヴは、自宅でキッチンでも、リヴィングルームでも、バスルームでも見られるようにして四六時中この映像を見ていたという。
この製作開始時点では配給会社なども決まっておらず、どのような形で発表するかも未定だった。そんな中、この映像を撮影したハル・タルチンが2017年8月29日に90歳で亡くなってしまった。
それから数か月後、タルチンの遺族がさまざまな物を処分するので、映画関係の物で必要なものがあれば渡すということになり、クウエストラヴらがそれらを見に行った。
すると、そこにはまだ膨大な資料があった。特に、このフェスティヴァルに関する詳細な契約書のコピーがあったのだ。その中には、驚くべき新事実が隠されていた。
大きな新事実としてクウエストラヴは3つのことをあげている。その3つはこうだ。
1 元々アリーサ・フランクリンが出演予定だったが、出演日3日前に電報でドタキャンしてきた。
アリーサの出演は7月13日回の予定だったので10日木曜に電報が入った。当時はEメールもないので、電報というところが時代だ。もちろん、電話もあるが、書面で残すには電報のほうがしっかりする。アリーサは、この日、ゴスペルのマへリア・ジャクソンと一緒にデュエットをすることになっていた。マへリアも2日前まではそのつもりでいた。ところがドタキャンになったので、急遽、その日出演予定だったメヴィス・ステイプルに白羽の矢が立ち、彼女がピンチヒッターでマへリアの相手を務めることになった。そういうわけで、ステイプル・シンガーズだけ唯一、このフェスで2場面で登場することになった。
2 無名時代のルーサー・ヴァンドロスが参加していた「リッスン・マイ・ブラザー」というバンドが出演していたが撮影されなかった
撮影クリューの都合で第6回(最終週)のビデオ撮影ができないことになった。そのため、ビッグネームなど知名度があるアーティストはできるだけ、その前(つまり5週目までに)出演させ、収録させることが望まれた。この「リッスン・マイ・ブラザー」はアポロ劇場のスタッフがマネージする16人組で、まだ無名のバンドだったが、ルーサー・ヴァンドロス(当時18歳)の他に、フォンジ・ソーントン、ロビン・クラーク、カルロス・アロマーら(この二人、ロビンとカルロスは1970年に結婚)が参加して地元のクラブなどで演奏していたもの。アポロのコネがあったので、レコードやヒットはなかったが、このフェスの最終日にブッキングされたのだろう。彼らはのちに1975年、デイヴィッド・ボウイの『ヤング・アメリカンズ』のレコーディングに参加、注目を集めることになる。結局、彼らは6週目に出演したが、そのためフィルム(ビデオ)が残っていない。もし、それが残っていたら、間違いなく、今回の『サマー・オブ・ソウル』の一角を担っただろう。
3.ジミ・ヘンドリックスがこのフェスに参加したがったが、主催者側が却下していた
ジミ・ヘンドリックスがこの『ハーレム・カルチュラル・フェス』に参加したがっていたが、なぜか主催者側が断っていた。ジミ・ヘンドリックスは、この頃、ブルーズ・アーティストのフレディー・キングとツアーをしており、8月末にニューヨークのライヴハウスでライヴを行っており、それにあわせてこのフェスへの出演を考えたようだ。ただ、ヘンドリックスはご存じの通り8月15日から18日まで行われた『ウッドストック』に登場し、センセーションを巻き起こしている。もし、その翌週のハーレム(8月24日)、あるいは、前の7月27日に登場していれば、これはこれで大きな話題になっただろう。
この3つが契約書やメモなどの書類から判明した特筆すべきバックストーリーだ。
そして、2019年7月、ちょうど、イヴェントから50年、50周年の記念イヴェントが行われることになったが、当初は、このイヴェントにあわせて映画を公開しようということだったが、それまでには間に合わず完成にはいたらなかった。
クエストラヴは、最初にスティーヴィーのドラムソロを見て、驚嘆した。彼はドキュメンタリー作品の最初と最後が一番重要だと考え、真ん中にもうひとつの山場を持ってこようと考えた。その真ん中の山場は、メヴィス・ステイプルから、ゴスペルの大先輩、マへリア・ジャクソンに同じ一本のマイクが手渡される瞬間だ。1969年当時、まだメヴィスはゴスペル界では少し知られるようにはなっていたが、一般的には無名。その新人が大先輩と同じステージに立ち、しかもマイクを手渡すのは彼女にとっては大感激ものだ。ステイプル・シンガーズが「アイル・テイク・ユー・ゼア」の全米ナンバー・ワンで一挙に有名になるのは、1972年のこと。この3年後だ。
このタルチンが撮影したライヴ・シーン、その他のシーンの映像自体のもつパワーは計り知れない。
今回の映像を見た者からすると、意外といい音で録れていると思われるかもしれない。クウエストラヴによると、このイヴェントは、マイクがわずか15本しかなかったという。今のフェスやライヴの標準から比べると異常に少ないそうだ。ルーツの最近のライヴでもマイクは100本近いという。逆に彼は、なんでこんな少ないマイクでこれほど綺麗な音が取れているのかその謎がわからないという。
クエストラヴ監督の作品は『ア・クエストラヴ・ジョーン~サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』となって、2021年1月末にサンダンス映画祭に出品され、「グランド・ジュリー・プライズ」(大陪審賞)と「オーディエンス賞」を獲得。その後、これを見たディズニー系のサーチライト・ピクチャーズとフールーが約1200万ドル(約13億2千万円)で配給権を獲得。3月末に、2021年7月2日全米劇場公開、インターネット配信サーヴィス、フールーで配信公開という情報が明らかにされた。海外はディズニー系列の劇場公開システム、配信プラットフォーム(ディズニー・プラスなど)で公開される。
このフェスには当時(1969年)のブラック・カルチャーのありとあらゆる要素が詰まっている。様々なタイプの音楽、ファッション、食、政治などなどだ。ときあたかも「ブラック・パワー」「ブラック・フィスト」(黒人のこぶし)が盛り上がっていた時代だ。
■ブラック・フィスト
「ピーター・ノーマンを知っているかい?」 メキシコ五輪銀メダリストのその後の人生
2020/07/05
https://note.com/ebs/n/n30ad763d01a3
(1968年メキシコ五輪で金メダル銅メダル獲得者が表彰台でこぶしをつきあげたストーリー)
この「ハーレム・カルチャラル・フェスティヴァル」では、なんと大きなトラブルなどほとんど起こらなかったという。これは1969年という時勢を考えると、特筆すべき奇跡的なことと言えそうだ。というのは、1968年4月にはマーティン・ルーサー・キング牧師暗殺、同年6月、ロバート・ケネディー暗殺などで1969年は全米各地で黒人の暴動が起きていた時期だからだ。(ちなみに、ジョン・F・ケネディーの暗殺は1963年11月23日、マルコム・Xは1965年2月21日) だが、このフェス内では暴動などはまったく起こらなかった。
4.ブラック・パワーさく裂~50年前と現在を結ぶ線
そして、ここにはブラック・パワー、ブラック・プライドの爆発が映し出される。喜び、悲しみ、苦しみ、希望、絶望、発展、後退…。ブラックのそうしたものがすべてここに図らずも描かれた。そして、ここにはあらゆる人種が集まっていて、結果的に黒人だけのお祭りには必ずしもなっていないところが興味深い。ハーレム全体のお祭りなのだ。ひょっとすると黒人のハーレムだけでなく、スパニッシュ・ハーレムの人々やラテン系の人たちも十分に楽しんだのだろう。
しかも、それを50年後に編集するにあたり、1969年に出演したアーティストや当日、そこに参加した何人かに声をかけ、50年ぶりの映像を見せ、感想を語らせる。こうして50年(半世紀)の時の流れがばらばらの点から太い線につながるように描かれる。実際、かつて描かれ語られた差別や暴力などについては、50年後の今も何も変わっていないことが多数ある。特に警官の暴力は、50年後の今も続き、それが昨年「ブラック・ライヴズ・マター」の動きを加速させた。
クウエストラヴは、このフェスに当時参加した人を自身のSNSで探した。そこに応募してきた中に、映画でもでてくるムサ・ジャクソンがいた。1969年、5歳のときにこれを見た彼は現在57歳。クウエストラヴ自身は彼が若すぎるから、本当に参加したかどうか疑心暗鬼だったが、話をしているうちに彼が様々なことを思い出してきたので、これは本物だと確信した。そして彼にこの映像の一部を見せたところ、50年前の記憶が蘇り、目に涙をためるシーンが映し出される。これを見て、監督は、当時の人の証言をもっと集めて、過去と現在を結ぼうと考えたという。
マリリン・マックーとビリー・デイヴィス・ジュニア(共にフィフス・ディメンション)も同様のリアクションを見せるが、ほかにもハリー・ベラフォンテ、チャック・ジャクソン、チェンバース・ブラザーズ、メヴィス・ステイプルズ、スティーヴィー・ワンダーらにもインタヴューを申し込んでいたが、2020年パンディミックのため、残念ながら実現しなかった。
50年前を今に呼び起こすタイム・マシーンとしての機能さえこの『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』にはある。50年前をよく知る者にとっては、血と汗と涙がほとばしりでてくるであろう作品だ。たぶん、ただの50年前のライヴ映像をまとめたというだけでなく、第一義的にライヴ・パフォーマンスの力強さを見せることは当然として、そこに2021年なりの視点を加えたことで、過去と現在がつながり、未来への道を見せることに成功したと言える。50年前の過去の映像がただ倉庫から飛び出してきたというだけでなく、今にこそ見るべき作品に仕上げたのは、クエストラヴの大いなるトライアンフ(勝利)だ。
5.なぜ50年も地下室に埋もれていたのか
今回の『サマー・オブ・ソウル』の発表に関して、なぜ本作品は50年近くハル・タルチンの地下倉庫に埋もれていたのか、ということだが、先に書いたように、「当時は誰も興味を持たなかった」というのが一番の大きな理由だろう。まだ『ワッツタックス』(1972年)もリリースされていなかった時期。また、ブラック映画も、やっと『シャフト』(1971年)、『スーパーフライ』(1972年)などがヒットし始めた頃。しかし、これらはいわゆるエンタテインメント映画で、このようなライヴ映画、ドキュメンタリー的な映画にはほとんど注目が行かなかった。(『ウッドストック』は全米では1970年3月公開)
またひとたび権利を取っても、各アーティストへの許諾をすべて取らなければならないので、想像以上に大変な作業になる。
それがここ20年ほど、音楽ドキュメンタリー映画の製作がかなりひんぱんになり、おもしろい作品も出るようになり、やっとこうした作品にも順番が回ってきたということなのだろう。
登場アーティスト一覧は下記リスト参照。
スティーヴィ―、スライ&ファミリー・ストーン、フィフス・ディメンション、グラディス・ナイト&ピップス、デイヴィッド・ラッフィン、BBキング、ヒュー・マサケラ、ハービー・マンなどなど、立派なフェスティヴァルだ。
グラディス・ナイトやマリリン・マックーのなんとキュートなこと。のちに大統領候補になるジェシー・ジャクソンの血気盛んなスピーチ。
ジャクソンのスピーチも熱いが、ニーナ・シモーンのアジテーションも激しい。「白い物(者)=白人=をぶっ飛ばす用意はできてるか? ビルを焼き払う気構えはあるか?」と言って約45分のステージを始める。
また40時間の映像の中には2時間近いスティーヴィー・ワンダーのインタヴューもふくまれているという。映画ではせいぜい2分くらいしか使われなかったが、モータウンのこと、シンセサイザーのこと、ベリー・ゴーディーのことなどを語っているらしい。
そして、50年以上も前の映像なので、ここに出てくるヒュー・マサケラ、ニーナ・シモーン、マへリア・ジャクソン、B.B.キング、デイヴィッド・ラッフィンなどは故人となっている。
50年の深い眠りから今目覚めたこの2時間のフィルムには、そこに参加したステージ上のアーティストだけでなく、観客として参加した市井の人々全員の彼のストーリー(History)と彼女のストーリー(Her Story)が歴然と存在する。正真正銘のドキュメンタリーだ。
『ウッドストック』のフェスティヴァルと映画はその後のロック・カルチャー、音楽カルチャーに大きな影響を与えた。もしこの『サマー・オブ・ソウル』が当時公開されていたら、ソウル、R&Bの世界に大きな影響を与えただろう。ちょうどこの種のライヴ映画だと、1972年の『ワッツタックス』という大フェスティヴァルのライヴ映画が出てクラシックとなっているが、この『サマー・オブ・ソウル』はその『ホワッツタックス』に匹敵するカルチャー・インパクトを持つ作品だ。
ハル・タルチンは、この映画の完成を見ることなく2017年8月90歳で死去。そもそもこの企画を立てたトニー・ローレンスは、1969年のこのイヴェントにかかわった白人のスタッフが資金を横領したと主張していたが、その後現在は消息不明。最初にこの映像を発掘しデジタル化したジョー・ラウロは、途中でこの企画から外され、現在の作品にクレジットさえ載せられていないことに不満を表明している。
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6.登場アーティスト一覧
本作は、全米では2021年7月2日(金)から全米で劇場公開、その翌日から配信サーヴィス社フールー(Hulu)でストリーミング配信されている。(なお、アメリカHuluと契約すれば、配信を視聴可能)
また、日本では2021年8月27日(金)から劇場公開される。
■オフィシャル・サイト
https://searchlightpictures.jp/movie/summerofsoul.html
上映劇場一覧
https://searchlightpictures.jp/movie/summerofsoul/theater.html
https://searchlightpictures.jp/movie/summerofsoul/theater.html
各日登場アーティストは、次の通り。
Artists / Dates
June 29 (Sun) 1969
The Fifth Dimension
Abbey Lincoln
The Edwin Hawkins Singers
George Kirby
Olatunji
Max Roach
July 13, 1969
Mahalia Jackson
The Staple Singers
Herman Stevens & The Voices Of Faith
Reverend Jesse Jackson & The Operation
Breadbasket Band
July 20, 1969
Stevie Wonder
David Ruffin
Chuck Jackson
Gladys Knight & The Pips
Lou Parks Dancers
July 27
Mongo Santamaria
Ray Barretto
Cal Tjader
Herbie Mann
Harlem Festival Calypso Band
August 17, 1969
Nina Simone
B.B. King
Hugh Masakela
Harlem Festival Jazz Band
August 24, 1969
Miss Harlem Pageant
La Rocque Bey & Co.,
Listen My Brothers & Co
日本では2021年8月27日(金)から劇場公開される。
第一報
1969年ブラック・ウッドストックの記録映像『サマー・オブ・ソウル』全米で2021年7月2日公開、日本公開も決定
2021/04/30
https://note.com/ebs/n/n1af90ab277cd
第2報
『サマー・オブ・ソウル』6月19日~ジューンティーンス・デイにマーカス・ガーヴェイ公園で無料試写会開く~その後ライヴ配信も
2021/06/19
https://note.com/ebs/n/nd01ae0952cbd
第3報
『レディオ・ディスコ』で『サマー・オブ・ソウル』を紹介
Soul Searcher
2021/07/04
https://note.com/ebs/n/n39a676f9eae2
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詳細セットリストは、映画公開日後にご紹介します。
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今回の『サマー・オブ・ソウル』に関しては、フィフス・ディメンションのことなどをちょっと書いておきたいので、パート2などで書きます。
(この項、パート2へ続く)
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