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緊急特集 ルーサー・ヴァンドロスのドキュメンタリー『ルーサー:ネヴァー・トゥ・マッチ』を見て 詳細レポート (パート2)

(値段はついていますが、最後まで無料で読めます)

緊急特集 ルーサー・ヴァンドロスのドキュメンタリー『ルーサー:ネヴァー・トゥ・マッチ』を見て 詳細レポート (パート2)
 
【Watching Luther Vandross’s Documentary ”Luther : Never Too Much” (Part 2)】
 
ドキュメンタリー。
 
アメリカ時間2025年1月1日夜8時(日本時間2日朝10時)(東部西部時間等各タイムゾーンいずれも同時刻)からCNNでルーサー・ヴァンロスのドキュメンタリー映画『ルーサー:ネヴァー・トゥ・マッチ』が放映された。2時間枠(実際は正味約1時間38分)でオンエアされ、その後、CNNオンデマンドなどのストリーミング・サーヴィスでストリーミングが開始した。(日本からは、Express VPNなどのプロキシー・サーヴァー経由が必要)
 
昨日のパート1
 
緊急特集 ルーサー・ヴァンドロスのドキュメンタリー『ルーサー:ネヴァー・トゥ・マッチ』を見て(パート1)
2025年1月6日

 
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以下、ドキュメンタリー詳細、昨日の続き。
 
 
ACT 4 体重増減の重圧~
 
続いて「バッド・ボーイ」「ハヴィング・ア・パーティ」などが誕生。リリースから4枚のアルバムがいずれもプラチナムに。プロデューサーとして、アリーサ、ディオンヌなどをプロデュース。エディー・マーフィーがルーサーをネタにするほどになる。またたく間に彼はスーパースターになった。
 
そして、その重圧が彼にのしかかる。一番話題にされたのが、ルーサーの体重の増減問題だった。
 
テレビの司会者から「どれくらい痩せたんだい?」と訊かれると、「126ポンド(約57キロ)だ」。
 
親友マーカス・ミラーは体重問題が、ルーサーの心に大きな重しになっていたと語る。
 
ルーサー。「レコーディングがうまく行かなかったりしたら、それを言い訳にして食べる。なんでも言い訳にして、食べる。でも、それはよくないことだとわかっていた。ただ、(太ったり、痩せたりすることは)僕の声、歌唱にはまったく影響を与えなかった」
 
ジェイミー・フォックス。「誰か好きになった女性に告白したいときに、電話越しにルーサーの曲を聴かせて、『これが僕の気持ちだ』とやれば、10回中10回、100回中100回、うまくいった」
 
ルーサー。「でも、僕は(そうした)『ラヴ・ドクター』(愛の先生)として知られるより、『プレミアム・シンガー』(高級な、上級な、品の高い、シンガー)として覚えてもらいたい」



 
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ACT 5 交通事故
 
1986年1月。好事魔多し。ルーサーが運転していた車がロスアンジェルスで大事故を起こしてしまい、ルーサーも大けが、同乗者が死亡するという悲劇が起こる。これがまた彼に大きな心の傷となった。ちょうど、彼がプロデュースしていたジミー・ソルヴェミニ(後部座席に)とその兄でありマネージャーであるラリー・ソルヴェニ(助手席に)が乗っていて、助手席のラリーが即死という大事故だった。ルーサーも大けがを負い事故に関して、危険運転致死傷罪に問われ、また、ソルヴェニ家から訴訟を起こされ、和解金も払った。
 
ツアーの予定があったが、一時中止に。しかし、結局、落ち込んでいても始まらないので、ツアーに出ることになる。そして、この心の痛みから、また「食べること」に。そして再び、太っていることが、ゴシップ誌のかっこうのネタになった。それが彼に見えぬプレッシャーを与えた。
 
ツアーの準備が始まると、ルーサーも音楽に没頭した。コーラスのアヴァ・チェリーらによると、1日10時間、週6日のリハーサルが行われたという。ルーサーがコーラス隊にバックコーラスのやりかたを具体的に指示するシーンも。
 
リサ・フィッシャー。「彼は(コーラスに関して)まるで映画監督のようだった。声の強弱、トーンなど、ハーモニーなど細かく指示してきた」 
 
音楽監督のナット・アダレー・ジュニア。「とにかく完璧主義者だった。金に糸目はつけない感じだった。正しくやりとげる、それに尽きた」
 
マーカス・ミラー。「(あれだけの本数のライヴを)やると、出来不出来がでてくるものだが、ルーサーの場合は、毎晩、毎晩すべてを完璧にこなしていた」
 
衣装もぜいたくに作っていて、それらが紹介される。無名時代の「シェイズ・オブ・ジェイド」「リッスン・マイ・ブラザー」時代から、「ユニフォーム(衣装)」を作るんだ、と言っていたルーサーらしいエピソードだ。そして、彼はすべてに自費をつぎ込んでいた。



 
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ACT 6 クロスオーヴァー問題の悩み~
なかなか白人マーケットから認められない、グラミーが取れないという葛藤
 
ルーサーのクロスオーヴァー問題について、音楽ジャーナリストのジョン・プラットが解説する。
 
「ルーサーはR&Bアーティストだったが、ずっと(白人マーケット、白人のラジオに)クロスオーヴァーしたがっていた」
 
これを受けて、のちに「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」を共作するソングライター、リチャード・マークスが解説。
 
「ルーサーは他の白人アーティストたちが得ている制作予算や、宣伝予算が、正しくもらえていない、と強く思っていた。白人アーティストが自分の3倍の予算をかけられていたと見ていた。それはおそらく人種差別的にレコード会社のお偉い方からそう思われていたからだろう」
 
ナイル・ロジャーズ。「アメリカのラジオ界は、黒人のものと、白人のものと、きっぱり別れていた。ラッキーなことに、黒人でも白人マーケットにクロスオーヴァーできれば、莫大なレコード・セールスを期待できた」
 
レコード店でも、ブラック・ミュージックは、ホワイト・ミュージックに比べ、端っこや裏などに置かれるようになっていた。
 
ルーサーは、グラミーも欲しいと言っていた。それまで、9回ノミネートされていたが、いずれも逸していた。1991年、10回目のグラミー候補でついに獲得。レジーナ・ベルとマイケル・ボルトンが壇上で「受賞者は…」 「ルーサー・ヴァンドロス!」とコールする。「ヒア・アンド・ナウ」で受賞。ことのほか、大喜びだった。
 
マーカス。「グラミーの翌日だったか、スタジオのみんなにこう言ってたよ。今日からは『ルーサー・“グラミー・ウィナー”・ヴァンドロス』と呼んでくれ」ってね。その日は一日中、ずっとそう言っていた」と笑う。
 
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ACT 7 「スーパースター」の芸術性
 
マーカス。「ルーサーは(カーペンターズの)「スーパースター」をかつて聴いていた。あるとき、ルーサーが『スーパースター』を録音したいと言ってきた。あのカーペンターズの? 『そうだ』という」
 
ナット・アダレー・ジュニア。「曲全部を、イントロから最後までアレンジしたのが、あれが最初だったと思う」
 
マーカスは、この最後の部分のジャズ的な要素を指摘する。
 
ルーサーと「エンドレス・ラヴ」をデュエットしたマライア・キャリーがルーサーとのデュエットについて「大変光栄だった」と話す。
 
「エニワン・フー・ハド・ア・ハート」をナットとピアノで練習するシーン。ディオンヌがルーサーのカヴァーについて証言。
 
「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」について、ディオンヌは「ルーサーのものは究極のヴァージョン」と絶賛を惜しまない。アワード・ショーでのライヴでは、客席にいたディオンヌは感激して目元をぬぐう。
 
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ACT 8 エピックを離れ、アリーサ、ディオンヌをてがけているクライヴ・デイヴィスのもとに
 
2001年.ヒップホップ世代の登場によって、ルーサーのようなシンガーが厳しい時代になってくる。
 
ルーサーは、クライヴ・デイヴィスのJレコーズと契約。



 
オプラ・ウインフリーのショー。一般視聴者からの質問。「たくさんのヒット曲がありますが、あなたにとって特にお気に入りの曲を選ぶとすれば何ですか?」
 
ルーサー。「『エニー・ラヴ』だな。たぶん、唯一のオートバイオグラフィカル・ソング(自伝的楽曲)だから。その曲を書いたときの気持ちが、そのまま曲に表れているから」
 
マーカスが解説する。「ルーサーは言っていた。『自分はこれまでにすべてを手に入れたラッキー・ガイだ。でも、なにか唯一欲しい物があるとすれば、それはどんな形でもいいから『愛』(Any Love)を手に入れるチャンスだという。う~~」
 
ロビン・クラーク。「ルーサーは言っていた。『僕は神からあらゆる欲しいものを手に入れることができた。唯一得ていないものは、たった一人でいいから僕を愛してくれる人物だ』と。私は言った。「あなた、なに、言ってるの? 私たちみんなあなたのこと、大好きよ。愛してるわ。すると、『そういうことじゃないんだ』という」
 
マーカス。「彼の人生は思い切り喜びに満ちた瞬間もあれば、厳しいときもあった。ルーサーが急速に体重を減らしたあと、ルーサーが死んだ、という噂が広まった、エイズかなにかで。ルーサーが言っていた。『日曜日の夜テレビを見ていたら、僕(ルーサー)が死んだので、牧師が弔っていたんだ。ここに、生きてるのに』って。『有名』と『富』、有名であることはかならずしもカッコよくはない。富はいいものだが、と思うがね」
 
また、彼がゲイではないかという噂が立った。「もしゲイであることを公表したら、多くの女性ファンが悲しむだろうと考えていたのではないか」とパティー・ラベールは言う。
 
ルーサー。「僕がリスナー(ファン)のみなさんに責任があるとすれば、僕の音楽とその才能、最高のパフォーマンスを見せられるかどうかだと思う。それがすべてだ。(ゲイであるかどうか)僕は否定もしない、肯定もしない。僕のパーソナルなことで、真実かデマかも、言及しない。それはすべて自分の曲の中で語る。そして、一言『放っておいてくれ、余計なお世話だ』というしかないな」
 
そして、周囲は体重の増減について、また糖尿病のことも気にするようになった。
 
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ACT 9 キャリア・ソングの誕生
 
ルーサーはいつもレコーディングをしていた。あるとき、フォンジ・ソーントンに夜中、スタジオに来てくれ、と連絡があった。
 
ルーサー。「いやあ、僕のキャリア・ソングができたんだよ」と言って、これを聴かせてくれた。
 
「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」。
 
メリー・アイダ・ヴァンドロス(ルーサーの母親)。「その曲を聞かせてくれたとき、本当に驚いた。恐れ入った。なんでこんな昔のことを彼は覚えていたのでしょう、って。もう心をわしづかみにされたわ」
 
マーカス。「(これを聞いて)ただ泣いたよ。とても、神聖で、正直で、長い間、彼の頭の中に貯めていたものが、ついに出てきたんだって感じた。そして、その後まもなく、脳卒中に襲われる」

https://www.youtube.com/watch?v=7hXH3LUnZQI

 
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ACT 10 脳卒中
 
脳卒中で倒れたとき、彼を迎えに行ったパーソナル・アシスタント、マックス・シザーデックがその瞬間を語る。これは第一次証言者だから、リアルに胸にくる。
 
そして、「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」が見事にグラミー賞「ソング・オブ・ジ・イヤー」に輝く。受賞の席にいたのは、共作者のリチャード・マークス。ルーサーの分も代わりに受け取り、その直後、病院に出向いた。
 
おそらく最後のインタヴューがオプラ・ウィンフリーとのもので、ルーサー本人がサングラスをかけ答える。そのテンポはゆっくりで、歯切れは悪く、多くの言葉がでてこない。
 
最後にフォンジやアヴァ・チェリーらが病院に呼ばれる。「彼が息をしていない」と。
 
その後、お別れの葬儀。ディオンヌが弔辞。ルーサーの葬儀では、スティーヴィー、アリシア・キーズ、フレディー・ジャクソンらもセレブレーションに加わった。
 
ハリウッドの「有名人歩道」にルーサーの名前が刻まれる。
 
マーカス。「アリーサときけば、アリーサのことを思い出す。マーヴィンと言えばマーヴィンの音が鳴る。スティーヴィーというだけでスティーヴィーがわかる。ルーサーと言えば、彼について話したことがすべて蘇る」
 
「ソー・アメイジング」のライヴで幕。まさに、アメイジング(驚異的)なルーサー・ヴァンドロスだった。

https://www.youtube.com/watch?v=jsAubWBKbuk

 
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Epilogue ~ 2時間弱のこのドキュメンタリーを見て
 
約2時間のドキュメンタリー。ナイル・ロジャーズ、マーカス・ミラー、リサ・フィッシャー、アヴァ・チェリーなどなど、ニューヨークでの仲間たちが次々と証言をする。
 
ルーサーは生涯、結婚しなかった。だから「エニー・ラヴ」を探し求めた。
 
ルーサーは4人兄弟の末っ子。ルーサーの母は自分の4人の子供と夫の旅立ちをすべて看取った。自分の子供全員を看取るとは、母親としてどれほどのものか。
 
ルーサーは、思った以上に心が繊細で、体重の増減を言われることに心が傷ついていた。外面では笑いながら、ジョークにしていたにもかかわらずだ。
 
ルーサーは、自分の音楽が黒人の音楽だから白人の音楽程、白人に受け入れられていないと不本意に感じていた。
 
ルーサーは十代で知ったアリーサ、ディオンヌ、モータウンのダイアナ・ロスなど多くの憧れのシンガーと一緒に仕事をすることができて感激していた。
 
ルーサーはおしゃれが大好きだった。まだ売れる前から、バンドメンバーにはきちっときまった「ユニフォームが必要」だと思っていた。売れてからは、金に糸目をつけず、豪華なステージ衣装を作って観客も、そして、パフォーマーたちも喜ばせていた。
 
ルーサーのキャリアでは本当に輝かしいこともたくさんあった。ワン・アンド・オンリーなシンガーとして十分歴史に残る存在だ。
 
ルーサーのあのヴェルベット・ヴォイス。あの低音から高音に一気に歌い上げるテクニック。
 
しかし、54歳での旅立ちは早すぎた。
 
だが、彼が残したレコード、CD、そして、映像作品は永遠に残る。このドキュメンタリーや他の映像作品、CDなどを聴いて、新しく彼のファンになる若い人たちも多く登場するだろう。このドキュメンタリーをきっかけに、新たな「ルーサー・チルドレン」が生まれることを祈る。
 
 
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関連記事
 
ルーサー・ヴァンドロス・ドキュメンタリー,2024年11月1日から全米劇場で公開
2024年10月31日

 
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ルーサー・ヴァンドロスに関してはおそらく日本で一番多くの情報が満載されている「ソウル・サーチン・ブログ」の過去記事からの一部
 
■ルーサー・ヴァンドロス過去関連記事(一部)
 
ルーサー・ヴァンドロス、ドキュメンタリー今秋全米劇場公開へ、ネット/ケーブルなどでは2025年CNN、OWNなどで
2024年8月10日

 
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2023年12月12日(火)

 

 
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『ソウル・サーチン:ザ・セッション』
 
毎回一組のアーティストにスポットライトをあてトークとミュージシャンによるリアル演奏でそのアーティストの魅力を探る『ソウル・サーチン:ザ・セッション』でも、死後一周年の2006年7月1日、目黒のブルースアレイで多くのアーティスト、ゲストを迎えて大盛況となった。ここで一人芝居の高山広さんが『ルーサー物語』を演じ、これはその後2019年9月にアップグレイドされ再演された。
 
■『ソウル・サーチン』関連「ルーサー物語」過去記事
 
高山広『アレサ・フランクリン物語』『ルーサー・ヴァンドロス物語』レポート(パート1)
2019年02月04日(月)

 
高山広「アレサ物語」「ルーサー物語」ご来場感謝 (パート1)
2018年09月04日(火)

 
高山広一人芝居ライヴ評まとめ(2)
2018年09月05日

(ここに過去記事一覧)
 
Big Big Thanks For Joining "Soul Searchin’: The Session Vol.1"
2006年7月2日

https://32970.diarynote.jp/?month=200607

 
"Soul Searchin’ : The Session Vol.1" (Part 2): Full Of Roses In Her Arms
2006年7月3日

https://32970.diarynote.jp/200607031134460000/

 
"Soul Searchin’: The Session Vol.1"(Part 3): Behind The Back Stage
2006年7月4日

https://32970.diarynote.jp/200607040505480000/

 
Takayama Hiroshi Talks About Luther Vandross
2006-07-07
【高山広・ルーサーを語る】

https://32970.diarynote.jp/200607070418090000/

 

 
■ルーサーの訃報
 
(速報)ルーサー・ヴァンドロス死去
2005年7月2日

https://32970.diarynote.jp/200507021525190000/

 
Luther Vandross Died At 54: Reunited After 46 Years With His Father
2005年7月3日

https://32970.diarynote.jp/200507030333200000/

(評伝など)
 
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映画『ルーサー:ネヴァー・トゥ・マッチ』のクレジット
 
Credits
 
DIRECTOR(S) DAWN PORTER
 
PRODUCERS
 
TRISH D CHETTY
GED DOHERTY
JAMIE FOXX
DATARI TURNER
LEAH SMITH
 
EXECUTIVE PRODUCERS
 
DAWN PORTER
ELI HOLZMAN
AARON SAIDMAN
TOM MACKAY
RICHARD STORY
JON PLATT
BRIAN MONACO
COLIN FIRTH
DAVID GOTTLIEB
PHIL THORNTON
 
EDITED BY MARK FASON
 
ADDITIONAL EDITOR JESSICA CONGDON
 
MUSIC BY ROBERT GLASPER
 
SUPERVISING PRODUCER AMANDA GOSCINSKI
 
LINE PRODUCER ADAM GOLDBERG
 
DIRECTORS OF PHOTOGRAPHY BRYAN GENTRY
 
ARCHIVAL PRODUCER JULIA PALERMO
 
ASSOCIATE PRODUCER GABRIELLE BARLATIER
 
YEAR 2023
 
CATEGORY FEATURE
 
COUNTRY UNITED STATES
 
ENT>DOCUMENTARY>Luther Vandross
ENT>ARTIST>Vandross, Luther
ENT>DOCUMENTARY>Luther : Never Too Much
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



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