〇 マイケル・ジャクソン命日~マイケル特集
〇 マイケル・ジャクソン命日~マイケル特集
命日。
6月25日は、マイケル・ジャクソンの命日。2009年6月25日、日本では時差の関係で翌26日(金)朝から世界にニューズが走った。それから15年の歳月が流れた。
マイケルのメッセージ、マイケルは何に殺されたのか、マイケル対メディアといった追悼文を、過去のブログからピックアップしてみたい。
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2021.6.25付け
〇「ビリオン・ジーン」マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」のビデオ再生回数が10億回超え
【Michael Jackson’s Billie Jean Video Hit 1 Billion Views】
驚異。
「ビリオン・ジーン」!
マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」(1983年)のビデオ再生回数が10億回超えをした。
ユーチューブに乗っているオフィシャル・ビデオ
これまで10億超えしているのは、ガンズ&ローゼスの「スイート・チャイルド・オー・マイン」(88年)とアーハの「テイク・オン・ミー」(84年)。
「ビリー・ジーン」は、今も毎日60万回再生されている。ざっくりの計算だが、毎日6万円ほどの収入がユーチューブから権利者に行っていると思われる。
このオフィシャル・ビデオがユーチューブにアップされたのは、2009年10月3日で、約11年8カ月で10億回を超えた。これを単純に割ると平均でおよそ1日約25万回の再生回数になる。今も1日約60万回ほど再生されており、最近のほうが再生回数が多いようだ。
ちなみに、「ビート・イット」は現在7億2千万回、そのパロディー「イート・イット」は4千万回超え。「ビート・イット」は仮に1日50万回再生だとあと600日くらいで10億回の「ビリオン・ヴューズ・クラブ」入りになる。
「ビート・イット」と「イート・イット」を2画面に同時再生したビデオ。
(音は、「イート・イット」)
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〇何も変わらないメディアによるバッシング
【Nothing Ever Changed Media Bashing】
少し話は変わるが、最近のテニスの大坂なおみ選手へのメディアやSNSなどでのバッシングを見ていると、一時期最悪だったマイケルへのバッシングのことを思い出す。当時と今ではSNSの普及度合いが圧倒的に違うので一概には比較できないが、その根っこ、ルーツというか、人々の差別意識は何も変わっていないように思える。
マイケルとメディアの戦いについては、何度も書いているが、命日の今日、改めて再掲したい。
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△マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い (パート1)
2009年07月12日(日)
【マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート1)】
嘘。
「自分の行動には十分注意しなさい。なぜなら、嘘だって(いつしか)真実になってしまうから」(And be careful of what you do 'cause the lie becomes the truth) (「ビリー・ジーン」から)
嘘だとしても、それがメディアで繰り返し流されてしまえば、多くの人が信じてしまう「虚像の真実」になってしまう。この「嘘が(いつしか)真実になる(lie becomes the truth)」という一行は、1982年暮れに発表された『スリラー』の「ビリー・ジーン」の中でも強烈なマイケル・ジャクソンの主張だった。すでにこの時点で、マイケル・ジャクソンはメディアと距離を置き、一切のインタヴューを受けないと宣言していた。
それは、いくらインタヴューに答えても、メディアは自分が書きたいと思う趣旨の記事しか書かず、何か書く時は、その趣旨にあわせ、発言者の発言をねじまげて書く。そうしたことにすっかり嫌気が差したマイケルは一切の取材を遮断する。メディアに答えなくなると、今度はメディアはさらに憶測と想像でストーリーを作り始める。すると、マイケルはさらにメディア嫌いになっていく。もはや悪の連鎖は誰にも止められなくなった。それが1980年代初期のことだ。
マイケルは、『オフ・ザ・ウォール』(1979年発表)のリリース時にはいくつかの媒体のインタヴューを受けていた。だが、『スリラー』(1982年発表)の時には、一切のインタヴューを受けなかった。1984年にジャネット・ジャクソンに僕がインタヴューしたときに、「なぜ、マイケルは一切のメディアのインタヴューを受けなくなったのか」と尋ねると、「かつて、自分が言ったこととまったく逆のことを書かれ、とても傷ついたので、それ以来一切の取材を断ることにしたのよ」と言っていたことを思い出す。
その後、マイケルは、編集ができない生放送でのインタヴューならという条件で2度インタヴューに答える。それがオプラ・ウィンフリー(1993年2月10日)とダイアン・ソーヤーのトーク・ショー(1995年6月15日)への出演だ。
では取材を断るようになって以来、マイケルはどうしたかというと、自分の主張や考え方は、時折開かれる何かの記者会見のときや、自らのレコード、作品の中で発表するようになる。「ビリー・ジーン」での一行は、そうしたメディアに対するメッセージだ。
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黒白。
未だに多くのメディアが「マイケルは白人になりたかった」「肌を脱色している」と書く。肌の件は、彼の持病だ。膠原病(こうげんびょう)という病気で、肌の色素が壊れてしまい、白い斑点ができてしまうというもの。免疫力も低下するという。彼は肌の病気だということを1980年代の初めから言っている。
僕が1983年8月、マイケルの自宅で彼に会ったとき、マイケルは「僕は太陽の光に当たってはいけないんだ」と言ったことを強烈に覚えている。真夏の暑い日ざしのカリフォルニアだったからだと思った。そのときは、僕自身それがどれほど重大なことかまったく認識していなかった。その発言自体をずっと忘れていたほどだ。だが、その後彼の肌が変化するにつれ、ダイアン・ソーヤーのショーに生放送で出演し、肌の病気のことを語ったとき、そのことを思い出した。
彼の音楽や出自をじっくり観察し冷静に考えてみれば、マイケルが「白人になりたい」などと思うはずがないことは自明の理なのだ。白人のエンタテイナーを尊敬することはあれ、自身の黒人としてのプライドは強い。それをおもしろおかしく、「白人になりたい黒人」というステレオ・タイプにはめ込んだほうがネタとして売れるので、そういうストーリーを作ったのだろう。
しかし、メディアで「マイケルは白人になりたがった」ということが繰り返し流されると、多くの人はそうだと思ってしまう。メディアのいいかげんさが良く出た例だ。まさに「嘘も(いつしか)真実になってしまう」のだ。これはマイケルのことだけに限らない。
肌の病気ゆえに、『マイケルは白人になりたがっている』といわれてしまったのは、彼にとっても本当に不本意だったことだろう。この病気ゆえに痛み止めを常用し、それが中毒となり、痛み止めのオーヴァードーズ(過剰摂取)が死に至らしめたとしたら、この病気こそ、彼の大きな死因となる。(このあたりは今後の死因の正式な発表を待たねばならない)
僕はマイケル自身もこの病気については、もっとはっきりと声明なりを発表すればよかったと思う。そこで本当に文字通り白黒はっきりさせるべきだったと言えるが、今となってはそれも結果論かもしれない。
(この項、つづく)
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●マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)
2009年07月13日(月)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10298820925.html
【マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)】
現場。
1995年にリリースされた『ヒストリー』をじっくり久しぶりに聴いてみた。特に2枚目の『History Continues』サイドは強烈だ。「スクリーム」「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」「ディス・タイム・アラウンド」「D.S.」「チャイルドフッド(CDの表記はチャイルドフード)」「タブロイド・ジャンキー」と、マイケルのメディアに対する、これでもかというほどのメッセージが思い切り詰め込まれている。改めてこの作品のメッセージを読んで、この時期のマイケルの心の奥底がほんの少しだけでも垣間見られたような気がする。
しかも、これらのサウンドは、『スリラー』や『バッド』よりも、はるかに「黒い」。サウンドは黒く、メッセージは強く、マイケル・ジャクソンというアーティスト性はクインシー3部作(『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』『バッド』)よりも、ひょっとして色濃く出ていたのかもしれない。しかし、ご存知のようにこれらの作品群はクインシー3部作と比べれば、それほど爆発的なベストセラーにはならなかった。それはあたかもマーヴィン・ゲイのもっともアーティスト性が反映したという『ヒア、マイ・ディア(離婚伝説)』が、それまでの作品ほど売れなかった、ということと重なる。
そもそもメディアというものは、一般的に言って、物事を深く追求し、本質を見ぬく力が弱い。もちろん一部に優れたジャーナリストがいて、優れたジャーナリズムを形成するものもあるが、そうしたことは珍しく、大体がその場しのぎで情報を集め、それをすぐに発表する。締め切りがあるから物理的にも仕方がない。新聞やテレビなど、数時間で集めたものをすぐに出す。言ってみれば「取って出し」状態なのだ。そこにまことしやかな嘘が紛れ込んでも、それを嘘と見抜く力はなかなかない。
しかも、ひとつのメディアが嘘を流してしまうと、それを信じた二次的なメディアがそれに輪をかけて報道し、偽情報がねずみ講式に広まってしまう。そうなったら、誰も何も止めることはできない。メディアの暴走が始まる。特にマイケル・ジャクソンに関しては、メディアは暴走を続け、真実に対する「免疫機能不全」に陥ってしまった。
僕は1980年代初期に見たマイケル対メディアの戦いで、メディアの表層的な部分を強く感じ、簡単にそうしたものを信じてはいけない、と思うようになった。
マイケル・ジャクソンという取材対象に、メディアが何かを書こうとしたとき、記者は何をするのだろうか。一番いいのは、本人に直接話を聞くことだ。これは文句なくベスト。だがマイケルのときのようにそれが出来ないときには、次に何をすべきか。
殺人課の刑事と同じく「現場百回」である。この場合の「現場」とは? それは彼が過去に語ったインタヴューの記録などもあるが、なんと言ってもレコード(CD)作品である。そこには、マイケル・ジャクソンの主義主張、信条が実によく現れている。特に、1990年代以降の作品にはそれが顕著だ。それをていねいに読み取っていくと、マイケルの心の片隅が我々にもわかってくる。
一例をあげよう。『ヒストリー』の中に、「D.S.」という曲がある。これは、「ドム・シェルドン」という名の冷酷な男のストーリーだ。ドム・シェルドンの頭文字(D.S.)を取って、タイトルにした。これは、マイケル・ジャクソンに対し異常なほどの執念を燃やし、マイケルを有罪にしようとしたサンタバーバラの検事、トム・スネドンのことを歌っている。トム・スネドンを音の響きのよく似た別名のドム・シェルドンに変えているわけだ。「僕を捕まえるなら、手段を選ばないらしい。ドム・シェルドンは冷酷な男。どんなやり口を使っても、世間をあっと言わせたいんだ。KKK(黒人を差別する強烈な白人至上主義のグループ)とも関係があるのかな?」 トム・スネドンに対する気持ちを正直に吐露(とろ)している。これは氷山の一角だ。それぞれの曲にさまざまなストーリーがある。タブロイド紙を漁る前に、CDをじっくりお聴きなさい。DVDをゆっくり座って御覧なさい。そうすれば、ある程度の感性を持っていれば、彼がどれほど偉大なアーティストかわかるだろう。
果たして今回のマイケル・ジャクソン逝去関連記事を書いた記者の中に、じっくり「現場」を訪れた記者はいたのか。現在のところ僕も多数の記事を見てきたが、とても「現場」を取材したと思える記事にはお目にかかっていない。全体的に表層を見ただけで書いたものが多い。「現場」を取材することなくして、きちんとした記事など書けるわけがない。逆に言えば、「現場」など取材もせずに何かを書けてしまうほどの材料があふれているということだ。それほど、マイケル・ジャクソンという存在が大きかったのである。
メディアの暴走、メディアの免疫不全、そして、現場取材のなさ、これがマイケル・ジャクソン関連報道のがん細胞だ。
(マイケル・ジャクソン関連は続く予定)
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ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
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マイケル・ジャクソンの死とマーヴィン・ゲイの死~その父からの影響
2009年06月29日(月)
愛情欠落。
マイケル・ジャクソンの死については何から書いていいか、正直わからない。とりあえず、一昨日、簡単に「マイケルが成し遂げたこと」をまとめたが、書きたいことは山ほどあり、あれはほんの氷山の一角だ。
個人的なマイケルとの接点や思い出についても書いてみたいが、なかなか整理がつかない。
そんな中、金曜日朝から取材を受けたりラジオに出たりする中で、いろいろ話をしているうちに、徐々に少しずつ自分なりの考えがまとまってきた。
そして、昨日(日曜)、『ソウル・ブレンズ』に出ているときに、DJオッシーと「(この番組では)先週のマーヴィンが父の日特集で、父との確執が話題になったけど、このマイケルも父との確執があって、何か因縁めいたものを感じるね」という話しになった。
その通りで、マイケル・ジャクソンも幼少時代に父親から体罰を受け、長い間、マイケル自身が父から愛されていないと感じていた。なぜマイケルの父も、マーヴィンの父も、よりによって兄弟の中で一番才能がある子供に冷たくあたるのだろう。これは解明したい永遠の謎だ。やはり自分にないものを持っていることに嫉妬するのだろうか。
そうした幼少時代の愛情の欠落が、彼をより内向的な性格にした。そして彼は幼い頃からスターだったために、通常の子供が経験する子供時代を経験することができなかった。この十代の「子供時代の欠落」「父からの愛情の欠落」が、彼の後の性格、行動に大きな影を落とすことになる。よって我々通常の人間の常識がまったく通用しない人間になってしまった。そんな彼を我々の尺度にはめ込んで話をしようとしても、土台無理なのだ。そして人は自分と異質のものを排除しようとする。これもまた、別の意味での人種差別と言ってもいい。
マイケル・ジャクソンは生涯、「黒人」と「白人」という人種問題に悩まされ、また、「一般地球人」と「特殊な家庭に生まれ育った特殊な才能を持った異星人」という人種の狭間に悩まされ続けたのだ。
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生贄(いけにえ)。
僕がおととい「マイケル・ジャクソンが成し遂げたこと」の最後に「マイケルはメディアに翻弄されたメディアの最大級の犠牲者でもあった」と書いたのは、フジ・テレビで放送された2時間の特番を見たからだ。もともと同様のことは感じていたが、アメリカのメディアはまだしも、日本のメディアは、マイケルが音楽、エンタテインメントの世界で成し遂げたことをまったくといっていいほど紹介しない、紹介しなければ、評価のしようもない。数字だけ並べればいいというものではない。彼がなぜこれほどの宇宙一のスーパースターになったのかを正しく説明できなくては2時間も番組をやってもまったく意味がない。
この国のメディアは、アート、エンタテインメントに対して口先だけは評価するようなことを言うが、真にその意味を理解していないようだ。次にこの件に関することを書くときには、マイケルはメディアの最大の生贄(いけにえ)になったアーティストとしたい。
昨日、ニューヨークに住む写真家のしおりさんからメールが来た。(僕のブログへリンクを張ったのでその挨拶メールだった) 彼女はマイケルを2002年ごろ(20歳のとき=彼女は1982年生まれ)、「アース・ソング」で知り、衝撃を受けたという。彼女がそれまでテレビなどで見ていたマイケルは、変人のマイケルの姿ばっかりだったと言い、自身のブログでこう書いている。
「不運にもそれまで私の周りには、
彼がこんなにも才能溢れるエンターテイナーだなんて
教えてくれる人はいなかった。
私の世代でそれを知ってる人は実は少ないのかも。
だから20歳の時に初めて「アース・ソング」を聴いた時も、
「ビリー・ジーン」のライブ・パフォーマンスの映像を見た時も、
衝撃が大きすぎて本当に鳥肌がたった。
それと同時に今後はメディアのいう事を鵜呑みにするものか! と
自分の安易さを恥じたのも覚えている」(川崎詩織のブログ=2009年6月28日付けより)
全文の載ってる彼女のブログは、こちら↓
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地獄。
昨日の『サンデイ・ソング・ブック~モータウン・アーカイブ』で山下達郎さんは、マーヴィン・ゲイの自伝・伝記『マーヴィン・ゲイ物語』を読了したことを話し、最後にジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」をかける前に、マイケルの逝去のことを「マーヴィン・ゲイ同様にアメリカ芸能界の地獄で燃え尽きてしまいました」と評した。本当にその通りだと思う。
I Want You Backは、世界中の誰もが、マイケルに戻ってきて欲しい、という願いだ。それは前日のラファエル・サディークがライヴでこれを歌ったことにも現れている。そして、僕はマイケルにこの曲を贈りたい。You Are Not Alone.
このYouをマイケルに置き換えて捧げたい。
You Are Not Alone
(Written by R.Kelly, Song by Michael Jackson)
Another day has gone
I’m still all alone
How could this be
You’re not here with me
You never said goodbye
Someone tell me why
Did you have to go
And leave my world so cold
Everyday I sit and ask myself
How did love slip away
Something whispers in my ear and says
That you are not alone
For I am here with you
Though you’re far away
I am here to stay
But you are not alone
For I am here with you
Though we’re far apart
You’re always in my heart
But you are not alone
’Lone, ’lone
Why, ’lone
Just the other night
I thought I heard you cry
Asking me to come
And hold you in my arms
I can hear your prayers
Your burdens I will bear
But first I need your hand
Then forever can begin
Everyday I sit and ask myself
How did love slip away
Something whispers in my ear and says
That you are not alone
For I am here with you
Though you’re far away
I am here to stay
For you are not alone
For I am here with you
Though we’re far apart
You’re always in my heart
For you are not alone
Whisper three words and I’ll come runnin’
And girl you know that I’ll be there
I’ll be there
You are not alone
For I am here with you
Though you’re far away
I am here to stay
For you are not alone
For I am here with you
Though we’re far apart
You’re always in my heart
For you are not alone
For I am here with you
Though you’re far away
I am here to stay
For you are not alone
For I am here with you
Though we’re far apart
You’re always in my heart
For you are not alone...
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毎日新聞に筆者のコメントが掲載されています。(2009年6月26日付け夕刊)↓
http://mainichi.jp/enta/music/news/20090626dde041200032000c.html
(時間の経過とともにリンクが消える可能性があります)
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告知。
今日、『カキーン』(TBS954hz=関東地区)(月曜午後6時~9時)ゲスト出演します
マイケル・ジャクソン特集。ノーナ・リーブスの西寺郷太さんやホフディラン・小宮山さんらとともに「マイケルが私たちに残したもの」を探ります。6時から登場する予定。時間がたっぷりあるので、西寺さんらとじっくりとマイケル談義ができると楽しみにしています。
番組ホームページ
http://www.tbsradio.jp/kakiiin/
番組へのメールは、 kakiiin@tbs.co.jp まで。
ENT>ARTIST>Jackson, Michael
ENT>ANNOUNCEMENT>Jackson, Michael
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■ マイケル・ジャクソン逝去関連記事(リンクはコピー&ペーストしてください)
June 27, 2009
●マイケル・ジャクソンが成し遂げたこと
June 29, 2009
★マイケル・ジャクソンの死とマーヴィン・ゲイの死
July 04, 2009
△ マイケル・ジャクソンのリハーサル模様
July 08, 2009
◆ マイケル・ジャクソン追悼式
July 09, 2009
○ マイケル・ジャクソン・メモリアル:5人のグローヴに見る兄弟の絆
++++
2003/12/23 (Tue)
From King To King
http://www.soulsearchin.com/entertainment/tv/diary20031223.html
2003/02/25 (Tue)
Michael Jackson's Soul Searchin'
■ マイケル・ジャクソンの言葉はここの現場に 『ヒストリー』
ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック1(紙ジャケット仕様)
マイケル・ジャクソン
SMJ (2009-07-08)
『デンジャラス』もメッセージいっぱい
デンジャラス(紙ジャケット仕様)
マイケル・ジャクソン
SMJ (2009-07-08)
ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael
■関連記事
マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い (パート1)
2009年07月12日(日)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10298164180.html
マイケルの急死を悼んで~マイケル・ジャクソンとメディアの戦い(パート2)
2009年07月13日(月)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10298820925.html
マイケル・ジャクソン~徐々に出され始めたメディアの膿
2009年07月28日(火)
June 27, 2009
●マイケル・ジャクソンが成し遂げたこと
June 29, 2009
★マイケル・ジャクソンの死とマーヴィン・ゲイの死
July 04, 2009
△ マイケル・ジャクソンのリハーサル模様
July 08, 2009
◆ マイケル・ジャクソン追悼式
July 09, 2009
○ マイケル・ジャクソン・メモリアル:5人のグローヴに見る兄弟の絆
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