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映画脚本家、音楽ジャーナリスト、バリー・マイケル・クーパー 66歳で死去~ニュー・ジャック・スイングという言葉を広めた第一人者の1人

映画脚本家、音楽ジャーナリスト、バリー・マイケル・クーパー 66歳で死去~ニュー・ジャック・スイングという言葉を広めた第一人者の1人
 
【Barry Michael Cooper Dies At 66】
 
訃報。
 
映像作家、映画脚本家、音楽ジャーナリストでもあったバリー・マイケル・クーパーが 2025年1月22日にメリーランド州ボルティモアで死去した。66歳。死因などはまだ不明。
 

https://x.gd/hBgNo

 
 

https://www.npr.org/2025/01/24/nx-s1-5273661/remembering-writer-and-director-barry-michael-cooper

 

 
映画『ニュー・ジャック・シティ』『アボーヴ・ザ・リム』などの脚本、プロデューサーなどを務めた。現在スパイク・リーとリーの「シーズ・ガッタ・ハヴ・イット」(リー出生作)のリメイク版をネットフリックスで製作中だった。
 
元々ニューヨークのカルチャー紙ヴィレッジ・ヴォイス紙のライターとして1980年から1989年まで活躍。ライター時代に取材執筆した記事を元に「ハーレム3部作」(ニュージャック~、シュガーヒル、アボーヴ~)発表。さらに1987年にヴィレッジ・ヴォイス紙で書いた記事「テディ・ライリーズ・ニュー・ジャック・スイング:ハーレム・ギャングスターズ・レイズ・ア・ジニアス」が「ニュー・ジャック・スイング」という言葉を最初に使ったと言われる。
 
1987年同紙に「キッズ・キリング・キッズ:ニュー・ジャック・シティ・イーツ・イッツ・ヤング」という記事を執筆。ニューヨークの若い黒人間に蔓延するドラッグ問題について描いたもの。これを読んだクインシー・ジョーンズがクーパーを映画の脚本化として起用。それが、1991年発表の映画『ニュー・ジャック・シティ』に身を結んだ。その後、彼は『シュガーヒル』『アボーヴ・ザ・リム』を発表。これらが「ハーレム三部作」となった。
 
2005年には、『Blood On The Wall$』で監督デビューを飾った。また、2008年にはBETで放送された『アメリカン・ギャングスタ―』の『ラリー・デイヴィス・エピソード』を監督した。
 
また、2007年から彼は「フックド・オン・ザ・アメリカン・ドリーム」というブログを執筆。これが2011年に単行本に。
 
1958年6月12日、ニューヨーク・ハーレム生まれ。アムステルダム・アヹビューの164丁目と165丁目にあるリトル・ワシントン・ハイツに生まれ育った。
 
彼が使った「ニュー・ジャック」という言葉は、「新しい・若者」を意味する当時はやりのスラング。昔でいえば「ニュー・ヤング(マン)」みたいなものだ。特にブラックの人たちではやっていた言葉だった。だから、若い黒人たちのスイングで、ニュー・ジャックたちのスイング、と言われるようになった。
 
OBITUARY>Cooper, Barry Michael (June 12, 1958 – January 22, 2025) 66 year old
 

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