ジャズ・レジェンド、マリーナ・ショウ84歳で死去 Jazz Legend Marlena Shaw Dies At 84
マリーナ・ショウ84歳で死去
【Jazz Legend Marlena Shaw Dies At 84】
訃報。
日本でも人気の高かったジャズ、ソウル・シンガー、マリーナ・ショウが2024年1月19日12時03分(日本時間20日午前5時03分)ラスヴェガスで静かに死去した。マリーナの娘であるマーラ・ブラッドショウがマリーナのフェイスブック・アカウントで明かした。投稿は日本時間20日午前9時36分。
約3分41秒の動画を発表した。これによると、これを投稿した娘のマーラさんは、その前日(1月18日)が誕生日で、それをマリーナや、マーラの双子のシスターとともに祝ったという。なお死因などについては、明らかにされていない。
来日履歴は多数におよぶ。特にビルボードライブでは、2009年から2016年まで通算7回来日。とくにこのライヴのコンセプトとなったのが、ビルボードライブ側の企画でアプローチされシリーズとなった彼女の名盤『フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウエイ』を録音したメンバーによるライヴを再現するもの。ビルボードライブでのこのライヴは、圧倒的な支持を得た。ただ、最後の来日となった2016年のステージはかなり体調的にも苦しかったようで、これが「ラスト・コンサートになる」と伝えられていた。
マーラさんの投稿では、マリーナの生年について1939年(昭和14年)9月22日~2024年1月19日、と書いている。マリーナはこれまで1942年生まれとされてきたので、3歳違い、これが正しいとすれば、マリーナの享年は84となる。いずれウィキなども書き換えられるだろう。いくつかの初期報道では81歳と書かれているが、いずれ修正されるだろう。本稿でも1939年生まれを採用する。
R&B and Jazz legend Marlena Shaw dies at age 81 | SoulTracks - Soul Music Biographies, News and Reviews
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評伝。
マリーナ・ショウは本名マリーナ・バーゲス (Marlena Burgess)1939年9月22日、ニューヨーク州ニュー・ロシェールに生まれた。叔父(ジミー・バーゲス)がジャズ・トランぺッターだったことから、その叔父に多くのいいジャズ、いい音楽を聞かされ育ったという。マイルス、ディジーなどのジャズからゴスペルも聴いた。このジム叔父は1952年
には、マリーナをニューヨークのアポロのステージにあげたという。13歳頃のこと。
1960年代からニューヨークのジャズシーンで歌いだし注目を集めるが、コロンビア・レコーズの名ジャズ・ディレクター、ジョン・ハモンドのオーディションを受けたこともあるという。ただ、このオーディションでは彼女がナーヴァスになってしまい合格することはなかった。その後も、ジャズ・バンドとともにツアーにでていた。そんな中、1966年、シカゴでライヴをやっていたときに、チェス・レコーズの関係者と知り合い、チェスとの契約に結び付き、チェスからデビュー。1969年、アシュフォード&シンプソンが書きフィフス・ディメンションでヒットした「カリフォルニア・ソウル」をカヴァー。注目されるようになる。この曲は後にイギリスのレア・グルーヴの流れでも注目された。
チェスののち、1972年にはジャズの名門ブルーノート・レコーズに移籍、ここで1975年傑作『フー・イズ・ディス・ビッチ・エにウェイ』を発表。圧倒的な支持を集めた。その後1978年、一度オーディションに落ちたコロンビアと契約。ディスコっぽい作品などもてがけた。その後もいくつかのレーベルを経て、2002年、日本のソニー・レコーズ内にできたジャズの名プロデューサー、伊藤八十八氏のエイティーエイト・レーベルと契約。高音質のアルバムをリリース。リリース関連でのライヴも行われた。
Marlena Shaw - California Soul
Marlena Shaw Feel Like Making Love
Marlena Shaw - Feel Like Makin' Love (Live In Japan 2013)
You Taught Me How To Speak In Love
「いとしのエリー」の元歌
来日も1973年頃、サミー・デイヴィス・ジュニアの前座として初来日。以後もジャズ・クラブでのライヴで多数来日した。
特に2000年代初期はエイティー・エイトと契約したこともあり、東京の赤坂のジャズ・ライヴ・ハウス「Bフラット」などでライヴが行われ、ライヴ・アルバムが録音された。
前述のように2009年から始まった『フーズ・ディス・ビッチ・エニウェイ』を録音したメンバーでパフォーマンスを再現するライヴが2016年まで続き人気を博した。
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衝撃。
個人的にも2013年7月末のデイヴィッド・Tらと一緒に来ていたライヴは、東京のあと軽井沢でも見た。
何度か雑談のような感じで話したり、ラジオのゲストにやってきたりしてくれたが、とにかく気さくでスター然としたかんじがまったくない「ビッグ・ママ」のような存在だった。
通称『ビッチ』アルバムは、多くの人同様何度も聴いた。これを録音したメンバーを集め、ライヴを実現するという企画は、まさに企画の勝利でもあった。
■過去記事
マリーナ・ショウの「ショー・マスト・ゴー・オン」~満身創痍でライヴ完遂 (セットリスト付き)
2016年08月01日(月)
マリーナ・ショウ・ライヴ~粋とクラスのドリーム・チーム (セットリスト付き)
2011年06月22日(水)
マリーナ・ショウとドリーム・チームによるドリーミーな夜 (セットリスト付き)
2009年08月03日(月)
2003/12/08 (Mon)
Marlena Shaw: Storyteller Tells Her Own Story
ストーリーテラー。
ちょっとしたインタヴュー記事。
2003/12/05 (Fri)
Marlena Shaw: What A Wonderful Her World
自由自在。
ライヴ評。
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■CD
フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ?
マリーナ・ショウ
The Spice Of Life
マリーナ・ショウ
ライヴ・イン・トーキョー(紙ジャケット仕様)
マリーナ・ショウ
OBITUARY>Shaw, Marlena 9/22/1939 – 1/19/2024, 84 year old
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